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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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原題:Solo Quiero Caminar
製作年:2008年
製作国:メキシコ/スペイン
監督:アグスティン・ディアス・ヤネス
出演:エレナ・アナヤ、ディエゴ・ルナ、
ビクトリア・アブリル、アリアドナ・ヒル



____________________________

僕はスペイン女優ビクトリア・アブリルの大ファン。
『アタメ!』など90年代のアルモドヴァル作品で何作か主役を張っているので、
知名度はそれなりにあるかと思うのだが、
近年は本国で歌手活動にシフト気味のご様子……。
ここ日本では、2001年にペネロペ・クルスと共演した『ウェルカム! ヘブン』以来、
出演作の公開がなく、さびしい思いをしていたのだが、
昨年ようやく本作のソフト化が実現した(劇場公開はなし)。
レンタルで「新作」のタグが外れるのを待っており、
やっと観ることができたのだ、長かった……(←ケチ)。

内容的には、4人の女窃盗団がスペイン、メヒコを股にかけて
大立ち回りを繰り広げるといったアクションもの。
ただしディエゴ・ルナをはじめとする、敵役の男性陣にも充分出番が与えられている。
展開も終始シリアスでユーモア感覚に欠けるため、
女性映画に期待されるような華やかさは、ついに楽しめずじまい。

また本作はカット割りが非常に細かくて、長回しはほとんどない。
2つのエピソードを併走させる、スリリングな編集法も目立つので飽きは来ないのだが、
役者たちは大変だろうな、なんて余計な心配をしながら観ていた。
主人公が犯行現場にわざわざフラメンコドレスで赴くなど、
ラテンの刻印を常に意識させる画面作りには、好感が持てる。

そんな中、アブリルの出番に注目していたら「おやっ」と思う瞬間があった。
グロリア(アブリルの役名)が亡き母親の写真に語りかける場面があるのだが、
その老女の顔に見憶えがあったのだ。
そういえばアブリル主演の傑作『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』を
監督したのは、アグスティン・ディアス・ヤネス。
その時のアブリルの役名も、グロリア。
つまり本作は、グロリアのその後を描いた映画でもあったのだ。

ファンとしてこのギミックはとっても嬉しかったのだが、内容的には不満だらけ!
『死んでしまったら~』はどん底まで堕ちたグロリアが、
情深い義母の崇高な自己犠牲に支えられ、
立ち直るまでを描いた美しい作品だったのに、
また彼女が犯罪に手を染めて、最後には犬死にしてしまうなんて……あんまりだ。
この監督、時に常軌を逸した暴力表現をするし、どうも信用しきれないところがある。
『死んでしまったら~』が好きという人は、あまり観ない方がいい続編だ。

本作に出演しているディエゴ・ルナは、
ガエル・ガルシア・ベルナルと同じく
ハリウッドで成功しているメヒコ出身の俳優で、
なんとふたりは幼馴染みだという。
本作では揃って製作に名を連ねているが、出演はディエゴ・ルナのみ。
脚本にはギャング同士の絆を描く要素があり、
タイミング的にもふたりの主演でバディ映画を撮る、という手はあったはずなのだが、
監督がゴネたのだろうか。
いずれにしてもこの内容で出演したら、ハズレを引くのは、ガエル。
南米の俳優には頑張って欲しいので、変にモメてないといいけど、
なんて余計な心配をまたしてしまった。

最後に余談なのだが、アブリルが主演した2000年の映画、
『101レイキャヴィーク』を、どこかの会社がソフト化してくれないだろうか……。
タイトル通りアイスランドを舞台とした映画で、
ゲイ(レズビアン?)要素もあるらしいので、ぜひ観たいのであ~る。
ソフト化されたら、たぶん買います!

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原題:THE PIANIST
製作年:2002年
製作国:フランス/ドイツ/ポーランド/イギリス
監督:ロマン・ポランスキー
出演:エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン、
フランク・フィンレー、エミリア・フォックス



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正直に言うと、「またナチスの映画か~……」と思ってしまった。

第二次世界大戦中にナチスドイツが行った非業の数々を、
決して忘れてはならない。
それは確かなのだが、純粋に映画として観ると、
あまりにも描きつくされたテーマであるうえに、
ナチスを擁護する立場というのもまずありえないので、
観る前からある程度、内容が予想できてしまうのだ。

本作は2002年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞していたので、
もしかしたら何か、新しい切口がという期待を抱かないでもなかったのだが、
極めて破綻の少ない作品だった。
歴史の授業に資料として使われてもおかしくない、そんな感じだ。

終戦間近まで生き延びたユダヤ人の主人公が、
ナチス将校に庇われる展開が唯一意外であり、
主人公が「身を救う芸」を披露する場面は、
本作のハイライトであるはずなのだが、
そこに至るまでの過程が充分すぎるほど長いせいか、感興が湧きにくかった。
また心優しいナチ将校の登場はやや唐突で、
そのバックグラウンドもまるっきり描かれないので、感情移入がしづらい。

