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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
stargazer33@infoseek.jp
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。 同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
昨年2011年は、なんと318本の映画を観た!
僕は今から10年前の2001年を、自分の中の「映画元年」として、
鑑賞した作品を記録につけ始めたのだが、
ちょうど節目の10年目に、かつてないほどの鑑賞数を達成することができた。
2010年11月に、5年間勤めた会社を辞めたからこそ、可能になった数字である。
のらりくらりと半年以上も、フリーの仕事や失業保険で食いつないでいたのだが、
たくさんある自由時間の中でも、
なにか意味のあることをしておこうという気持ちで、毎日毎日映画を観続けたのだ。
しかし習慣というのはすごいもので、夏に転職してからも、そのペースは崩れなかった。
年初のテーマにしていたのは
・中国圏の映画を観る
・スペイン/ラテンアメリカの映画を観る
・カンヌのパルムドールやグランプリ作品をできるだけ観ておく
・ゲイ系で観こぼしている映画を補完する
ぐらいだったのだが、途中から「邦画の名作」という金塊にぶち当たってしまい、
軌道が大きく修正された。
というわけで、これだけたくさんの映画を観たのだから、これから何回かに分けて、
極私的な映画賞を発表しちゃおう、と思い至った。
対象作品は、「僕が今年観た映画」というだけで、
製作年や国に基準も何もありません、あしからず★
まず今回は、作品賞部門です。
_______________
最優秀作品賞
『赤線地帯』
1956年/日本映画
監督:溝口健二
出演:京マチ子、木暮実千代、三益愛子、若尾文子、町田博子
選出理由:すごい映画はほかにもあったのだけど、「邦画の探求」という、
私的トレンドのきっかけとなってくれた作品として、思い入れ深い。
個人的に「娼婦映画」は最も好きなジャンルなのだが、
「現場」で生きる女たちのバイタリティや計算、そして哀しみを
誠実に描ききった作品で、非常に面白い。
豪華キャストの群像劇となっている分、
他の溝口作品に比べ余裕やユーモアが感じられるのも、いい。最高です。

_______________
作品賞ノミネート:
『ハリウッド★ホンコン』
2001年/香港・日本・フランス映画
監督:フルーツ・チャン
出演:ジョウ・シュン、グレン・チン、ウォン・チーケン
選出理由:大陸と香港の間に広がる断絶を寓話的に描いた、監督の代表作。
きらめく幸せを運ぶ悪魔という微妙な役柄を、ジョウ・シュンが完璧に演じている。

_______________
『失われた肌』
2007年/アルゼンチン・ブラジル映画
監督:ヘクトール・バベンコ
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、アナリア・コウセイロ
選出理由:南米の巨匠と若手スターのコラボにときめく。
退廃的でサスペンスタッチな物語と、
カラフルなのにどこかセピアがかったブエノスアイレスの色彩が、絶妙にマッチ。

_______________
『乱れる』
1964年/日本映画
監督:成瀬巳喜男
出演:高峰秀子、加山雄三、三益愛子
選出理由:古きよき日本女性の美学が、取り返しのつかない悲劇を招くことの苦しみを、
メロドラマ仕立てで描ききった秀作。泣ける。

_______________
『しあわせの雨傘』
2010年/フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェラール・ドパルデュー、ジェレミー・レニエ
選出理由:邪気の強い監督だが、コメディを撮るとキャラクターへの距離感が、
ほどよく調整される。
気軽に楽しめて、ある程度のクオリティも保っている良作。

_______________
『ラブ&デス』
1997年/イギリス映画
監督:リチャード・クウィートオニスキー
出演:ジョン・ハート、ジェイソン・プリートリー
選出理由:ゲイ系の中では最も気に入った作品。
『ベニスに死す』へのオマージュの中にも、
現代的なユーモアやヒューマニズムが投影されている。
ベビーフェイスでガチムチなジェイソンが、超かわいい!

_______________
『捕らわれた唇』
1994年/スペイン映画
監督:アスセナ・ロドリゲス
出演:ペネロペ・クルス、クリスティナ・マルコス、マリア・プヤルテ
選出理由:ラテンの情熱とひたむきなヒューマニズムを感じさせる、隠れた名作。
フランコ政権下で覚醒する良家の子女を、ペネロペが熱演する。

_______________
『羅生門』
1950年/日本映画
監督:黒澤明
出演:三船敏郎、森雅之、京マチ子
選出理由:怨念と保身が渦巻く人間模様を端的に描いた、名作中の名作。
京のエキセントリシズム、森の冷酷な色気、
そして三船の野性美が見事に引き出されている。

_______________
『リキッド・スカイ』
1983年/アメリカ映画
監督:スラヴァ・ツッカーマン
出演:アン・カーライル、パーラ・E・シェパード
選出理由:アメリカのインディ魂が炸裂するニューウェーヴ映画。
チープなアイディアがことごとく面白い効果を発揮。脚本も意外にしっかりしている。

_______________
『お茶漬の味』
1952年/日本映画
監督:小津安二郎
出演:木暮実千代、佐分利信、淡島千影
選出理由:小津のホームドラマの中でも、出色の出来栄え。
ユーモアたっぷりの展開に潜む、ピリ辛のシニシズムがいい塩梅だ。

_______________
『パンチドランク・ラブ』
2002年/アメリカ映画
監督:ポール・トーマスアンダーソン
出演:アダム・サンドラー、エミリー・ワトソン
選出理由:ヒーロー、そして恋愛というありふれた物語要素を、
オルタナティヴな感性を駆使してユニークに纏め上げた監督の手腕に、感心!

_______________
『拾った女』
1953年/アメリカ映画
監督:サミュエル・フーラー
出演:リチャード・ウィードマーク、ジーン・ピータース
選出理由:フィルムノワールの佳作。この時期のハリウッド映画は、
よく作りこまれた脚本とキャラクターの魅力だけでグイグイ引っ張れるから、すごい。

_______________
『芙蓉鎮』
1987年/中国映画
監督:シェ・チン
出演:リウ・シャオチン、チアン・ウェン
選出理由:政情に翻弄される社会を、国民の視線から描いた、貴重なクラシック。
愛される女と愛されない女の闘いが、
全編を通し伏線として描かれているので、意外にエンタメ。

_______________
『一瞬の夢』
1997年/中国・香港映画
監督:ジャ・ジャンクー
出演:ワン・ホンウェイ、ズオ・バイタオ
選出理由:大陸の若者の冴えない日常を、虚飾なく描く。
監督の客観的な視点、そして冷め切ったキャラクターからは、
欧米の青春映画にありがちなエゴの発露が、一切感じられない。
静かな暴力が際立つラストには、鳥肌が立った。

_______________
『悪魔の陽の下に』
1987年/フランス映画
監督:モーリス・ピアラ
出演:ジェラール・ドパルデュー、サンドリーヌ・ボネール
選出理由:エゴに基盤を置くストイシズムが辿る末路を、重厚に、幻想的に描く問題作。
宗教用語を巧みに織り交ぜた脚本も、機知に富んでいる。

_______________
『ナイン・シガレッツ』
2003年/メキシコ映画
監督:ウーゴロ・ロドリゲス
出演:ディエゴ・ルナ、ルカス・クレスピ、カルメン・マドリード
選出理由:南米映画新世代の才気がほとばしる快作。コンピューターに支配され、
暴力にあふれた現代社会の暗部を切り取っているにも関わらず、
すべてが確信犯的にポップで、軽い。

