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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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製作年:1970年
製作国:アメリカ
監督:ロバート・アルトマン
出演:ドナルド・サザーランド、エリオット・グールド、
トム・スケリット、サリー・ケラーマン



___________________________________

大地震と津波の影響で、日本は大きな混乱に陥っている。
何十万人が避難所生活を送り始めたが、
元通りの環境へ戻れる見通しは、全く立っていない。
礼儀正しく我慢強いことでは定評のある日本人だが、
長く避難所生活が続くと、衣食住のほかにも、
さまざまな欠乏に悩まされることとなるだろう。
エンターテインメント、プライバシー、そしてセックス……。
こうした営みはモラルを最優先させる環境において、
”贅沢な快楽”や”悪”扱いされる危険があるのだ。

本作は野戦病院という、
やはり極限の状況に追い込まれた医師たちの姿を描く、
破天荒なコメディだ。
彼らは次々と担ぎ込まれる血まみれの負傷者をオペしながら、
軽口を叩きあい、鼻歌を歌う。
術後には看護婦をナンパ。酒宴を繰り広げる。
集団に溶け込まないものは、徹底的にイジメ抜く。
思わず眉をしかめたくなるような、不謹慎のオンパレードだ。
しかし脚本の要は、ブレていない。
彼らは職業倫理を失わず、患者の手当てを最優先させていくのだ。
 「仕事はきちんとやる。だがそのやり方について、とやかくは言わせない。
  ストレスだって、発散しなけりゃやりきれない。規律なんてクソ食らえだ!」
そんな自由礼賛、個人解放のメッセージが大いに受け、
ベトナム戦争下にあったアメリカでは、大ヒットを記録した。

しかし極限の状況下において、実際にこのような振る舞いを繰り返せば、
間違いなく轟々たる非難を浴びるだろう。
制作現場ですら監督の意図は明確に伝わっておらず、
俳優たちは「とんでもない作品に出演しているのではないか」と
不安を抱いていたようだ。
現実には満たせない本音と欲求を昇華した、虚構の世界。
つまり映画に課せられた本来の役割を、
時代に即したアプローチで全うしようとした作品なのである。

個人的には自然災害に怯える今だからこそ、
多くの人に観ておいてもらいたい1本だと感じた。
ただし見方を誤ると混乱を招きそうなので、
処方箋のようなものを付け加えておきたいと思う。
僭越なので、普段は絶対にしないことなのだが……。

まず本作を鑑賞し、共感を憶えた人に言っておきたいのは、
「このユーモア感覚を、大切にする程度に留めて」ということ。
できれば「自分もこんな風に生きよう」などと、考えないで欲しい。
周りはいい迷惑である。
また、規律から逸脱した者を許す立場になった時、
”理解の材料”として、活用するのもおすすめだ。

反感を憶えた人に言っておきたいのは、
「これはあくまで映画である」ということ。
しかし人々の本音やエゴイズム、そして集団心理の働きを、
鋭く滑稽に描き出しているのは確かなので、
よく分析し、保身の糧として欲しい。


最後に、避難所生活を強いられている血気盛んな人々に、
より多くの慰めが訪れることを強くお祈りいたします。

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原題:L'evenement Le Plus Important Depuis Que L'homme A Marche Sur La Lune
製作年:1973年
製作国:フランス/イタリア
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、マルチェロ・マストラヤンニ、
ミシュリーヌ・ブレール、マリサ・パヴァン、ミレイユ・マチュー



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ジャック・ドゥミ×ミシェル・ルグラン×カトリーヌ・ドヌーヴの
黄金トリオによる作品といえば『シェルブール~』、『ロシュフォール~』、
そして『ロバと王女』があるわけだが、
さらにもう1作あったとは、つい最近まで知らずにいた。
それがこの映画。

本作はまず、他の3作と違い、ミュージカル仕立てではない。
主題歌を歌うミリエル・マチューの歌唱シーンは挿入されるが、
本当に一瞬のカメオという感じ。
あとは俳優たちの台詞と演技により進行していく、
所詮コメディ映画だ。
しかし他の3作と比べても、圧倒的に駄作。
知名度が低いのも、思わず納得のトホホなできばえだった。

鑑賞動機はといえば、上記の3人にマルチェロ・マストラヤンニも
加わっていたから。
60~70年代のイタリアを代表する俳優であり、
ドヌーヴとはプライベートでも恋愛関係にあったので、
どんな化学反応が起きているのか、と期待したのだが、
彼のイメージを気遣いすぎた演出がことごとく裏目に出ていて、
映画全体の切れ味が鈍っている感が、否めない。

「男が妊娠する」という設定の物語に期待されるのは、
いわゆるフェミニスティックな視点である。
子作りの面倒をすべて女性に押し付けている男性が、
ジェンダーの反転により苦労を背負い、
男の誇りを傷つけられる姿を見ることで、女たちは溜飲を下げるはず。
さらに彼が女性化していく場面があるとすれば、
コメディとしてなお面白い。
もともと脚本重視の監督ではないし、
結末より過程を見せるという意味で、
これらの要素をたっぷりと盛り込んでおけば、
いま見ても楽しめる作品に仕上がったはずなのだ。

