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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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原題:GRADIVA
製作年:2006年
製作国:フランス、ベルギー
監督:アラン・ロブ=グリエ
出演:アリエル・ドンバール、ジェームズ・ウィルビー、
ダニー・ヴェリッシモ、マリー・エスピノーザ



________________________

観ている最中は寝そうになって、
観終わった後じんわり来る映画というのを久しぶりに観た。
でもこれ、婉曲な褒め方ではなくて、
いまどきこんなダンディズムってどうなの、と思ってはいるけど。

監督のアラン・ロブ=グリエは小説家であり映画人でもあるという
ひとかどの芸術家で、その全盛期は50~60年代。
あの『去年マリエンバードで』の脚本を書いた人と知って、とても驚いた。
彼の業績についてろくに知らず、正当な評価はとても下せない僕が、
本作についてあれこれ言っても始まらないのかもしれないが、
まぁ本作を観る人の大半が同様であろうと開き直って、続けてみる。

「過去」「未来」そして「夢」が複雑に絡み合うという構成は非常に面白く、
また時折鈍い光を放つブラック・ユーモアのセンスも秀逸なのだが、
2000年代の映画として観ると、デイヴィット・リンチの粗悪なコピー品という
感じが否めない。
最もアラン・ロブ=グリエ自身はリンチのことなど知らないのかもしれないが……。
とにかくこの映画、なんといっても照明が甘い。
これはスタッフのせいなのかも?
しかしホテルの室内に置かれた果物はまるで絵画のように美しく見えたし、
劇中劇の場面は構図まで美しかったので、
他のシーンとの落差が、どうしても気になってしまう。
これじゃ画面に集中できないではないか。

ドライでリアルクローズな現代、デコラティヴな過去、
そして幻惑的な夢の世界という多重構造の作品を撮りたい割には、
絵作りの面で、得手不得手があまりにもはっきりし過ぎている感じ。
一番中途半端なのは「夢」の場面で、
幽霊のアリエル・ドンバールにピカ~ッと白い光を当てるだけって、どうなのよ(笑)。

というわけで、僕がこの映画を観たのは、
マイブームのアリエルがヒロインを務めていたから。
アリエルが本作に出演したのも監督の実績に敬意を表してのことなんだと思うが……。
なんだか彼女までお馬鹿さんに観えてしまうシーンがいくつかあって、
ファンとしては辛い限りだった。

それでも派手な濡れ場は新人に任せ、要所要所で、
とても50代とは思えない、妖怪のように美しいヌードを披露している。
またこの映画の中で一番笑える、ナンセンスな台詞のやりとりを一任されていたので、
実質一番おいしいところを持っていったのは、彼女なんだろう。

色々な意味で、監督の光り輝く過去がなければ、ただのB級映画。
女の裸はやたらに出てくるが、男の下半身は絶対に出さない、
拷問の儀式をまるで高尚なデカダンスのように描く、
といったセンスもなんだか古くて……骨董品みたい。
年寄りの冷水と言ってしまえばそれまでだが、
これが遺作らしいので寛容にならざるをえませんね。

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原題:SUPER SIZE ME
製作年:2004年
製作国:アメリカ
監督:モーガン・スパーロック


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朝昼晩マクドナルドばっかり1ヶ月間食べ続けたら、
どうなるのかというドキュメンタリー。

前々から観ようとは思っていたんだけど、
ドキュメンタリーが面白いと困っちゃう……、
映画を観る気が失せてしまいそうで怖いのだ。
評価のポイントが違うといえばそれまでだし、
ドキュメンタリーとはいえ、監督がいる作品なのだから、
事実が歪曲されている可能性だってあるかもしれない。
それでも下手な映画人の妄想を映像化した作品より、
事実は奇なりな場合は、多々ありそうだ。