『アンネの日記』にも言えることだが、
隠れ家とは、イマジネーションがその翼を最大限に広げる密室である。
『テナント-恐怖を買った男-』も非常に面白い密室劇だったし、
ポランスキーほどユニークな手腕を持つ監督なら、
逃げ続けるユダヤ人を主人公に、
もっと斬新な映画が撮れたのでは、と思わないでもないのだが……。
しかし母親をホロコーストで亡くし、
自らも亡命を繰り返す幼少時代を送った彼にとって本作は、
表現者として真摯に取り組まねばならない、
宿題のようなテーマを持つ作品だったのだろう。

戦争や政情不安は、映画などの芸術表現に必ず影を落とす。
例えばもし今後、北朝鮮の独裁政権が崩れる時代が訪れた暁には、
その数十年先まで、圧制の日々を描く映画が産み落とされることだろう。
英雄や巨悪を産む戦争は充分にドラマチックで、
映画には格好の題材なのだろうが、
それを描くために、今後もどれほどの才能が費やされていくのだろうか。
そう考えると複雑で、いくばくか懐疑的な気持ちさえ湧き上がるのを、禁じえない。

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原題:BORDERTOWN
製作年:2006年
製作国:アメリカ
監督:グレゴリー・ナヴァ
出演:ジェニファー・ロペス、アントニオ・バンデラス、
マヤ・ザパタ、マーティン・シーン



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以前映画館で予告編を見て、気になっていた1本。
アメリカとの国境に面した、メキシコのフアレスという街で、
強姦、殺害遺棄された女性たちが、
何千人も発見されているという実話を元に紡がれた物語である。

僕は本作を観るまでこの事実について何も知らなかったのだが、
一連の殺人の背景には、1994年に発効された北米自由貿易協定があるようだ。
日本にも米の輸入自由化を迫っているアメリカが、
自国への経済効果のため、この協定をフル活用していることは容易に想像できる。
そしてメキシコ国内では、輸出量を増やすことで利益を得た富裕層と、
安価な輸入作物に押され困窮にあえぐ貧困層(農民)との間に、
大きな格差が広がっている。
加えて貧困層は、日本を含む海外資本の工場用に土地を奪われ、
1日数ドルという賃金で、奴隷のように酷使されているのだ。

一連の事件の餌食となった女性たちは、
深夜まで続いた工場での労働の後、
遠方にある住居へと帰宅する際に襲われたという。
電気や水道などの基本的な設備も充分に整っていない貧民窟は、
ただでさえ危険な上に、周辺に砂漠もあるという過酷な環境だ。
犯罪の隠蔽にはうってつけなのである。

この事件の悲惨さは、貧困層の女性の人権が徹底して蹂躙されているところにある。
政府は国内の富裕層拡大により促進される、
国力の増大に期待をかけており、
北米自由貿易協定の存続を望んでいる。
多くの犠牲が払われている過去と現状には、目をつぶっておきたいのだ。
一連の事件に関して検挙、逮捕された人物は一人もいないというのだから驚く。

DVDの特典映像に収録されたインタビュー映像の中で、
グレゴリー・ナヴァ監督は、「女性たちが使い捨てにされている」と訴える。
本作の製作にあたり、脅迫や妨害にも遭遇しており、
フアレスでの撮影中には、スタッフを誘拐、監禁されたというのだから酷い。
全く、国際的な醜聞ではないか。
作品内でも描かれていることだが、メキシコでは警察権力までもが一丸となって、
一連の事件を闇に葬ろうとしている。
先進国で発生する、精神異常の単独犯による連続殺人とは、
事件の質そのものが異なるのだ。

しかし純粋に映画として観ると、
本作は所詮”社会派サスペンス”の域にとどまっている。
ストーリー展開、演出ともに凡庸であり、
作品として突出した部分に欠けている。
散見されるドキュメント映像のような編集法や、
荒涼とした砂漠を映し出す”巧みな色使い”が印象に残るぐらいだ。

だがそうした仕上がりは、監督の確信犯的な戦略とも受け取れる。
すでにメキシコでは、この問題を扱った『消えた少女たち』(2001年)という
ドキュメンタリー・フィルムが製作されているが、、
マジョリティの関心を集めるまでには至らなかった様子。
敢えて観衆レベルに合わせた娯楽作品に仕立てることで、
より広範囲に問題を提起できると考えたのではないだろうか?
だが努力も虚しく、本作の全米公開は見送られた。
この事実からも、問題の寒々しい背景はさらに明確に浮き彫りとなってくるのである。

このブログのリード部分にも記しているが、
僕は映画をアートとして、娯楽として楽しみたいと、基本的には思っている。
だが映画は、一介の視点から政治の腐敗を告発するメディアとしても有効という事実に、
時に気づかされる。
その意味で本作には、内容以前の価値があった。

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原題:春风沉醉的晚上
製作年:2009年
製作国:中国/フランス
監督:ロウ・イエ
出演:ジャン・チョン、チェン・スーチョン、タン・ジュオ、
ウー・ウェイ、ジャン・ジャーチー、チャン・ソンウェン



