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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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原題:最好的時光
製作年:2005年
製作国:台湾
監督:ホウ・シャオシェン
出演:スー・チー、チャン・チェン



_________________________________


ホウ・シャオシェンの映画は、まず『非情城市』から観ようと決めていたので、
ずっと後回しにしていたのだが、これがいつまで経っても実現しない。
それもこれも、DVDを発売しているのが、紀伊國屋書店であるせいなのだ。
20年も前の作品に5.000円以上の値をつけた揚句、
レンタル禁止にして利益は独占する。
金回りがいい一部の人間にだけ、作品鑑賞の権利を与える気でいるらしい。
そんな紀伊國屋書店は、映画ファンの味方ではない。敵だ!

しかしこの『百年恋歌』は、監督の近作であり、
ラブストーリーとして扱えるので捌きやすかったせいなのか、
比較的小さなレンタル店にも置いてある。
そこで初志貫徹をあきらめ、観てみたのだが……、
これがものすごくよくてびっくりしてしまった!


時間を超え、さまざまなかたちで”すれ違う”、運命の人


本作は台湾という場所で時代を超え惹かれあう、
運命の恋人同士(スー・チー&チャン・チェン)の姿を、
3世代に渡って描くコンセプチュアルな作品である。

まず1966年。
これが最も純粋で、平和な純愛物語なのだが、
何より画面が美しくて、思わず息を呑んでしまう。
昼間でも薄暗いビリヤード場の内部を、
自然光を巧みに取り入れながら、
間接照明を使って淡く、カラフルに浮かび上がらせる。
チャン・チェンがよく晴れた日に自転車を走らせるシーンの、
躍動感溢れるカメラワークも印象的で、
人と自然が、今よりもバランスよく調和していた古き良き時代の雰囲気が、
イキイキと伝わってくる。

次に1911年。
60年代が甘く切ない展開だったので、
以降も同様に進む作品なのかと思っていたが、
打って変わった重苦しい雰囲気。
日本統治時代に、階級や職業によってがんじがらめにされた男女の恋物語であり、
女性側が涙を呑む、悲しい結末に仕上がっている。
こちらのパートは、サイレント映画の手法を敢えて採用しており、
台詞は文字で表現されていた。

最後は2005年。
混沌とした都会で生まれた愛は、素直な発育を阻まれ、逡巡する。
それでも惹かれあうふたりの、今にも途切れそうな脆い絆が、退廃的に表現されていた。
バイセクシュアルを演じるスー・チーは、不健康な雰囲気を醸しまくり。
いたずらに気だるく、強い芯を感じさせないキャラクターだけに、
好感を抱きにくいのだが、
見終わって一番印象に残ったのは、なぜかこのパートだった。


60代でもバリバリ、現役


ホウ・シャオシェン監督の生まれは1947年。
60代を目前に、本作を製作したことになる。
自身の青春時代にもっとも近い1960年代のパートには、
どこか理想的な雰囲気が漂っていたが、
前後する世代の恋物語には、客観的な視点が存在していた。
特に現代に関しては、バランスや抑制を失いがちな恋愛模様を、
拡大表現しているような印象すら受ける。

しかし30代の僕の目から見ても、この映像は非常にクールで、
特に説教臭くは感じられないのである。
カッコばかりで、弱くて、いつまでも自分探しを続けているような若者たち。
そんな彼らの間にも、このようなかたちで現代の純愛が
存在しているのかもしれない……。
こちらにそう思わせてしまうのだから、監督の感性は鋭く若い。
拝金主義のエセ純愛映画に、簡単に騙されてしまう正真正銘の若者より、
何倍も”現役”という感じなのだ。
加えて本作は、監督がどんな時代を舞台にしても、
説得力のある画面を作れることを、雄弁に証明していた。すごい!
もっともっと、この監督の作品を観たいと思わされた。


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原題:Searching for Debra Winger
製作年:2002年
製作国:アメリカ
監督:ロサンナ・アークエット
出演:ロサンナ・アークエット、パトリシア・アークエット、
デブラ・ウィンガー



________________________________________


大女優と呼ぶにはちと格の足りないロサンナ・アークエットが、
シングル・マザーとして自らの今後を憂いた揚句、
「これをテーマにドキュメンタリーを撮ってやろう」と一念発起。

 ・女は家庭と仕事を本当に両立できるのか?
 ・40過ぎた女優は今後、どうするべきなのか?