同じようなことが活字の世界にもあてはまり、文学はと~んとご無沙汰。
読むものといったら、やはりドキュメンタリー、
そしてエッセイ、評論ばかりという有様だ。
活劇のほうはそうならないように、バランスを取っていかないと……、
去年もBBCのドキュメントばっかり観ていた時期があったしなぁ。

ドキュメントのありがたみは、知的好奇心を充足させてくれるところにある。
ニュースのヘッドラインに登場するような目先の問題ではなく、
その背景にある前提、原因、温床などに光を当てたものほど面白く、
鑑賞後の満足感は大きい。
本作もおふざけで人体実験を行っているわけではなく、
アメリカ社会が抱える問題の、発端の一部はどうも食生活にありそうだぞ、
だからそこを暴いてやるぞ、という意思を貫いているところが素晴らしかった。

特に面白いエピソードが二つあった。
まず、科学的に分析すると、バーガーのパテの上に乗ったチーズからは、
モルヒネの成分が検出されるという。つまり軽度の中毒性があるのだ。
今回人体実験を自ら行った監督も、
食間には気分が落ち込み、食後には気分が高揚するという症状を呈している。
マクドナルドは、週一回の利用者を”ヘビーユーザー”とみなすらしいが、
どうしよう、僕も週末のランチに1回はマクドナルドの「ビッグマックセット」を
食べている気がするのだ。これはもう中毒だろうか。

もうひとつ。
マクドナルドなど、アメリカ人の食生活を侵食するジャンクフードは、
糖分と脂分の塊であり、のべつまもなく飲み食いしていたら、太らないはずはない。
事実”肥満”の2文字は大問題としてアメリカ社会を震撼させているのだが、
ジャンクフードの功罪は、どうもそれだけに留まらないようなのだ。
本作では、とある学校で校内から炭酸飲料の自動販売機を撤去したところ、
生徒たちの集中力が高まり、教室内での問題も減少したという事例が紹介されている。
そういえば僕も学生時代の夏休み、
うっかりどこにも外出しない日の夜中にフラフラと、炭酸飲料を買いに行ったっけ。
つまり、あの強烈なパンチ力と糖分は、一種の刺激剤なのである、くわばらくわばら。

マクドナルドを食べ続けて20日後に、監督の肝機能は著しく低下していた。
末期のアルコール中毒患者と同様の症状を呈していたのだ。
アルコールは市民生活に浸透している半面、
「危険」や「背徳」のイメージを色濃く併せ持ち、中毒患者は忌み嫌われるが、
ジャンクフード中毒なんて、一笑に付されるのがせいぜいだろう。
しかし身体への悪影響は軽視できない。
子供たちに大人気のファストフードが、その健康をじわじわと蝕んでいく……、
笑えない話だが、禍々しい実態がまたアメリカらしくて、強く好奇心をそそられた。

全編にフル登場する監督の存在感は非常にさわやか。
「俺の企画すごいだろ、見ろよ、金落としてけよ」的な下品さを感じさせない、
好感度の高い人物だ。
やばい、これ面白い……と、終始画面に引き込まれてしまった。
こんな作品を観てしまうと、
またつい、ドキュメンタリーに手が伸びてしまいそうだなぁ。

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原題:INSIDE DEEP THROAT
製作年:2005年
製作国:アメリカ
監督:フェントン・ベイリー、ランディ・バルバート
出演:ジェラルド・ダミアーノ、ハリー・リームス、リンダ・ラブレース、
ゴア・ヴィダル、ジョン・ウォーターズ、アンドレア・トゥルー



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70年代前半のアメリカで、メガヒットを記録したポルノ映画『ディープスロート』。
本作は、このポルノ映画が巻き起こした社会現象を、
製作関係者や、当時の雰囲気をよく知る著名人の発言から振り返った
ドキュメンタリーフィルムである。