___________________

ロウ・イエ監督の最新作。

去年の今ごろ『天安門、恋人たち』(2006年)を観て、
このブログに「新作が楽しみ」なんてのん気なことを書いていたのだが、
監督は天安門事件を描いたばかりに、
国から「映画製作を5年間禁じる」処分を受けたという。
すっかり資本主義化している中国とはいえ、
表現を取り締まる法規制はいまだ健在なのだ。

本作は画面がやたらグラグラしているうえに照明も暗くて、
俳優たちの表情さえよく見えない。
なんだってハンディカメラでこんな観づらい映像を撮っているのか、
これがスタイルのつもりなのかとイライラしたのだが
(というか、平衡感覚がヤラれて頭が痛くなった)、
そんな背景があったとは……。
資金はフランス、香港から助成してもらい、
撮影は国内でゲリラ的に行ったというのだから、頭が下がる。
苦境の中で勇敢に映画作りと向き合っている監督の熱意には、感動させられた。

本作の主人公はゲイなのだが、
中国社会において同性愛は、単なる性の嗜好にとどまらず、
「全体に逆らう生き方」として、二重の異端である。
たまたま先日、大連に一年間留学していたという
ゲイの知人と話す機会があったのだが、
街中にはゲイバーやディスコがあり、
ひと目で同族とわかるゲイとすれ違うこともあるとかで、
開放は進んでいるようだ。
しかし国家のイズムに反する存在として、
負い目を感じるプレッシャーは相当なものだろう。
個を貫くか否か、葛藤する同性愛者の姿は、
現代の中国映画において、さまざまな思想を投影できる格好の素材なのである。

前作と同じく、政治性が前面に押し出された作品ではないが、
環境から生じる影響が、物語に映し出されているのは当然のこと。
中国社会を覆う閉塞感は、外国人に実感として伝わりにくいが、
そんな描写の中にこそ、
現代中国映画の貴重なアイデンティティが含まれていることに、瞠目すべきだろう。
本作に対し「もっと普遍性を」などと的外れな批判を述べる批評家もいるようだが、
そうした意見は、規制を行う中国当局の態度を助長させることを、
よく自覚してもらいたい。

物語は、男×男×女の三角関係が、
奇妙な着地点を見出すのかと思わせたうえで、
最後にきっちりと帳尻合わせを行っている。
「どんな生き方を支持するのか」という監督の意見が
非常に明快に伝わってきたので、好感が持てた。
端正なジャン・チョン、
ガチムチで愛嬌のあるチェン・スーチョンというキャスティングからは、
ゲイ観衆の反応も念頭に入れていることがうかがえる。
次作はフランスで、外国人キャストと撮影中らしいが、
制限のない環境で描くはじめての映画だけに、
真価の問われる作品となりそうだ。

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原題:I ♥ Huckabees
製作年:2004年
製作国:アメリカ
監督:デヴィット・O・ラッセル
出演:ジェイソン・シュワルツマン、ジュード・ロウ、マーク・ウォールバーグ、
ダスティ・ホフマン、リリー・トムリン、イザベル・ユペール、ナオミ・ワッツ



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ユペールの出演作だから手に取った。
ジュード・ロウにしても欧州の俳優なので、
ハリウッドへの顔見世的な駄作かもと
期待はしていなかったのだが、割と面白かった。

世渡り上手と下手が登場する現代的な寓話で、
上手には鼻持ちならないエリートビジネスマン、
下手には環境保護活動家という役どころが、それぞれあてがわれている。
極資本主義の米国作品らしい設定だ。

世渡り上手とされるのは、社会のレールに乗り、キャリアを築ける人間。
パーティなどで一緒にいて楽しいのは、間違いなくこちらなのだろうが、
中身はペラペラ、非常に脆い倫理観の上でバランスを取っているので、
折につけ品性の下劣さが顔を出す。
世渡り下手はレールに乗り損ねた分卑屈で、所作も洗練されていないが、
物事の真理を見極めたいという志だけは持っている。
しかしこちらとて、油断をするとひね媚びた名誉欲が顔を出す。

こうした諸行無常を描くうえで、
本作は設定や脚本に、ライトな哲学アプローチを持ち込んだ。
世渡り上手にも世渡り下手にも「もっと思想を」、と
ブラックユーモアたっぷりに、両成敗な立場で問いかけている。

明快な対立構造を描いたアメリカ映画というのは、枚挙に暇がない。
今っぽい設定として、ジョックVSオタクの学園ものだと、
演出の八割がたでオタクの惨めさを際立たせ、
最後に逆転劇を用意していたりする。
逆に特定の職業にスポットを当てた物語の場合は、
エリートが悪役を担う場合が多いのではないか。

デヴィット・O・ラッセル監督の作品は初めて観たが、
生粋のNY人らしい。
本作を観る限り、ありふれた題材へのグラデーションのつけ方がユニークで、
機知に富んでいた。
この分だとウディ・アレンや、スパイク・リーに近いセンスを
持っているのではないかと、期待大。他の作品も観たくなった。

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