という質問を、34人の女優にぶつけまくる。


炸裂するガールパワー

本作の評価ポイントは、”ロサンナの行動力”の一点に尽きると思う。
映画史上、他の女優が為しえず、またやろうともしなかった分野に触手を伸ばし、
作品として結実させたのだから、立派なものではないか。
しかしこれを成し遂げたということは女優として、
「いるだけで男があれこれしてくれるセクシー美女」の
イメージを失うことと、イコールでもある。
つまり落ち目女優が一発逆転ヒットを狙った、ヤケクソの開き直り的な行動なのだ。
そんななりふり構わぬガールパワーの炸裂ぶりが、とても小気味よい。

だがロサンナ、本作の製作時点でもう40代なのであるからして、
ガールと呼ぶにはちと、トウが立ち過ぎている。
カメラの背後には回らず、頻繁に画面へ登場するのだが、
お行儀のほうはどうも、いまひとつ。
話の聞き方から感情表現に至るまで、まるで小娘みたいな奔放さが目に付いてしまう。
10代の頃からショウビズ1本なのだから、世間知らずでも仕方がないのかもしれないが、
カメラに映る彼女の重みのない振る舞いが、
高い志の足を引っ張っているような印象を受けないでもなかった。

笑えたのは、実の妹であるパトリシア・アークエットとのやり取り。
マスコミから比べられ、ライバル扱いされることの辛さを、
本人の目の前で自嘲的に話すのだが、
意地悪な質問を発する記者と、受け応える自分を、
瞬時に演じ分けるコメディエンヌ振りが、見事!
女優なんだから当たり前と言えば当たり前なのだが、
やっぱり才能があるし、現場で鍛え上げられた女性なんだな、ということが伝わってくる。
この場面にはパトリシアのほかに数人の女優(ダリル・ハンナとかメラニー・グリフィス)が
同席しているのだが、皆ノースリーブだったり、胸元が開いていたりと、露出が多い。
そんな中、スーツに身を包んだパトリシアが、
ハッとするほど個性的に見えたのも、印象深かった。


大御所の発言に漂う重み

さて肝心の女優たちのラインナップなのだが、非常にバラエティ豊かで楽しめる。
ジェーン・フォンダ、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、
シャーロット・ランプリングなどの大御所、
シャロン・ストーン、メグ・ライアンなどの売れっ子(当時)、
そしてエマニュエル・ベアール、トレイシー・ウルーマン、サルマ・ハエック、
アルフレ・ウッダードなど、いわゆる「ブロンド米国美女」とは
趣の異なる個性の女優たちが登場してくるのも、面白かった。
最も印象深いのはジェーン・フォンダで、彼女が女優業の魔力について理路整然と、
サーヴィス精神たっぷりに語る場面は、本作のハイライト。
その言葉の中には、女優業の本質を垣間見るかのようなカタルシスが、含まれていた。
こうした発言を「仕事と家庭の両立」というテーマについても引き出せていたら、
本作はもっと優れたドキュメントに仕上がっていたのではないかと思う。

公開からすでに10年が過ぎているが、
その後ロサンナは、ミュージシャンへのインタビューをまとめたドキュメント
『ALL WE ARE SAYING』を監督。
シェリル・クロウからソニック・ユースまでが登場する、
これまたバラエティ豊かな作品になっているらしい。
しかし興行的には奮わなかったらしく、日本公開も実現せずじまい。
監督業は打ち止めといったところだろうか。
女優として、話題作への出演も少ないので、
恐らくこのままフェイドアウトしていくのだろうが、
ユニークな個性を持つ本作の存在は、今後も語り継がれていくはず。
そうした作品を遺せただけでも、彼女はラッキーな映画人なのである。


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原題:번지점프를 하다
製作年:2001年
製作国:韓国
監督:キム・デスン
出演:イ・ビョンホン、イ・ウンジュ、
ヨ・ヒョンス、ホン・スヒョン



___________________________

え、あんた観てないの?