_______________
最低作品賞
『七夜待』
2008年/日本映画
監督:河瀬直美
出演:長谷川京子、グレゴワール・コラン
選出理由:近年の邦画も結構観たけど、
面白いと思ったのは塚本晋也と三池崇史くらいだった。
共通して歯痒く感じるのは「どんな人間/事象を支持している」或いは
「許しがたい人間/事象を告発する」という監督の強い主張が感じられないこと。
表現ってホントにそれでいいのでしょうか。
この映画もあちこちにいい顔をしている感じで、
何が言いたいのかよくわからない。有名タレントを起用したせいかと思って、
『殉の森』も観てみたが、基本的に描いていることは同じ。
問題提起があるだけで、葛藤が中途半端。これでは単なる現実逃避だ。
___________________
というわけで、作品賞の発表でした。
次回は女優関係をまとめるつもりです★
ポチッとお願いいたします★
僕は今から10年前の2001年を、自分の中の「映画元年」として、
鑑賞した作品を記録につけ始めたのだが、
ちょうど節目の10年目に、かつてないほどの鑑賞数を達成することができた。
2010年11月に、5年間勤めた会社を辞めたからこそ、可能になった数字である。
のらりくらりと半年以上も、フリーの仕事や失業保険で食いつないでいたのだが、
たくさんある自由時間の中でも、
なにか意味のあることをしておこうという気持ちで、毎日毎日映画を観続けたのだ。
しかし習慣というのはすごいもので、夏に転職してからも、そのペースは崩れなかった。
年初のテーマにしていたのは
・中国圏の映画を観る
・スペイン/ラテンアメリカの映画を観る
・カンヌのパルムドールやグランプリ作品をできるだけ観ておく
・ゲイ系で観こぼしている映画を補完する
ぐらいだったのだが、途中から「邦画の名作」という金塊にぶち当たってしまい、
軌道が大きく修正された。
というわけで、これだけたくさんの映画を観たのだから、これから何回かに分けて、
極私的な映画賞を発表しちゃおう、と思い至った。
対象作品は、「僕が今年観た映画」というだけで、
製作年や国に基準も何もありません、あしからず★
まず今回は、作品賞部門です。
_______________
最優秀作品賞
『赤線地帯』
1956年/日本映画
監督:溝口健二
出演:京マチ子、木暮実千代、三益愛子、若尾文子、町田博子
選出理由:すごい映画はほかにもあったのだけど、「邦画の探求」という、
私的トレンドのきっかけとなってくれた作品として、思い入れ深い。
個人的に「娼婦映画」は最も好きなジャンルなのだが、
「現場」で生きる女たちのバイタリティや計算、そして哀しみを
誠実に描ききった作品で、非常に面白い。
豪華キャストの群像劇となっている分、
他の溝口作品に比べ余裕やユーモアが感じられるのも、いい。最高です。
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作品賞ノミネート:
『ハリウッド★ホンコン』
2001年/香港・日本・フランス映画
監督:フルーツ・チャン
出演:ジョウ・シュン、グレン・チン、ウォン・チーケン
選出理由:大陸と香港の間に広がる断絶を寓話的に描いた、監督の代表作。
きらめく幸せを運ぶ悪魔という微妙な役柄を、ジョウ・シュンが完璧に演じている。
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『失われた肌』
2007年/アルゼンチン・ブラジル映画
監督:ヘクトール・バベンコ
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、アナリア・コウセイロ
選出理由:南米の巨匠と若手スターのコラボにときめく。
退廃的でサスペンスタッチな物語と、
カラフルなのにどこかセピアがかったブエノスアイレスの色彩が、絶妙にマッチ。
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『乱れる』
1964年/日本映画
監督:成瀬巳喜男
出演:高峰秀子、加山雄三、三益愛子
選出理由:古きよき日本女性の美学が、取り返しのつかない悲劇を招くことの苦しみを、
メロドラマ仕立てで描ききった秀作。泣ける。
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『しあわせの雨傘』
2010年/フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェラール・ドパルデュー、ジェレミー・レニエ
選出理由:邪気の強い監督だが、コメディを撮るとキャラクターへの距離感が、
ほどよく調整される。
気軽に楽しめて、ある程度のクオリティも保っている良作。
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『ラブ&デス』
1997年/イギリス映画
監督:リチャード・クウィートオニスキー
出演:ジョン・ハート、ジェイソン・プリートリー
選出理由:ゲイ系の中では最も気に入った作品。
『ベニスに死す』へのオマージュの中にも、
現代的なユーモアやヒューマニズムが投影されている。
ベビーフェイスでガチムチなジェイソンが、超かわいい!
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『捕らわれた唇』
1994年/スペイン映画
監督:アスセナ・ロドリゲス
出演:ペネロペ・クルス、クリスティナ・マルコス、マリア・プヤルテ
選出理由:ラテンの情熱とひたむきなヒューマニズムを感じさせる、隠れた名作。
フランコ政権下で覚醒する良家の子女を、ペネロペが熱演する。
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『羅生門』
1950年/日本映画
監督:黒澤明
出演:三船敏郎、森雅之、京マチ子
選出理由:怨念と保身が渦巻く人間模様を端的に描いた、名作中の名作。
京のエキセントリシズム、森の冷酷な色気、
そして三船の野性美が見事に引き出されている。
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『リキッド・スカイ』
1983年/アメリカ映画
監督:スラヴァ・ツッカーマン
出演:アン・カーライル、パーラ・E・シェパード
選出理由:アメリカのインディ魂が炸裂するニューウェーヴ映画。
チープなアイディアがことごとく面白い効果を発揮。脚本も意外にしっかりしている。
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『お茶漬の味』
1952年/日本映画
監督:小津安二郎
出演:木暮実千代、佐分利信、淡島千影
選出理由:小津のホームドラマの中でも、出色の出来栄え。
ユーモアたっぷりの展開に潜む、ピリ辛のシニシズムがいい塩梅だ。
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『パンチドランク・ラブ』
2002年/アメリカ映画
監督:ポール・トーマスアンダーソン
出演:アダム・サンドラー、エミリー・ワトソン
選出理由:ヒーロー、そして恋愛というありふれた物語要素を、
オルタナティヴな感性を駆使してユニークに纏め上げた監督の手腕に、感心!
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『拾った女』
1953年/アメリカ映画
監督:サミュエル・フーラー
出演:リチャード・ウィードマーク、ジーン・ピータース
選出理由:フィルムノワールの佳作。この時期のハリウッド映画は、
よく作りこまれた脚本とキャラクターの魅力だけでグイグイ引っ張れるから、すごい。
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『芙蓉鎮』
1987年/中国映画
監督:シェ・チン
出演:リウ・シャオチン、チアン・ウェン
選出理由:政情に翻弄される社会を、国民の視線から描いた、貴重なクラシック。
愛される女と愛されない女の闘いが、
全編を通し伏線として描かれているので、意外にエンタメ。
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『一瞬の夢』
1997年/中国・香港映画
監督:ジャ・ジャンクー
出演:ワン・ホンウェイ、ズオ・バイタオ
選出理由:大陸の若者の冴えない日常を、虚飾なく描く。
監督の客観的な視点、そして冷め切ったキャラクターからは、
欧米の青春映画にありがちなエゴの発露が、一切感じられない。
静かな暴力が際立つラストには、鳥肌が立った。
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『悪魔の陽の下に』
1987年/フランス映画
監督:モーリス・ピアラ
出演:ジェラール・ドパルデュー、サンドリーヌ・ボネール
選出理由:エゴに基盤を置くストイシズムが辿る末路を、重厚に、幻想的に描く問題作。
宗教用語を巧みに織り交ぜた脚本も、機知に富んでいる。
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『ナイン・シガレッツ』
2003年/メキシコ映画
監督:ウーゴロ・ロドリゲス
出演:ディエゴ・ルナ、ルカス・クレスピ、カルメン・マドリード
選出理由:南米映画新世代の才気がほとばしる快作。コンピューターに支配され、
暴力にあふれた現代社会の暗部を切り取っているにも関わらず、
すべてが確信犯的にポップで、軽い。
_______________
最低作品賞
『七夜待』
2008年/日本映画
監督:河瀬直美
出演:長谷川京子、グレゴワール・コラン
選出理由:近年の邦画も結構観たけど、
面白いと思ったのは塚本晋也と三池崇史くらいだった。
共通して歯痒く感じるのは「どんな人間/事象を支持している」或いは
「許しがたい人間/事象を告発する」という監督の強い主張が感じられないこと。
表現ってホントにそれでいいのでしょうか。
この映画もあちこちにいい顔をしている感じで、
何が言いたいのかよくわからない。有名タレントを起用したせいかと思って、
『殉の森』も観てみたが、基本的に描いていることは同じ。
問題提起があるだけで、葛藤が中途半端。これでは単なる現実逃避だ。
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というわけで、作品賞の発表でした。
次回は女優関係をまとめるつもりです★
ポチッとお願いいたします★
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製作年:2010年
製作国:日本
監督:佐藤寿保
出演:安井紀江、佐久間麻由、渡辺真紀子、鳥肌実、草野イニ