しかしマストラヤンニはせいぜいお腹が重くて、
腰が痛いといった様子を見せる程度で、いつもの調子。
「男の妊娠」と聞いてまず連想される同性愛へのほのめかしに対し、
断固たる否定を表明するのも興醒めで、退屈極まりない。
この程度のキャンプさしか表現できていないのは
時代のせいかもしれないが、
妙にレズビアンぽいキャラクターはちょくちょく登場してくるので、
もしかしたらドゥミは、フェミニズムとかゲイカルチャーを小馬鹿にする、
極ノンケ的な姿勢でこの映画を撮ったのかもしれない。
そんなセンスだから70年代後半以降、生き残れないんだっつ~の。

ただ彼一流の色彩感覚は、本作でも健在。
ホント、並のゲイ以上にポップな感性を持った監督であることだけは確かだ。
ドヌーヴが身に纏うカラフルなモヘアのニットや、
フェイクファーのコートを眺めているだけでも、
充分に楽しい時間を過ごせるという事実を、ここに付け加えておこう。


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製作年:1970年
製作国:日本
監督:吉田喜重
出演:岡田茉莉子、細川俊之、楠侑子、
原田大二郎、伊井利子



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ATG、吉田喜重とくればアートしちゃってるんだろうなと思いつつ、
つい手を伸ばしてしまった作品。
165分と長尺だが、未公開シーンを加えてさらに長く、
ディレクターズ・カットに近い体裁を整えたDVDも、発売されているようだ。

しかし飽きさせない内容だった。
三島由紀夫の戯曲ばりにデコラティヴな台詞、
計算された画角、大正モダンなインテリア、
そして過去と現在が入れ子状になった構成……。
こうした作風を見慣れていないと面食らうだろうが、
いまとなってはヌーベルヴァーグ同様、所詮様式美のひとつだ。

「結婚は私有財産制を助長し、真の民主主義を遠ざける行為だ」
という台詞が、鑑賞中一番印象に残ったのだが、
本作は実在の事件をモチーフに構築されている。
大杉 栄という共産主義者が、上記のような信条を元に、
妻を含めた女3人と平等な関係を同時進行させようとし、
結局まとめきれなくなって引き起こした『日陰茶屋事件』だ。

僕はこの事件について、また大杉 栄という人物について
全く知識がなかったのだが、
彼は『日陰茶屋事件』で一命を取りとめたのちに、
今度は軍人の手によって、愛人ともども虐殺されるという、
厳しい運命をたどっている(『甘粕事件』)。
僕が観た劇場公開版には、『甘粕事件』の場面は挿入されていなかったが、
これは意図したものなのか、それともカットされたのか、わからない
(タイトル的には、片手落ちなので……)。
とにかくこれらの事件について鑑賞前に調べておくと、
作品内のデティールがより明確に腑に落ちてくることを、付け加えておきたい。

それにしても共産主義思想には、いま聞いても充分に新鮮な主張が、
数多く込められている。
しかし生身の人間の手によって動かされると、
内実が伴わなくなってくるんだなぁ……、としみじみ。
中国の文革、そして日本の学生運動も然りだと、
観る者が複雑な心境に陥るのを見透かしたような、作風でもあった。

吉田監督のミューズ、岡田茉莉子は、
華があるけど二重顎。これが結構気になる。
しかしこの時代の細川俊之は、本当にハンサムで色男だ。
彼が大杉 栄を演じているからこそ、飽きずに観れた、というのもある。


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原題:SEXTETTE
製作年:1978年
製作国:アメリカ
監督:ケン・ヒューズ
出演;メイ・ウエスト、ティモシー・ダルトン、トニー・カーティス、
ジョージ・ハミルトン、ドム・デ・ルイーズ、リンゴ・スター



_____________________________________

ハリウッド伝説の一角を担う、メイ・ウエストの遺作。
美しくもスリムでもない女傑タイプの女優で、
自ら脚本を手掛けた、きわどくもウィットに富んだ艶笑ものの芝居が
まずブロードウェイで人気を獲得。その勢いでハリウッドにも進出した。

豊満な肢体を豪奢な衣装に包み、あけすけな台詞を連発するその姿は、
いま観ても充分刺激的であろうと思われる...、
なんて曖昧な物言いはイヤなのだが、
僕は全盛期の彼女の映画を、抜粋ぐらいでしか観たことがない。
ビデオ~DVDを通じて、ここ日本ではほとんどソフト化されたことがないのだ。

まず彼女の、セックスをほのめかす扇情的な芝居がプロダクション・コードに
ひっかかり、1940年代以降はハリウッドを追い出されてしまったこと、
そして下ネタをオブラートに包んだ台詞回しの数々が、
翻訳者泣かせであることが、ソフト化されにくい原因のようである。
しかし映画自体は日本でも公開されたことがあり、
黒柳徹子が特番の撮影に、突然メイの扮装で登場してきたりすることもあるので、
届くところにはきちんと届いていた、という印象。
近年の日本にはこうしたウィットを理解できる層も確実に存在するのだから、
多少意訳を駆使してでも、ソフト化を実現して欲しいものだ。