イ・ビョンホン主演! とか聞くと、
いわゆる韓流映画を連想して、全く観賞する気が起らない。
ラブ・ストーリーならなおさらという感じなのだが、
本作に関しては、「え、あんたが観てないの」と言われ、
ストーリーを聞いたら俄然興味が湧いてしまい、レンタル屋に走った。
「高校教師が、死別した最愛の恋人の転生を、
教え子である男子生徒の中に見出して……」、
という、虚構に満ちみちた、ロマンティックな純愛映画なのである。

ゲイ映画というカテゴライズに意味を見出している人の間では、
大して話題にならなかった作品のようで、
僕のアンテナにも全然ひっかかっていなかったのだが、
同じ韓国産の『後悔なんてしない』より、こっちの方が断然好きかもしれない。
イ・ビョンホン扮する主人公が「自分はゲイなのか?」と思い悩む描写もあるのだが、
全体的に「愛しているんだから、どうしようもない」という感じで、
迷いを感じさせないところが、清々しいのだ。
「どんなかたちであれ、愛を肯定する」という
基本姿勢を明確に働かせている脚本からは、
レスリー・チャン主演の香港映画『金枝玉葉』との類似性も、感じられた。
ラストが安易なのだけは、ちょっと惜しまれるが……。

俳優陣の中で印象に残ったのは、高校生役のヨ・ヒョンス。
肉感的で、タイプの男だったというだけなのだが(笑)、
こうした役者のキャスティングはある意味、
ゲイ・オーディエンスへのリスペクトの表れでありましょう。
逆に真価を発揮し切れていない印象なのが、女優のイ・ウンジュ。
「運命の女」を体現する存在としてはちょっと平凡過ぎるし、
役柄を本能で演じ切れていない、煮え切らなさが目についてしまう。
近年自殺をしてしまったようなのだが、
そうした不幸の影を、表現に昇華できるタイプではなかったようだ、合掌。
イ・ビョンホンは実に自然に演技をしていて、好感を持った。


ゲイに近いようで遠い、純愛映画

それにしても、ストレートな純愛映画ってほとんど観ないので、涙がボロボロ。
普段僕がチョイスしている欧米の映画では、
ほとんど見られなくなったアプローチだけに、新鮮な感じがしてしまう。
そういえば近年、アメリカで高い評価を得た純愛映画として筆頭に挙がるのは、
ゲイの悲恋を描いた『ブロークバック・マウンテン』。
「ゲイ映画」として構えて観るとあまりに凡庸で、
なんであんなに受けたのか、さっぱり理解不能だったのだが、
実は僕のように「くだらねぇ恋愛映画なんか観たくない」と考えている観衆の、
純愛映画に対する「飢え」を満たしてくれるあたりが、評価されていたのかもしれない。
それだけ男女間の恋愛が語り尽くされ、
リアリズムを求めると汚辱にまみれざるをえない、という現実があるのだろう。
しかぁし、現代はゲイの恋愛も、結構打算的だったりするんだけどね~!
トホホ。

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原題:有話好好説
製作年:1997年
製作国:中国
監督:チャン・イーモウ
出演:チアン・ウェン、リー・パオティエン、
リュウ・シンイー、チュイ・イン



____________________________________

挑戦、迎合、本家取り

大陸の映画監督としては最も成功した実績を持つ、
チャン・イーモウ監督の異色作。
この映画の製作当時は、
香港のウォン・カーウァイが世界的な注目を集めていた時期にあたるので、
その作風を多分に意識した映画作りが為されている。
即ち、クリストファー・ドイル並に動き回るカメラワーク。
そして、広大な中華人民共和国の首都である大都会、北京を舞台にした物語。

しかし喜劇的な要素が非常に強いので、
ロマン主義のウォン・カーウァイ作品とは、鑑賞後の印象が決定的に異なる。
あくまで作風を借りてきただけ、というスタンスからは、
監督のプライドが感じられた。


現代的な舞台に冴え渡る、老優の怪演

個人的な感想を述べてしまうと、この作品、かなり好きである。
これはなんといっても、俳優陣の魅力によるところが大きい。

ぶ厚い体のチアン・ウェンはもともと好みのタイプなのだが、
今回の、”思い込んだら一途に突き進む”二枚目半な役柄が
非常によくはまっており、好感を持った。
モデル出身のチュイ・インも、少ない出番ながら鮮烈な印象を残す。

しかしなんといっても素晴らしいのが、リー・パオティエン。
街を歩いていても誰も俳優とは気づかないであろう、
風采の上がらないおっさん風なのだが、
信じられないほど奥行きのある演技力で魅了してくれる。
僕は老醜を曝す俳優や映画が大嫌いなので、
老優(特に男優)に共感することなんてほとんどないのだが、
今回ばかりは彼の怪演場面が見たくて、
繰り返しDVDを再生してしまった。
頑なまでの平和主義者がトラブルに巻き込まれ、キレてしまう。
その滑稽でエキセントリックな二面性を、見事に演じ分けているのだ。
彼は俳優学校で後進の指導にあたってきたほどの名優で、
チャン・イーモウと縁の深いコン・リーの、師匠にもあたるという。
本作ではその神髄を、まざまざと見せつけていると言えるだろう。