_____________________________________
『AV女優』というシリーズ本があった。
その存在は世の隅々まで浸透しているのに、
全く発言権の与えられていない女性達の声をかたちにした、
画期的かつニッチな一般向け読み物であり、
僕は非常に興味深く愛読していた。
まとめているのは永沢光雄というライター。
流れ流れて、エロ業界にたどり着いたという諦念が、
文章の端々から伝わってくるタイプの物書きだった。
くぐり抜けてきた修羅場で培ったのであろう、
慈愛に満ちた眼差しで女優たちを見つめ、
時に父親のように困惑の体で、過激な発言の数々を纏めていく。
人によっては古臭さや偽善を感じかねない文体だが、
それでもプロとして、「一本筋を通したスタイル」を感じさせてくれたので、
僕は好感を抱いていた。
このシリーズは確か、パート2までで終了してしまった。
永沢光雄が亡くなったためである。
もっと続きが読みたかった、と思っていたので、
書店で『名前のない女たち』を見つけたときは、驚いた。
ライターは別人だが、、明らかに『AV女優』シリーズの後釜を狙う雰囲気が
漂っていたからだ。違っていたのははじめから、
「企画女優へのインタビュー」というコンセプトを持っている点である。
企画女優とは、高額のギャラを稼ぐ「単体売り可能な」人気女優ではなく、
その他大勢のひとりとして脇役や、
過激なコンセプトの「企画もの」に挑む、B級AV女優のこと。
業界に従事する女性達の本音を、
さらに突っ込んだかたちで掘り起こせそうな企画ではある。
果たしてその内容は、こちらの予想を、さまざまな意味で裏切ってきた。
AV女優の肉声を収集した、ふたりの男
『名前のない女たち』の著者は、中村敦彦というライター。
永沢光雄の確立したスタイルからは、かけ離れた文章を書く人だった。
何よりも視点の、底意地が悪い。
AV女優へのインタビューをまとめる人間、そして読む人間は、
そこに何を期待するのだろうのか。
恐らく、以下の二点に集約されるのではないかと思う。
「なぜAV女優になったのか?」
「そこで何を得て、何を失ったのか」
AV女優たちから返ってくる言葉は、
信じられないほど凄惨な体験の記憶だったり、
呆れるほど何も考えてこなかった女の放言であったりと、さまざまなのだが、
共通しているのは彼女たちの置かれている立場。
自覚があるにせよ、ないにせよ、
不特定多数の目に向け、自らの性器を曝すという作業には、
それなりのリスクが伴っている。
永沢光雄も中村敦彦も、基本的にはこの2つの質問を軸に、
AV女優との交流を図っていくのだが、
受け止め方、吐き出し方は明らかに異なっている。
永沢光雄はAV女優に対し、畏敬と憐憫の入り混じった複雑な思いを抱きつつも、
ネガティヴな私情を封じ込める自制心を、常に働かせていた。
女たちのふてぶてしく反抗的な態度を、
なぜか自らの落ち度として背負い込もうとする時さえあったのだ。
彼なりの心意気を以って、
「AV女優たちの本音」という最後の砦を守り抜こうとしたのである。
性の商品化という荒涼とした素材に対し、
身を挺してフィルターの役割を果たすことで、
読む者を脅かさない、どこかフィクショナルな世界を作り上げたのだ。
このスタンスがあったからこそ、読者はAV女優たちの言葉に、
素直に耳を傾けられたのである。
対して中村敦彦は シニシズムに満ちた視点でAV女優を眺め、
疑念をストレートに投げつけ、暴いた欺瞞を克明に記そうと試みる。
その透徹な態度は時に女たちを激怒させ、取材そのものを破綻させてしまうのだが、
その様子さえ、ドキュメンタリータッチで容赦なく記録し、発表していく。
2人の物書きの態度には、演歌とパンクぐらいに大きな隔たりがあった。
僕ははじめ、中村敦彦のスタンスに不快感を憶えていた。
常軌を逸している、と感じたのだ。
しかし彼が人選し、インタビューを試みたAV女優たちは、
現代の百鬼夜行と呼んで差し支えないほど、
おどろおどろしい運命を背負う女たちばかりだった。
その悲惨な過去や、体験をさらに読み進みたくなる好奇心に抗うことは難しく、
いつしか僕は『名前のない女たち』の虜になっていた。
女が裸にさえなれば喜ばれ、金になる時代はとうに過ぎ去っている。
過激化の一途を辿る飽食のポルノ産業に、
中村敦彦のスタンスはよく適応していたと思う。
彼が永沢光雄を意識していたのかどうか、定かではないが、
180度異なるスタイルを貫かなければ、『AV女優』シリーズを超えることは、
決してできなかっただろう。
かように優れた2人の物書きを引き寄せるAV業界とは、
現代の「文学の現場」といっていい。
例え携わる人間ひとりひとりに、その自覚はないとしても……。
切り拓かれた新境地は、無に帰した
上記のように偏愛した『名前のない女たち』が映画化されると知って、
ぜひ鑑賞したいと思っていた。ようやく観ることができたのだが、
残念ながら、その出来には落胆してしまった。
『名前のない女たち』に収録されたインタビューは上手に脚本へ取り入れられていたし、
主演女優のふたりもよく頑張ったと思えるのに、なぜだろう。
それは中村敦彦の貫いた、孤立無援の厳しさがが伝わってこなかったからである。
監督の佐藤寿保はピンク映画を主戦場として活躍してきた人物で
(観たことないが、ゲイものも撮っているらしい)、
そのアーティスティックなスタイルはピンク映画の範疇を超え、評価を受けているという。
しかし本作からは、ジャンルの壁を超え普遍的な感慨をもたらす、
鬼才の手腕というべきものが、感じられなかった。
一般映画としてAVの世界を描くチャンスに、
なぜこのような手緩い解答しか導き出せなかったのだろう。
保守的な配給会社に敬遠されることを恐れたから?
それではあまりに、観衆を見くびりすぎている。
大衆は皆何食わぬ顔で、ハードコアポルノの世界に、日常的に触れている。
その裏側を堂々と、広く知らしめる機会に、自らの表現力を最大限発揮しなくて、
いつ発揮するのだろう。
本作で最も印象に残ったのは、反目し合うふたりのAV女優が打ち解けあい、
裸でじゃれ合うシーンだった。
過酷な現実をくぐり抜けてきた女性2人が、一瞬垣間見た、美しい桃源郷。
世に「淫売」「変態」と罵られ、蔑まれる女たちに通う真心のようなものが伝わってくる。
しかし敢えてそこに踏みとどまろうとするのは、永沢光雄の美学だ。
中村敦彦はその「美しき誤解」に挑み、新境地を開拓した物書きなのである。
これでは彼が、あまりに浮かばれないと思った。
本作の主人公、ルルのモデルになっている木下いつきというAV女優は、
アニメ好きでもないのに、AV女優として大成するため「オタク女」を装い、
それなりの成功を収めた上で逆さ吊りにされ、
体中の穴という穴にザーメンを流し込まれ、
無抵抗の状態で顔面を腫れ上がるまで殴打され、
その一部始終を記録され、販売された。
しかし映画には、その地獄が一切描かれない。
事実は小説より奇なり? それではあまりに、寂しすぎる。
映画の持つ可能性を見くびりすぎている。
何が彼女の人生をそこまで追い込んだのか?
その背景にあるのは個人的な運命なのか、それとも社会全体が抱える問題なのか?
この陰鬱な問いかけをリアルに受け止めるには、
やはり原作を読むしかない。
追記:『名前のない女たち』は現在、パート4までは文庫化され、
書店で入手可能である。ハードな内容なので、精神的に落ち気味の場合は、
手を出さないことをおススメするが、たまに心底笑えるインタビューもあり。
僕はパート2に収録された「淫乱女/水野礼子」の稿が大好きで、
たまに読み返しては大笑いしている。
ポチッとお願いいたします★
製作国:日本
監督:佐藤寿保
出演:安井紀江、佐久間麻由、渡辺真紀子、鳥肌実、草野イニ
