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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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原題:Entre Rojas
製作年:1994年
製作国:スペイン
監督:アスセナ・ロドリゲス
出演:ペネロペ・クルス、クリスティナ・マルコス、
マリア・プヤルテ、アナ・トレント、カルメロ・ゴメス



_________________________________________

スペイン映画は、アメリカやフランス映画に比べると、
日本に入ってくる本数が圧倒的に少ない。
しかしスターがひとり産まれるだけで、状況は変わる。
本作は、ハリウッドで成功する以前の
ペネロペ・クルス主演作だったお陰で、
めでたく日本でも鑑賞できるようになった。
劇場公開はなくても、DVDの版権を獲得しようという動きが生まれ、
90年代のスペイン映画が観れるようになるのだ。
大変ありがたい、ペネロペ万歳!

しかしこの邦題、何だか胡散臭くていただけないなぁ。
セクシーなシーンは皆無の、至って硬派な映画なのにね。
女優=エロティックという公式を打ち立てなければ売れない、
と考えている制作会社の体質って、一体いつになったら改まるんだろう?

本作の舞台は、独裁政権下の70年代。
僕の大好きな『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』も
そうだったが、90年代のスペイン映画には、
体制に立ち向かった活動家たちを讃える、
骨太のヒューマン映画がよく制作されている。
これは恐らく、監督たちの”世代”によるところも大きいのだろう。

物語は政治犯が収監されている女性房で展開していくのだが、
日本人の僕が想像するより、スペインの刑務所はずっと自由な雰囲気で、
囚人たちもどこか朗らかに描かれていく。
時に爆発する不満や怒りの表現でさえ、とても情熱的で、
またまた強いエキゾチズムを感じてしまった次第。
世間知らずのお嬢が政治に巻き込まれ、刑務所に入れられ、
やがては高潔な闘士の微笑を浮かべるようになる展開が力強く、
鑑賞後には静かな感動に包まれた。

個人的には、脇を固める俳優陣に、
見憶えのある顔が増えてきたのも嬉しい。
本作では、先述の『死んでしまったら~』で主人公の義母役を演じていた、
ピラル・ハルデム(ハビエル・ハルデムの実母。
つまり、ペネロペにとっては未来の義母!)や、
セクシーなカルロス・ゴメスらの姿を確認できた。
元渋谷系諸氏ならピクリと反応するであろう、
アナ・トレント(『カラスの飼育』)が、
看守役ですっかり大人の女性に変身した姿を見せてくれたのも、驚きだ。

ペネロペ主演映画DVDには、まだたくさんあるので、
手っ取り早くスペイン映画を観たいときに、
そしてスペイン映画独特の解放感を感じたいときに、最適。
本作を観て、未見のものを鑑賞するのがますます楽しみになってきた。


ポチッとしてくれたあなた、テ・キエーロ★

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原題:JAMON,JAMON
製作年:1992年
製作国:スペイン
監督:ビガス・ルナ
出演:ステファニア・サンドレッリ、アンナ・ガリエナ、ペネロペ・クルス、
ハビエル・ハルデム、ジョルディ・モリャ、ファン・ディエゴ



________________________________

ペネロペ・クルス&ハビエル・ハルデム夫妻にジョルディ・モリャと、
国際的に活躍するスペイン俳優たちが、
若手時代に揃って出演していた、貴重な作品。
3人ずつの男女をめぐる恋愛ドラマなのだが、ドロドロ具合が半端ない。

若く美しいシルヴィア(ペネロペ・クルス)は、
全員の男とデキているのだが、
シルヴィアの母親も全員の男と関係がある。
シルヴィアの彼であるホセルイス(ジョルディ・モリャ)は、
恋人だけでなく、その母親ともヤッているわけだ。