さて本作は、なんと御齢84歳のメイを主役に配したカルト映画。
しかも役柄は、「アメリカ1セクシーな女優」という、
どう見ても無理がある設定なので、
冒頭で早くも食傷気味になったのだが、なかなかどうして飽きさせない。
脚本は彼女が全盛期に書き下ろしたもので、
そのブラックユーモアの切れ味が、いまだ鈍っていないからだ。
また、彼女の存在自体がすでにカリカチュア化されていることを踏まえ、
観客が求めていない場面(濡れ場やラブシーンなどのウエット系)を
徹底的に排除しているのも、潔い。

僕は「老醜」を必要以上に意識させる演出が苦手で、
そうした場面を含む作品が嫌いだ。
いま思い出せるところでは『イシュタール』、『ジミー・ハリウッド』が最悪で、
イザベル・アジャーニ、ビクトリア・アブリルというヨーロッパの華を
それぞれ招いて添え者扱いにした、親爺の悪ノリアメリカ映画だから、
絶対に観ない方がよい。時間の無駄!
近年のウディ・アレンなんかも似たようなもので、
どうか裏方に徹してくれ、その齢とルックスで愛を囁かないで!、
と懇願したくなってしまう。
そこへいくと本作でのメイは、
豪華絢爛なファッション・ショー
(ハリウッド黄金期に数々の名作で衣装を担当してきた、
イーディス・ヘッドデザインのドレスを着用しまくる)や、
ピチピチマッチョな若者と互角に渡り合うトークの場面で、
そのビッチぶりが健在なところを、効果的に印象付ける。

またメイの恋人役である、3代目007のティモシー・ダルトンが、
イギリス人らしく品のあるコメディアンぶりを発揮し、
往年の二枚目スター、トニー・カーティスも脇を固める。
おデブなマネージャー役のドム・デ・ルイーズは、
意外に芸達者で飽きさせない。
他にも著名なロックスター(当時はまだロックがサブカルの象徴だった)が、
メイの存在に敬意を表す形で華を添えており、
なかなか楽しい作品に仕上がっていた。

それにしても84歳で撮影に臨むとは、すごい芸人根性。
台詞を憶えられないので、現場は大変だったようだ。
動きもなんとなく鈍いなぁ、と思って観ていたのだが、
ドレスの下で杖をつきながら歩いていたというのだから、恐れ入る。
「冥土の土産」として、これ以上はない作品であろう。

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原題:VALENTINO
製作年:1977年
製作国:アメリカ
監督:ケン・ラッセル
出演:ルドルフ・ヌレエフ、レスリー・キャロン、
ミシェル・フィリップス、キャロル・ケイン


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ハリウッド史上に燦然と輝くサイレント時代の美男スター、
ヴァレンチノの生涯を描いた伝記映画。
監督は灰汁の強いケン・ラッセルで、
僕のようにヴァレンチノの出演作品を観たことがない者でも、
充分楽しめる内容に仕上げてくれている。

ヴァレンチノを演じるのは、ロシアが生んだ天才バレエダンサー、
ルドルフ・ヌレエフ。
俳優としての映画出演はこれが初だったのではないかと思うが、
甘いマスク、美しく鍛え上げられた肉体、
そして洗練されたDUDE(っていうかオネエ)の所作までを備える彼には、
これ以上ないほどのはまり役だ。
また、ヴァレンチノのステージ・ワイフ役として、
元ママス&パパスのミッシェル・ウィリアムスが出演している。

ヌレエフの起用を活かすため、
アルゼンチン・タンゴの名手だったというヴァレンチノが、
ニューヨークの酒場でダンサーとして生計を立てていた
時代のエピソードも積極的に導入。
野次を飛ばすVIP気取りの上客に、
アーティスティック・リヴェンジを果たす場面は、痛快このうえない。
憎まれ役を徹底的にやりこめる演出は、毒気たっぷり。
女性の衣装や化粧もかなり頽廃的に作り込まれているので、楽しい。
この場面だけでも観る価値がある映画といえそうだ。

反面、ヴァレンチノを取り巻く悪意を誇張した、
牢獄や拳闘の場面に漂う濃厚な毒には、少々アテられ気味。
彼の死を以て完結する物語のため、
カタストロフィへ向かうに連れ、観ているのがしんどくなるほどだった。
しかしヴァレンチノの生涯を
「女からとことん愛された分、男(と袖にした女)から足を引っ張られた色男」
と見て、手加減なく描いた思いきりのよさがいい。
去年劇場で観たシャーリー・マクレーン主演の
『ココ・シャネル』は全然面白くなかったが、
伝記映画だって、ここまでエキセントリックに作り上げられるのだ。
やはり監督の個性とか力量とかは、映画の要である。

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