_____________________________________
『AV女優』というシリーズ本があった。
その存在は世の隅々まで浸透しているのに、
全く発言権の与えられていない女性達の声をかたちにした、
画期的かつニッチな一般向け読み物であり、
僕は非常に興味深く愛読していた。
まとめているのは永沢光雄というライター。
流れ流れて、エロ業界にたどり着いたという諦念が、
文章の端々から伝わってくるタイプの物書きだった。
くぐり抜けてきた修羅場で培ったのであろう、
慈愛に満ちた眼差しで女優たちを見つめ、
時に父親のように困惑の体で、過激な発言の数々を纏めていく。
人によっては古臭さや偽善を感じかねない文体だが、
それでもプロとして、「一本筋を通したスタイル」を感じさせてくれたので、
僕は好感を抱いていた。
このシリーズは確か、パート2までで終了してしまった。
永沢光雄が亡くなったためである。
もっと続きが読みたかった、と思っていたので、
書店で『名前のない女たち』を見つけたときは、驚いた。
ライターは別人だが、、明らかに『AV女優』シリーズの後釜を狙う雰囲気が
漂っていたからだ。違っていたのははじめから、
「企画女優へのインタビュー」というコンセプトを持っている点である。
企画女優とは、高額のギャラを稼ぐ「単体売り可能な」人気女優ではなく、
その他大勢のひとりとして脇役や、
過激なコンセプトの「企画もの」に挑む、B級AV女優のこと。
業界に従事する女性達の本音を、
さらに突っ込んだかたちで掘り起こせそうな企画ではある。
果たしてその内容は、こちらの予想を、さまざまな意味で裏切ってきた。
AV女優の肉声を収集した、ふたりの男
『名前のない女たち』の著者は、中村敦彦というライター。
永沢光雄の確立したスタイルからは、かけ離れた文章を書く人だった。
何よりも視点の、底意地が悪い。
AV女優へのインタビューをまとめる人間、そして読む人間は、
そこに何を期待するのだろうのか。
恐らく、以下の二点に集約されるのではないかと思う。
「なぜAV女優になったのか?」
「そこで何を得て、何を失ったのか」
AV女優たちから返ってくる言葉は、
信じられないほど凄惨な体験の記憶だったり、
呆れるほど何も考えてこなかった女の放言であったりと、さまざまなのだが、
共通しているのは彼女たちの置かれている立場。
自覚があるにせよ、ないにせよ、
不特定多数の目に向け、自らの性器を曝すという作業には、
それなりのリスクが伴っている。
永沢光雄も中村敦彦も、基本的にはこの2つの質問を軸に、
AV女優との交流を図っていくのだが、
受け止め方、吐き出し方は明らかに異なっている。
永沢光雄はAV女優に対し、畏敬と憐憫の入り混じった複雑な思いを抱きつつも、
ネガティヴな私情を封じ込める自制心を、常に働かせていた。
女たちのふてぶてしく反抗的な態度を、
なぜか自らの落ち度として背負い込もうとする時さえあったのだ。
彼なりの心意気を以って、
「AV女優たちの本音」という最後の砦を守り抜こうとしたのである。
性の商品化という荒涼とした素材に対し、
身を挺してフィルターの役割を果たすことで、
読む者を脅かさない、どこかフィクショナルな世界を作り上げたのだ。
このスタンスがあったからこそ、読者はAV女優たちの言葉に、
素直に耳を傾けられたのである。
対して中村敦彦は シニシズムに満ちた視点でAV女優を眺め、
疑念をストレートに投げつけ、暴いた欺瞞を克明に記そうと試みる。
その透徹な態度は時に女たちを激怒させ、取材そのものを破綻させてしまうのだが、
その様子さえ、ドキュメンタリータッチで容赦なく記録し、発表していく。
2人の物書きの態度には、演歌とパンクぐらいに大きな隔たりがあった。
僕ははじめ、中村敦彦のスタンスに不快感を憶えていた。
常軌を逸している、と感じたのだ。
しかし彼が人選し、インタビューを試みたAV女優たちは、
現代の百鬼夜行と呼んで差し支えないほど、
おどろおどろしい運命を背負う女たちばかりだった。
その悲惨な過去や、体験をさらに読み進みたくなる好奇心に抗うことは難しく、
いつしか僕は『名前のない女たち』の虜になっていた。
女が裸にさえなれば喜ばれ、金になる時代はとうに過ぎ去っている。
過激化の一途を辿る飽食のポルノ産業に、
中村敦彦のスタンスはよく適応していたと思う。
彼が永沢光雄を意識していたのかどうか、定かではないが、
180度異なるスタイルを貫かなければ、『AV女優』シリーズを超えることは、
決してできなかっただろう。
かように優れた2人の物書きを引き寄せるAV業界とは、
現代の「文学の現場」といっていい。
例え携わる人間ひとりひとりに、その自覚はないとしても……。
切り拓かれた新境地は、無に帰した
上記のように偏愛した『名前のない女たち』が映画化されると知って、
ぜひ鑑賞したいと思っていた。ようやく観ることができたのだが、
残念ながら、その出来には落胆してしまった。
『名前のない女たち』に収録されたインタビューは上手に脚本へ取り入れられていたし、
主演女優のふたりもよく頑張ったと思えるのに、なぜだろう。
それは中村敦彦の貫いた、孤立無援の厳しさがが伝わってこなかったからである。
監督の佐藤寿保はピンク映画を主戦場として活躍してきた人物で
(観たことないが、ゲイものも撮っているらしい)、
そのアーティスティックなスタイルはピンク映画の範疇を超え、評価を受けているという。
しかし本作からは、ジャンルの壁を超え普遍的な感慨をもたらす、
鬼才の手腕というべきものが、感じられなかった。
一般映画としてAVの世界を描くチャンスに、
なぜこのような手緩い解答しか導き出せなかったのだろう。
保守的な配給会社に敬遠されることを恐れたから?
それではあまりに、観衆を見くびりすぎている。
大衆は皆何食わぬ顔で、ハードコアポルノの世界に、日常的に触れている。
その裏側を堂々と、広く知らしめる機会に、自らの表現力を最大限発揮しなくて、
いつ発揮するのだろう。
本作で最も印象に残ったのは、反目し合うふたりのAV女優が打ち解けあい、
裸でじゃれ合うシーンだった。
過酷な現実をくぐり抜けてきた女性2人が、一瞬垣間見た、美しい桃源郷。
世に「淫売」「変態」と罵られ、蔑まれる女たちに通う真心のようなものが伝わってくる。
しかし敢えてそこに踏みとどまろうとするのは、永沢光雄の美学だ。
中村敦彦はその「美しき誤解」に挑み、新境地を開拓した物書きなのである。
これでは彼が、あまりに浮かばれないと思った。
本作の主人公、ルルのモデルになっている木下いつきというAV女優は、
アニメ好きでもないのに、AV女優として大成するため「オタク女」を装い、
それなりの成功を収めた上で逆さ吊りにされ、
体中の穴という穴にザーメンを流し込まれ、
無抵抗の状態で顔面を腫れ上がるまで殴打され、
その一部始終を記録され、販売された。
しかし映画には、その地獄が一切描かれない。
事実は小説より奇なり? それではあまりに、寂しすぎる。
映画の持つ可能性を見くびりすぎている。
何が彼女の人生をそこまで追い込んだのか?
その背景にあるのは個人的な運命なのか、それとも社会全体が抱える問題なのか?
この陰鬱な問いかけをリアルに受け止めるには、
やはり原作を読むしかない。
追記:『名前のない女たち』は現在、パート4までは文庫化され、
書店で入手可能である。ハードな内容なので、精神的に落ち気味の場合は、
手を出さないことをおススメするが、たまに心底笑えるインタビューもあり。
僕はパート2に収録された「淫乱女/水野礼子」の稿が大好きで、
たまに読み返しては大笑いしている。
ポチッとお願いいたします★
原題:KABOOM
製作年:2010年
製作国:アメリカ/フランス
監督:グレッグ・アラキ
出演:トーマス・デッカー、ヘイリー・ベネット、ジュノー・テンプル、
クリス・ジルカ、ジェームズ・デュヴァル