ということで、僕はまず『ディープ・スロート』本編を観てみた。
えげつなさという点では、現代のAVに太刀打ちできるはずもなく、
主演のリンダ・ラブレースが披露する、タイトル通りの「奥義」も、
特に目新しくは写らない。また、このポルノ映画は
「本来陰部にあるはずのクリトリスを、なぜか喉の奥に所有している主人公が、
”ディープスロート”することで真のエクスタシーに到達し、性の探求を終える」
という、荒唐無稽なストーリーの基に展開する。
その馬鹿馬鹿しさには呆れるを通り越し、思わず笑ってしまうが、
演技に関してド素人の出演者が繰り広げる芝居のまずさは、
どちらかというと悪い冗談の範囲内。
女優は皆ブスなばかりか、時代を感じさせるもっさりとしたヘアスタイルのせいで、
おばさんのようにも見える。
ポルノ映画の枠を超えるような普遍性を有する作品ではないし、
特別おしゃれな作品でもないのだ。

ではこのポルノがなぜ、社会現象を巻き起こすほどのヒットを記録したのか。
その経緯は、本作を観れば充分にわかることだから省くとして、
ひとつ考えさせられたことがある。
『ディープ・スロート』を監督したジェラルド・ダミアーノという人物の
「現代のポルノはただ性行為を写しているだけ。作品ではない。
そんなものは撮っても意味がない」という発言についてである。

ジェラルドは「セックスとは人間の営みであり、恥ずべきことではない」と考えていた。
この論理が飛躍すると「それを映像に収めるのも、自然」ということになる。
さらにジェラルドは当時「ハリウッドとポルノが歩み寄り、最終的には合体する」
と真剣に予測していたらしい。
それはつまりジェーン・フォンダとか、ラクウェル・ウェルチとか、
スティーブ・マックイーンとかが、
演技の合間に本番の濡れ場を披露するということと、イコールである。
「何を馬鹿な」と思うのは、結果を知る40年後ゆえの意見なのだろうか?
当時はこのような展望を後押しする追い風が、本当に吹いていたのだろうか?

2010年代を生きる僕は、ポルノに「抜く」以外の意味を求めていない。
下手なストーリーやまずい演技は感興を削ぐばかりだし、
逆に完成度が高くても、それはそれで興醒めな気がする。
他の作品との差異化を、なんとなく図る程度のグラデーションさえあればいい。
大体ポルノとは、人目を憚り、こっそりと楽しむからこそ、魅力的なのではないか?
と考えるうち、自分とジェラルドとの間に広がる大きな断絶に、はたと気付いた。
彼は、性を「暗闇でコソコソと楽しむもの」から、「太陽の下で謳歌するもの」に
変えられると思いたかった。つまり、タブーを取り払いたがった人間なのだ。
無謀、無邪気、後付けの自己正当化といってしまえばそれまでだが、
その「志」自体は、決して間違っていない。
むしろ脆いのは、自らの性生活とハードコア・ポルノを巧妙に分断し、
中途半端に許容する現代人のバランス感覚だということに、
図らずも気付かされたのだ。

性をめぐる問題とはかように複雑である。
ひとびとの意識を改革すべく行動することは、
それなりにエキサイティングでもあるだろう。
しかし見果てぬ理想は、次第に実人生を蝕んでゆく。
『ディープ・スロート』の関係者も然りで、監督はともかく、
さほどの覚悟を以て撮影に臨んだわけでもない出演者たちは、
予想をはるかに上回った成功により、その人生を狂わされていく。
そんな主演女優、リンダ・ラブレースの数奇な人生は、
リンジー・ローハン主演で、2011年に映画化されるらしい。
楽しみではあるが、思想もなく、流されるように生きた彼女の生涯を、
過度に美化した作品に仕上がらないことを祈るばかり。

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原題:Precious: based on the novel “Push”by Sapphire
製作年:2009年
製作国:アメリカ
監督:リー・ダニエルズ
出演:ガボリー・シディベ、モニーク、ポーラ・パットン、
マライア・キャリー、レニー・クラヴィッツ



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ニューヨークの治安がいまより悪かった80年代に
ハーレムで生まれ育った少女、プレシャスの物語。