思わず懐柔されそうなチャイニーズ・パワー

本作の脚本は、まるで舞台劇なみに会話を重用している。
特に後半はチアン・ウェンとリー・パオティエンの、延々続く議論が軸となり、
たまたま居合わせた人間たちを巻き込んで、
ドタバタの喜劇へと雪崩れ込んでいく
(キーキー喚き散らすチョイ役の女たちが、かなり笑える)。

 ・自分の正しいと思っていることは、絶対に曲げない
 ・自分とは異なる意見を持つ人間を説得して、改心させられると信じている
 ・どうしても状況が好転しない場合、非常手段に打って出ることも厭わない

世代の異なるふたりの男性の、激しすぎるコミュニケーションからは、
上記した中国人の国民性のようなものが感じられ、非常に興味深い。
楽天的で、やいやい交流し合うことを当然とし、自己主張しまくる。
もし日本人がこの役柄を演じたとしたら、
現実から遊離した芝居臭さが漂うだけだろう。
もちろん質の高い作品として仕上げるためには、
同国人のいいところに限りなく共鳴し、
悪いところにとことんうんざりしている、客観的な視点というものが必要不可欠だ。
本作には、そうした監督のシニシズムが現代的に発散されている。
『フェリーニのローマ』観た時のようなエキゾチズムを感じた、
といったら、ちょっとほめすぎだろうか。

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原題:El Pasado
製作年:2007年
製作国:アルゼンチン/ブラジル
監督:ヘクトール・バベンゴ
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、アナリア・コウセイロ、
アナ・セレンターノ



___________________________________

メロドラマ、されど...

久々に観た南米映画なのだが、すごく洗練されていて、
鑑賞している間中、雰囲気に酔いまくってしまった。
ブエノスアイレスのカラフルでありながら、
どこかセピアがかった妖しい色彩が上手に表現されていて、
特に夜の場面の照明の美しさは、強く印象に残る。

12年間連れ添った夫婦が離婚後に繰り広げる、
ドロドロの愛憎劇を描く映画なのだが、
メロドラマぽく見えてはこない。
何か悪いことが起きそうなサスペンスの緊迫感は、
終始つきまとうのだが...。
登場人物の誰かを悪者に据えることでクライマックスを目指すより、
それぞれの心理の変遷をじっくりと追うことに主眼を置いた作品だからだろうか。


男と女の後朝

女は納得ずくで離婚したにもかかわらず、
未練タラタラ男にすがりつき、ストーカー行為を繰り返す。
そして時に、意味深長な言葉を垂れ流していく。
 「逃げることと新しい人生を探すことを混同しないで」
男はこの言葉を否定しきれず、いつしか精神のバランスを崩してしまう。

「女を踏み台にして成長していきたい」と願うのが男のエゴなら、
「自分を捨てた男を取り戻したい」と願うのは、女のエゴ。
ひとつの作品内で、そのどちらも実現させようとバランスを図る試みが野心的で、
映画全体に品格のようなものを投げかけていた。


ガエル、リスペクト!

ヘクトール・バベンゴは『蜘蛛女のキス』が有名なベテラン監督だが、
本作の日本公開が実現したのは、
ガエル・ガルシア・ベルナルの主演によるところが大きいだろう。
ハリウッド進出も果たしており、国際的に知名度の高い俳優だが、
大作系への出演においても脚本選びが慎重で、
ラテン系代表のような役柄を演じていることが多い。
例えばスペインのバンデラスのように、ハリウッドに拠点を移して、
アホ映画でもなんでも断らないタイプとは、根本が違うようだ。

首の短い豆タンク型で、母性本能をくすぐる美青年なのだが、芯はしっかりしている。
監督業に進出したり、
同郷のディエゴ・ルナと製作業に乗り出したり、と精力的な活動を見せており、
あくまで故郷・南米映画の活性化に身を捧げる基本姿勢を崩さない。
尊敬に値する俳優だと思う。
とはいえ本作のように、俳優業に徹して巨匠と仕事をすることもある。
スペインでアルモドバルの作品に出演したこともあった。
ひとつひとつの動きに意味を持たせているところが、非常に聡明なのである。
未見の作品はチェックしなきゃだし、今後の作品も楽しみ!


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