__________________________________
レズビアン&ゲイ映画祭で上映されていたので、観に行ってきた。
自分もゲイなのにナンだが、20周年を迎えた上記の映画祭や、
他のゲイ系のフィルムフェスティヴァルでかかっている映画には、
あまり興味がない。
平たく言うと、身内ウケの「所詮ゲイ映画」ばかりだからだ。
1990年代ならともかく、もうゲイなんていて当たり前、
受け入れられて当然のはずである。
特に映画は、現実の数歩先を行っていなくてはならないのだから、
新しい視点や問題提起のないゲイ映画なんて、観ていても始まらない。
そんなものに1時間半割くなら、他に観たい映画がいっぱいあるのだ。
レズビアン&ゲイ映画祭の今後は? ま、変わらないんだろう。
時代の先端を切り拓くような存在意義はとっくに失っているけど、
ゲイ文化のひとつとして、ローカルな映画祭がひとつふたつある分には、
別に構わないと思う。
アホらしくて、観には行かないけどね。
日本公開はもうないかも
グレッグ・アラキは、ニュー・クイア・シネマの旗手として、
90年代前半に大きな注目を浴びた監督だ。
日本でも初期の何作品かはソフト化されており、今も鑑賞することができるが、
『ノーウェア』(1997年)以降の作品は、劇場公開もソフト化もされていない。
2004年公開の『ミステリアス・スキン』なんか、かなり観たいのだが、
現状ではなす術がないのだ。
その『ミステリアス~』について少し前に調べたところ、
2005年のレズビアン&ゲイ映画祭で上映されたとのことで、
「しまった!」と大いに悔やんだ。
この『カブーン!』も恐らく今後、日本公開、ソフト化はされないのだろうから
「今回は見逃すまい」と、鼻息を荒くして出かけたのである。
こうしたニッチな監督の作品を上映できるのなら、
レズビアン&ゲイ映画祭にも、大いに意味がある。
監督自体がゲイで、作品にゲイ要素もたっぷり込められていて、
なおかつ映画としても面白いなら、こちらとしては積極的に観に行こうと考える。
他に日本公開の機会がなさそうなのであれば、
これはもう、プレミアムな価値があるではないか!
諸事情があってむずかしいのだとは思うが、身内ウケではなく、
本当に映画好きな人に「おっ」と思わせる映画祭になってくれたら、
こちらもどんどん身銭を切って、観に行くんだが。
ゲイと女が繰り広げる、自然体のセックス
さて前置きが長くなったが、本作は非常に面白いオルタナエンタメ映画である。
正直、期待以上だった。
デビューから20年以上経つのに、監督の感性が全然古びて見えないなんて、
これは果たしていいことなのか、悪いことなのかと、思わず考えてしまったほどだ。
セックス、カルト、殺人、超常現象、そしてシニシズム……といった、
血気盛んな若者を喜ばせる要素が、てんこ盛りとなっており、
若者気質な台詞は「ファック」や「ファッキン」の嵐。
メジャー映画とくらべても全く見劣りせず、
編集もスピーディ、画面作りも洗練されていて、
貧乏くさいところは特に見当たらない。
おまけにサスペンスフルなコメディなので、理屈抜きに楽しめる。
本作の主人公はゲイなのだが、面白いことに、そのゲイ友は一切登場してこない。
代わりに、魅力的な女の悪友が登場してくる。
サバサバとした自然体のビッチで、いかにもゲイ受けしそうな女たち。
さらに混沌としていることに、主人公はその女ともヤリまくるのである。
ここがミソなのだが、主人公はセックスする女性に対して、
自分がゲイであることを偽っていない。
つまりジェンダーに捕らわれない関係の先にある、
セクシュアルなファンタシーを描いてみせているのだ。
いざ自分が女とやれるかどうかは別として、何とも自由な感性だな、とは思う。
少なくとも、いまさら「僕はゲイなんだ、女とはやれないんだ」とか
のたまっている映画より、ずっと新しくて清々しい。
それに、ゲイが女とやれるということは、
ノンケ男が、男とヤレる可能性だってあるわけで、
本作には実際、そんなシーンも登場してくる。
自分がセクシーだと感じれば、相手が男でも女でも、構わないというわけなのである。
しかしこんなにぶっ飛んでいて面白い映画が、
日本で公開されそうもないなんて、つくづくもったいない話である。
世界の中心でどうのとか、余命何年がどうのとかいう映画を
喜んで観ている日本の若者には、やっぱりついてこれない世界なのだろうか。
ホントに保守的で、気持ち悪い限りだ。
それにしてもフランスってのは、やっぱ偉い国だなと思ってしまった。
中国圏の映画だけでなく、アメリカの異才にもちゃんと資金提供する人がいるんだから。
ちなみにオリジナルスコアは、ロビン・ガスリーが担当しております。
ポチッとお願いいたします★
製作年:2010年
製作国:アメリカ/フランス
監督:グレッグ・アラキ
出演:トーマス・デッカー、ヘイリー・ベネット、ジュノー・テンプル、