プレシャスは母親から始終虐待を受けているうえに、
性的な虐待を加える父親の子供をふたりも産むという、
恐ろしい辛酸をなめた黒人の少女だ。

観るのに相当な覚悟が要る設定だったが、
バランス感覚に優れた監督の作品だったのは、幸い。
プレシャスは逆境に直面すると、精神の均衡を保つため現実逃避するのだが、
その庶民的で幸せな妄想をいちいち映像化してくれるので、
観る者が悲惨な現実へ直面しなくとも、済むようになっているのだ。
ラース・フォン・トリアーとか、パク・チュナクとか、
ミヒャエル・ハネケの手にかかったら、こうはいかなかっただろう。
僕はこうしたユーモアとか、エンターテインメント精神を
積極的に評価したいと思う。

しかし同時に、映画全体はプレシャスの視点で、強固に統一されていた。
魅力的なキャラクターが数多く登場するが、
脇役の域から抜きん出る演出は、極力控えた印象だ。
今の段階ではまずプレシャスとその母親をしっかり描くことが先決。
きっとそんな判断からなのだろう。

調べてみたら監督のリー・ダニエルズは黒人で、
またゲイであることをカムアウトしている人物だった。
そういえば作品内で、プレシャスを愛ある世界へと導く女性教師は、
レズビアンなのである。
プレシャスはそれを認めたうえで、
『同性愛者だからといって、私をレイプしたり、傷つけたりはしない』
と、冷静に発言する。
また母がプレシャスに、父のHIV感染を告げるシーンに、こんなくだりがある。
『あんたも感染しているかもしれないよ。でもあたしは大丈夫、
ケツでファックしたことはないから』
もちろんこれは無知からくる失言で、
母親の愚かしさは、さらに浮き彫りとなる仕掛けだ。
模範的な作風へわずかに織り込まれたデティールに、
監督のバックグラウンドが一瞬、垣間見えた気がした。

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原題:Touch of Pink
製作年:2004年
製作国:カナダ/イギリス
監督:イアン・イクバル・ラシード
出演:ジミ・ミストリー、カイル・マクラクラン、
クリステン・ホールデン=リード、スレイカ・マシュー



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興が乗ったので、またゲイものを観てみた。
やおいっぽい邦題と暗いパッケージから、
ダンディなカイル・マクラクランと
若者の悲恋物語を想像したのだが、全然違う。
映画よりテレビドラマなんかで放映されていそうな、
所請ハートフル・コメディである。

ユニークなのは、この映画の舞台となる英国/カナダの両社会で、
主人公が二重のマイノリティであること。
ゲイであるだけではなく、インド系なのである。
監督は自分自身の背景を、主人公に直球で投影したようだ。

しかし主人公にはイギリス人の彼氏がいて、仕事もあり、それなりに幸せである。
そこで監督は、国籍マイノリティの側面を、母親に多く背負わせた。
ゲイの息子がカムアウトして人生を謳歌するだけでなく、
母親が同国人コミニュティ内で虚勢を張るのを止め、
人生をやり直す過程を併走させたのである。

セクシュアリティをめぐる母子の相克は、
20年前『トーチソング・トリロジー』で、
とっくに、極めつけに描かれており、もはや見飽きた感すらあるが、
スポットライトはその後も、ゲイの息子のみに注がれ続けてきた。
通常のゲイ映画よりも丹念に、
息子のカムアウトを受けた母親の人生を描いた点で、この映画は新しい。

マジョリティは「自分が普通だ」と思い込んでいるからこそ、
マイノリティに、自分の幸せを押し付けてくる。
しかしこの映画に登場する母親は、自身も国籍マイノリティを背負ってきた存在だ。
そう鑑みれば、ハッピーエンドにも重みが増してくるというもの。
この作品では、ゲイの息子を持つ母親が、陰の主役なのである。
ハル・ベリー並みに美しいインド出身の女優、
スレイカ・マシューを起用したのも、納得。

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