これだけでも相当濃いのに、ホセルイスはマザコンで、
近親相姦ぽい雰囲気まで漂わせる。
息子を溺愛するホセルイスの母親は、
息子とシルヴィアの恋愛を破壊するために
野蛮な男(ハビエル・ハルデム)を雇うのだが、
策略そっちのけで、彼の逞しい肉体に発情!
ちなみにあとひとりの男とは、ホセルイスの父親なのだが、
まるで2組のファミリー+1という人数が揃うと、
一体何組のカップルができるのか、限界に挑んでいるみたいだ(笑)。

もちろん現実にはあり得ない話なのだろうが、
このぐらいぶっ飛んでいないと、
スペイン人にとってはもう、刺激がないのかもしれない。
良識人は「皆こうだと思うな」と怒るかもしれないが……。
しかし同じぶっ飛ぶにしても、アメリカや中国、そして日本人から、
こういう脚本を書こうという発想は、生まれてこない気がする。
もはや理解のK点超え……、
そんな異国情緒を味わえるから、僕はラテン圏の映画が好きなのだ。

とにかく、彼らが情熱的で、行動的な人種であることに、間違いはない。
裏を返せばその場の感情に流されやすいということで、
この映画には純粋な愛を貫ける人物など、ひとりも登場しない。
しかしその背景には、貧富の差や教育水準の低さなどの、
社会問題が横たわっている印象も受けた。
自国の恋愛事情をここまでディフォルメしてみせた監督の視点からは、
どこかシニカルで、確信犯的な意図が感じられたのだ。

艶笑ものの要素がたっぷりなので、
まだ10代だったペネロペの肢体は、十二分にフューチャーされている。
太陽の下の濡れ場では、産毛まで黄金色に輝いて、とても美しい。
同時にハビエル・ハルデムのオールヌードやモッコリのどアップも、てんこ盛り。
女性やゲイへのサービスだとしても、ずいぶん過剰だ。
そんなアティチュードが非・男根主義的で、二重に面白い!

ポチッとしてくれたあなた、テ・キエーロ!

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原題:CRASH
製作年:1996年
製作国:カナダ
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
出演:ジェームズ・スペイダー、デボラ・アンガー、
ホリー・ハンター、イライアス・コティーズ、ロサンナ・アークエット



________________________________

クローネンバーグ監督の作品は全然知らなくて
昨年やっと『イグジステンツ』を観た。
何でもっと早く観る機会がなかったのだろうかと、
自分でも不思議に思うほど、しっくり来るものがあった。
静かな感動を呼ぶ佳作や、シニカルなメロドラマも大好きなのだが、
何作に一作かはサイコ・ホラー的なものを観ておかないと、
心のバランスが取れない気がする。おかしいかしらん。
かといって、所詮ホラーのエンタメ性に流れない、
灰汁の強い作家性を持った監督というのは、なかなかいないのだ。

果たして監督は今回、どんな変態映画を創っているのかと
ワクワクしながら本作を観はじめたのだが、
物語の開始から30分で、交通事故が2度も起こる。
そしてその前後は、ハードな濡れ場のオンパレード……。
やっぱし、普通じゃない。

この映画の登場人物たちは皆、車と交通事故に取り憑かれている。
ジミー・ディーンやジェイン・マンスフィールドなど、
派手に事故死したハリウッド・バビロンの主役たちは、
賛美の対象であり、英雄。
暴走や追突など、事故を誘発する行為は彼らにとって、
サディスティックな性的エネルギーをほとばしらせた、
究極の愛情表現法なのだ。

また同時に、制御能力の限界を超える状況へと追い込まれ、
圧倒的な破壊に直面する交通事故の中に、
マゾヒスティックなオルガスムを見出す。
死の淵をさまよった証に、身体へと深く刻み込まれた傷跡は、
愛撫を注ぐべき聖痕なのである。


エロスとタナトスは、相反するベクトルとして語られるがこの場合、
死とエロスが分かちがたく結びついて、離れない。
覚せい剤の常用など、自己破壊願望を前提とした
倒錯、悪習は枚挙に暇がないが、
本作を覆うオブセッションはその、
究極のかたちのひとつと呼んでも、差し支えないかもしれない。