クリス・ジルカ、ジェームズ・デュヴァル
__________________________________
レズビアン&ゲイ映画祭で上映されていたので、観に行ってきた。
自分もゲイなのにナンだが、20周年を迎えた上記の映画祭や、
他のゲイ系のフィルムフェスティヴァルでかかっている映画には、
あまり興味がない。
平たく言うと、身内ウケの「所詮ゲイ映画」ばかりだからだ。
1990年代ならともかく、もうゲイなんていて当たり前、
受け入れられて当然のはずである。
特に映画は、現実の数歩先を行っていなくてはならないのだから、
新しい視点や問題提起のないゲイ映画なんて、観ていても始まらない。
そんなものに1時間半割くなら、他に観たい映画がいっぱいあるのだ。
レズビアン&ゲイ映画祭の今後は? ま、変わらないんだろう。
時代の先端を切り拓くような存在意義はとっくに失っているけど、
ゲイ文化のひとつとして、ローカルな映画祭がひとつふたつある分には、
別に構わないと思う。
アホらしくて、観には行かないけどね。
日本公開はもうないかも
グレッグ・アラキは、ニュー・クイア・シネマの旗手として、
90年代前半に大きな注目を浴びた監督だ。
日本でも初期の何作品かはソフト化されており、今も鑑賞することができるが、
『ノーウェア』(1997年)以降の作品は、劇場公開もソフト化もされていない。
2004年公開の『ミステリアス・スキン』なんか、かなり観たいのだが、
現状ではなす術がないのだ。
その『ミステリアス~』について少し前に調べたところ、
2005年のレズビアン&ゲイ映画祭で上映されたとのことで、
「しまった!」と大いに悔やんだ。
この『カブーン!』も恐らく今後、日本公開、ソフト化はされないのだろうから
「今回は見逃すまい」と、鼻息を荒くして出かけたのである。
こうしたニッチな監督の作品を上映できるのなら、
レズビアン&ゲイ映画祭にも、大いに意味がある。
監督自体がゲイで、作品にゲイ要素もたっぷり込められていて、
なおかつ映画としても面白いなら、こちらとしては積極的に観に行こうと考える。
他に日本公開の機会がなさそうなのであれば、
これはもう、プレミアムな価値があるではないか!
諸事情があってむずかしいのだとは思うが、身内ウケではなく、
本当に映画好きな人に「おっ」と思わせる映画祭になってくれたら、
こちらもどんどん身銭を切って、観に行くんだが。
ゲイと女が繰り広げる、自然体のセックス
さて前置きが長くなったが、本作は非常に面白いオルタナエンタメ映画である。
正直、期待以上だった。
デビューから20年以上経つのに、監督の感性が全然古びて見えないなんて、
これは果たしていいことなのか、悪いことなのかと、思わず考えてしまったほどだ。
セックス、カルト、殺人、超常現象、そしてシニシズム……といった、
血気盛んな若者を喜ばせる要素が、てんこ盛りとなっており、
若者気質な台詞は「ファック」や「ファッキン」の嵐。
メジャー映画とくらべても全く見劣りせず、
編集もスピーディ、画面作りも洗練されていて、
貧乏くさいところは特に見当たらない。
おまけにサスペンスフルなコメディなので、理屈抜きに楽しめる。
本作の主人公はゲイなのだが、面白いことに、そのゲイ友は一切登場してこない。
代わりに、魅力的な女の悪友が登場してくる。
サバサバとした自然体のビッチで、いかにもゲイ受けしそうな女たち。
さらに混沌としていることに、主人公はその女ともヤリまくるのである。
ここがミソなのだが、主人公はセックスする女性に対して、
自分がゲイであることを偽っていない。
つまりジェンダーに捕らわれない関係の先にある、
セクシュアルなファンタシーを描いてみせているのだ。
いざ自分が女とやれるかどうかは別として、何とも自由な感性だな、とは思う。
少なくとも、いまさら「僕はゲイなんだ、女とはやれないんだ」とか
のたまっている映画より、ずっと新しくて清々しい。
それに、ゲイが女とやれるということは、
ノンケ男が、男とヤレる可能性だってあるわけで、
本作には実際、そんなシーンも登場してくる。
自分がセクシーだと感じれば、相手が男でも女でも、構わないというわけなのである。
しかしこんなにぶっ飛んでいて面白い映画が、
日本で公開されそうもないなんて、つくづくもったいない話である。
世界の中心でどうのとか、余命何年がどうのとかいう映画を
喜んで観ている日本の若者には、やっぱりついてこれない世界なのだろうか。
ホントに保守的で、気持ち悪い限りだ。
それにしてもフランスってのは、やっぱ偉い国だなと思ってしまった。
中国圏の映画だけでなく、アメリカの異才にもちゃんと資金提供する人がいるんだから。
ちなみにオリジナルスコアは、ロビン・ガスリーが担当しております。
ポチッとお願いいたします★
原題:大三元
製作年:1996年
製作国:香港
監督:ツイ・ハーク
出演:レスリー・チャン、アニタ・ユン、ラウ・チェンワン

_____________________________________________
レスリー・チャンは非常に魅力的な俳優であった。
ゲイだったこともあり、僕にとっても非常に思い入れのある”哥哥(兄貴)”なのだが、
この世を去ってもう8年になるので、当然新作を観ることはできない。
そこで娯楽作として長らく後回しにしてきた本作を、
ようやく鑑賞したのだが、なんだかもう、唖然としてしまった。
香港エンターテインメントのクールさ、
ハードボイルドさが全開の作品だったのだ。
チンケな我執は全部捨てろ
本作の監督であるツイ・ハークは、香港エンタメ映画界の大成功者で、
そのフィルモグラフィは、アクションものやら
ノワール(ギャング)もので埋め尽くされている。
正直触手が動かないタイプであり、代表作は一切観ていないのだが、
たまに本作のような、コメディを撮っているようだ。
その演出たるや、恐ろしく過剰!
「何もそこまで……」と鼻白みかけるが、
最初から終わりまで、ビシッと一本筋を通してくるので、納得しないわけにはいかない。
すなわち、「作品に必要」と判断される以外のナルシシズムを、
俳優から一切剥奪してしまうのだ。
本作では、ヒロインであるアニタ・ユンの奮闘ぶりが、特筆に価する。
過去にもレスリーの相手役として、ボーイッシュな少女を演じてきた彼女だが、
今回の役どころは娼婦。
明らかに大陸出身と思われる厚化粧、
派手なだけでセンスのかけらも感じられないスタイリングを施され、
怒鳴る、走り回る、ひっぱたかれる、口からスナック菓子を吹く、
揚句の果てにエロ写真のモデルを承諾しようとまでする。
ここまできたら、イメージもへったくれもない。
彼女の娼婦仲間には、それなりの美人女優が揃うのだが、
一様にセンスの悪いヘアメイクを施し、
やけくそといわんばかりの怪演を強いる。
ギャングもので人気の俳優、ラウ・チェンワンには、
自分の足の匂いを嗅がせて、ゲロを吐かせる。
美青年という設定のレスリーでさえ、
プレスリーの格好で街中に放り出す。
”どS”と呼んで差し支えないほど、ハードボイルドな演出である。
でもエンターテインメントとは本来、滑稽であって然るべきものなのだ。
役者は自分を投げ出し、
ギリギリまで観客の嗜好に迎合しなければならない。
自分のやりたいことと、観客が求めていることの
バランスを計るのが、難しいのはわかる。
しかしやることをやらないで自己主張ばかりしていても、
始まらないのである。
わかりやすい例として挙げるので、ファンの方には申し訳ないのだが、
日本の福山雅治とか観ていると、
僕は背中がムズムズして、一刻も早く逃げ出したくなる。
ああいう格好の付け方というのは、少なくともエンターテインメントとは呼べない。
裸の王様みたいだし、別の意味で滑稽である。
そう考えると、ちんまいプライドに固執しているタレントに気を遣った、
近年の日本映画なんかアホらしくて、とても観ていられない
(同世代の価値観というテリトリーから抜け出せない、青臭い単館映画もご同様)。
今回は遊びだから、余裕なんです
本作は演出ばかりではなくて、脚本も優れている。
一見ドタバタコメディなのだが、登場人物たちの背景が、
意外にしっかりと設定されているのだ。
身体を売りつくしても借金の減らないアニタ・ユンの境遇なんて、
はっきり言って悲惨の局地。
そんな彼女を食い物にしようと蠢くヤクザたちも、
筋に矛盾や破綻が生じないようにきちんと描かれている。
だから突然暴力的なシーンが出てきて、「あれ?」なんて思ったりするのだが、
またコメディ演出の渦に巻き込まれて、忘れてしまう……。
ここらへんの匙加減にはツイ・ハークの”本業”が活きており、
ただ無責任に映画を作っているのではないことが、伝わってくるのだ。
安易なハッピーエンドに雪崩れ込まないラストも、非常に大人だった。
レスリーみたさで手に取った作品だったが、
香港エンターテインメントの底力に、改めて感じ入った。
ポチッとお願いいたします★
製作年:1996年
製作国:香港
監督:ツイ・ハーク
出演:レスリー・チャン、アニタ・ユン、ラウ・チェンワン
_____________________________________________
レスリー・チャンは非常に魅力的な俳優であった。
ゲイだったこともあり、僕にとっても非常に思い入れのある”哥哥(兄貴)”なのだが、
この世を去ってもう8年になるので、当然新作を観ることはできない。
そこで娯楽作として長らく後回しにしてきた本作を、
ようやく鑑賞したのだが、なんだかもう、唖然としてしまった。
香港エンターテインメントのクールさ、
ハードボイルドさが全開の作品だったのだ。
チンケな我執は全部捨てろ
本作の監督であるツイ・ハークは、香港エンタメ映画界の大成功者で、
そのフィルモグラフィは、アクションものやら
ノワール(ギャング)もので埋め尽くされている。
正直触手が動かないタイプであり、代表作は一切観ていないのだが、
たまに本作のような、コメディを撮っているようだ。
その演出たるや、恐ろしく過剰!
「何もそこまで……」と鼻白みかけるが、
最初から終わりまで、ビシッと一本筋を通してくるので、納得しないわけにはいかない。
すなわち、「作品に必要」と判断される以外のナルシシズムを、
俳優から一切剥奪してしまうのだ。
本作では、ヒロインであるアニタ・ユンの奮闘ぶりが、特筆に価する。
過去にもレスリーの相手役として、ボーイッシュな少女を演じてきた彼女だが、
今回の役どころは娼婦。
明らかに大陸出身と思われる厚化粧、
派手なだけでセンスのかけらも感じられないスタイリングを施され、
怒鳴る、走り回る、ひっぱたかれる、口からスナック菓子を吹く、
揚句の果てにエロ写真のモデルを承諾しようとまでする。
ここまできたら、イメージもへったくれもない。
彼女の娼婦仲間には、それなりの美人女優が揃うのだが、
一様にセンスの悪いヘアメイクを施し、
やけくそといわんばかりの怪演を強いる。
ギャングもので人気の俳優、ラウ・チェンワンには、
自分の足の匂いを嗅がせて、ゲロを吐かせる。
美青年という設定のレスリーでさえ、
プレスリーの格好で街中に放り出す。
”どS”と呼んで差し支えないほど、ハードボイルドな演出である。
でもエンターテインメントとは本来、滑稽であって然るべきものなのだ。
役者は自分を投げ出し、
ギリギリまで観客の嗜好に迎合しなければならない。
自分のやりたいことと、観客が求めていることの
バランスを計るのが、難しいのはわかる。
しかしやることをやらないで自己主張ばかりしていても、
始まらないのである。
わかりやすい例として挙げるので、ファンの方には申し訳ないのだが、
日本の福山雅治とか観ていると、
僕は背中がムズムズして、一刻も早く逃げ出したくなる。
ああいう格好の付け方というのは、少なくともエンターテインメントとは呼べない。
裸の王様みたいだし、別の意味で滑稽である。
そう考えると、ちんまいプライドに固執しているタレントに気を遣った、
近年の日本映画なんかアホらしくて、とても観ていられない
(同世代の価値観というテリトリーから抜け出せない、青臭い単館映画もご同様)。
今回は遊びだから、余裕なんです
本作は演出ばかりではなくて、脚本も優れている。
一見ドタバタコメディなのだが、登場人物たちの背景が、
意外にしっかりと設定されているのだ。
身体を売りつくしても借金の減らないアニタ・ユンの境遇なんて、
はっきり言って悲惨の局地。
そんな彼女を食い物にしようと蠢くヤクザたちも、
筋に矛盾や破綻が生じないようにきちんと描かれている。
だから突然暴力的なシーンが出てきて、「あれ?」なんて思ったりするのだが、
またコメディ演出の渦に巻き込まれて、忘れてしまう……。
ここらへんの匙加減にはツイ・ハークの”本業”が活きており、
ただ無責任に映画を作っているのではないことが、伝わってくるのだ。
安易なハッピーエンドに雪崩れ込まないラストも、非常に大人だった。
レスリーみたさで手に取った作品だったが、
香港エンターテインメントの底力に、改めて感じ入った。
ポチッとお願いいたします★
製作年:1958年
製作国:日本
監督:小津安二郎
出演:佐分利信、田中絹代、山本富士子、浪花千栄子、
久我美子、有馬稲子、笠智衆

_______________________________________
個人的な話だが、今年は自分の中で”邦画元年”になった。
特に面白く感じるのは1940~50年代の映画で、いま片っ端から観ている。
ひと言でいえば、一定の品格が漂う、普遍性を獲得した作風がいい。
特に大映の映画はよく観ている。
同時代の女優の中でも抜きん出た魅力を持つ、
京マチ子、若尾文子を専属として抱えていたからだ。
しかしいつの頃からか、脇を固める老け役のひとりが気になりはじめた。
どぶ池に咲く浪花の徒花
その女優の名は、浪花千栄子。
関西弁しか喋れない、いや喋らない。

しかし彼女の操る言葉の中には、
独特の直截な響きがある。そして慇懃な含みがある。
いつだって性を超越した平野に屹立しながら、
観る者の想像力を掻き立てずにおかない。
その背景に、ひと言では語り尽くせぬ上方の伝統を垣間見る思いがして、
こちらは身悶えするのである。
黒澤明や溝口健二など、巨匠と呼ばれる監督は一度ならず、
彼女を作品にキャスティングしている。
本作の監督である小津安二郎にしても、海外での評価は非常に高いが、
こと浪花千栄子の魅力に関して、
外国人には逆立ちしてもわからないところがあるだろう。
標準語とは異なる響きを持つ関西弁の妙味、
さらに色街だった島之内(現在のミナミ)独特の言い回しを、
巧妙に操る彼女の真価が測れる幸せは、日本人だけに与えられた特権なのである。
振り回すだけ振り回す
本作の舞台は東京だが、浪花千栄子は京都から上京する、
旅館のおかみ役を演じている。
小津監督はこちらの想像以上に彼女の出番を設けてくれたので、大いに楽しめた。
『お茶漬けの味』とは正反対の役柄に挑む佐分利信は、
主役でありながら物語のトーンを陰鬱にする損な役回りだが、
そこに救いの笑いをもたらすのが、千栄子なのである。
コメディ部分を一身に引き受ける大活躍ぶりだった。
田中絹代との演技合戦もみどころのひとつ。
小津監督独特の三度撮り
(↑命名したのは僕なので、意味がわからないと思うが、
2人の人物が登場する1つのシーンを、全体で1回、各自のバストアップで1回づつ
撮影して、編集していると思われる)が、妙な緊迫感をもたらしていて、笑える。
東西の女が、会話のテンションを落とさぬよう、手綱を引き合うのだが、
東の女が「場のイニチアシヴを握らねば」と身構えるのに対し、
西の女はさほど考えず、天衣無縫に振舞っている。
しかしあまりに灰汁が強すぎて、つい相手を振り回してしまうのである。
そんな東と西、自意識と無意識の戦いを戯画的に表現した、
小津監督の客観的な視点が素晴らしかった。
千栄子がもっと観たい!
気付いたら今年に入って、浪花千栄子の出演作だけでも10本近く観ていた。
鑑賞前に調べたキャストの一覧に、その名が記載されていないことも多く、
いざ観始めたら千栄子が出てきて、キャッと言った事も度々である。
いまのところその活躍ぶりが目ざましく、
なおかつ役柄に好感が持てた(?)のは本作、
そして『瀧の白糸』と『夜の素顔』だろうか。
『夜の素顔』の方は名画座で鑑賞したので、
アマゾネスみたいな京マチ子との対決シーンを、ド迫力で楽しんだ。
次点は『祇園囃子』『女系家族』『丼池』あたりか……。
もっともっと彼女を観たいのだが、
先述のような理由で出演作が調べにくいうえに、出演量も膨大である。
コツコツと観て、アーカイヴでも作っていくしかない。
まず、自伝の『水のように』を入手しなければ……!
ごきげんさん。ま、ポチッと
製作国:日本
監督:小津安二郎
出演:佐分利信、田中絹代、山本富士子、浪花千栄子、
久我美子、有馬稲子、笠智衆
_______________________________________
個人的な話だが、今年は自分の中で”邦画元年”になった。
特に面白く感じるのは1940~50年代の映画で、いま片っ端から観ている。
ひと言でいえば、一定の品格が漂う、普遍性を獲得した作風がいい。
特に大映の映画はよく観ている。
同時代の女優の中でも抜きん出た魅力を持つ、
京マチ子、若尾文子を専属として抱えていたからだ。
しかしいつの頃からか、脇を固める老け役のひとりが気になりはじめた。
どぶ池に咲く浪花の徒花
その女優の名は、浪花千栄子。
関西弁しか喋れない、いや喋らない。
しかし彼女の操る言葉の中には、
独特の直截な響きがある。そして慇懃な含みがある。
いつだって性を超越した平野に屹立しながら、
観る者の想像力を掻き立てずにおかない。
その背景に、ひと言では語り尽くせぬ上方の伝統を垣間見る思いがして、
こちらは身悶えするのである。
黒澤明や溝口健二など、巨匠と呼ばれる監督は一度ならず、
彼女を作品にキャスティングしている。
本作の監督である小津安二郎にしても、海外での評価は非常に高いが、
こと浪花千栄子の魅力に関して、
外国人には逆立ちしてもわからないところがあるだろう。
標準語とは異なる響きを持つ関西弁の妙味、
さらに色街だった島之内(現在のミナミ)独特の言い回しを、
巧妙に操る彼女の真価が測れる幸せは、日本人だけに与えられた特権なのである。
振り回すだけ振り回す
本作の舞台は東京だが、浪花千栄子は京都から上京する、
旅館のおかみ役を演じている。
小津監督はこちらの想像以上に彼女の出番を設けてくれたので、大いに楽しめた。
『お茶漬けの味』とは正反対の役柄に挑む佐分利信は、
主役でありながら物語のトーンを陰鬱にする損な役回りだが、
そこに救いの笑いをもたらすのが、千栄子なのである。
コメディ部分を一身に引き受ける大活躍ぶりだった。
田中絹代との演技合戦もみどころのひとつ。
小津監督独特の三度撮り
(↑命名したのは僕なので、意味がわからないと思うが、
2人の人物が登場する1つのシーンを、全体で1回、各自のバストアップで1回づつ
撮影して、編集していると思われる)が、妙な緊迫感をもたらしていて、笑える。
東西の女が、会話のテンションを落とさぬよう、手綱を引き合うのだが、
東の女が「場のイニチアシヴを握らねば」と身構えるのに対し、
西の女はさほど考えず、天衣無縫に振舞っている。
しかしあまりに灰汁が強すぎて、つい相手を振り回してしまうのである。
そんな東と西、自意識と無意識の戦いを戯画的に表現した、
小津監督の客観的な視点が素晴らしかった。
千栄子がもっと観たい!
気付いたら今年に入って、浪花千栄子の出演作だけでも10本近く観ていた。
鑑賞前に調べたキャストの一覧に、その名が記載されていないことも多く、
いざ観始めたら千栄子が出てきて、キャッと言った事も度々である。
いまのところその活躍ぶりが目ざましく、
なおかつ役柄に好感が持てた(?)のは本作、
そして『瀧の白糸』と『夜の素顔』だろうか。
『夜の素顔』の方は名画座で鑑賞したので、
アマゾネスみたいな京マチ子との対決シーンを、ド迫力で楽しんだ。
次点は『祇園囃子』『女系家族』『丼池』あたりか……。
もっともっと彼女を観たいのだが、
先述のような理由で出演作が調べにくいうえに、出演量も膨大である。
コツコツと観て、アーカイヴでも作っていくしかない。
まず、自伝の『水のように』を入手しなければ……!
ごきげんさん。ま、ポチッと
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