死に向かうという逆説的な生き方を、
理解できないという向きも多いだろう。
僕は理解できる。しかし今のところ、同調はしない。
きっとクローネンバーグもそうだろう。
では、なぜこんな映画を撮るのだろうか。
惹きつけられるからだ。それはよくわかる。
しかし覗き込んだ深淵の中から、
こちらを見つめる眼に囚われる日も、
いつかは訪れたりするものなのだろうか。


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原題:LOVE AND DEATH ON LONG ISLAND
製作年:1997年
製作国:イギリス
監督:リチャード・クウィート二オースキー
出演:ジョン・ハート、ジェイソン・プリーストリー、
フィオナ・ローウィ



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『ベニスに死す』へのオマージュがたっぷり!
社会的地位の高い、ダンディな初老の英国紳士が、
スクリーンで見かけたアメリカン・アイドルを狂おしく恋慕う物語である。

30代にもなると、「そろそろ老後を考えなければ」と思ったりするが、
特に厄介そうだと今からうんざりなのが、性欲や愛欲の処理問題である。
微笑ましいプラトニック・ラブでも、シルバー・セックスでも、
同年代同士ならまだ問題は少なそうだが、
親子ほど開いた齢の差を埋めようとする暴走は、周囲への脅威ともなりかねない。
どのみち老醜を曝すなら、
せめて洗練された恋愛ゲームを演出するぐらいの”年の功”は発揮したいものである。
そのためにはやはり、若いうちに社会的地位を確立しておく努力が、
最低限必要となるだろう。

本作の主人公で高名な文学者のジャイルズ氏は、
若さへの憧憬もあいまって、老いらくの恋へとのめり込むが、
自らの気持ちに振り回され気味だったアッシェバッハ先生に比べ、
アプローチがクール。
偶然の力に頼りながらも、自らのセールス・ポイントを冷静に演出し、
マイ・アイドルとの距離を的確に詰めていく。

こうした展開は『ベニスに死す』よりも現代的で、
コメディタッチの演出に頼る場面も数多くみられた。
しかし鑑賞後には、かの名作に劣らぬロマンチックな印象が残り、
さらに「やるだけやった」満足感までを漂わせるところが、なんとも爽快である。

そして声を大にして評価したいのが、キャスティングの妙。
逞しいバディに愛くるしい童顔のジェイソン・プリーストリーは、
ゲイへのアピール度が極めて高い。
ジャイルズ氏にとっての『ホット・パンツ』シリーズよろしく、
僕も『ビバリーヒルズ高校白書』には全く興味がないのだが、
彼のベビーフェイスだけは強く印象に残っていた。
本作がなければ、今後も彼の演技を目にすることはなかったと思うので、
貴重な機会としてありがたく受け止めた次第。
またジャイルズ役のジョン・ハートは過去に『パートナーズ』という作品で、
ゲイ役を経験済み。
こちらをすでに観ていた人にとっては、さらに楽しめる映画となるだろう。

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原題:SAFE
製作年:1995年
製作国:アメリカ
監督:トッド・ヘインズ
出演:ジュリアン・ムーア、ザンダー・バークレー、
ピーター・フリードマン



_________________________________

ニュー・クイア・シネマの旗手として注目されたのち、
メジャーでも成功を収めたトッド・ヘインズ監督の作品で、
「化学物質過敏症」に陥った女性を描く。

本作のヒロインは、高級住宅街にある豪邸で何不自由ない生活を送りながらも、
内面に底知れぬ空虚を抱えている。
やがて精神のバランスを崩した彼女は、
牛乳にはじまり、消毒剤などの化学物質に壮絶な拒否反応を示すようになる。

当時の医学(設定は80年代後半)ではこの病に明確な治療法がなく、
医師や家族からは事実上、見放されてしまう。
そしてヒロインは、同じ病に苦しむ人々が生活する、
人里離れたコミューンにたどり着く。

コミューンの指導者はヒロインやその他の者に、
 「病の原因を他人や社会に求め、責めてはならない」
 「病を含め、自分を愛しなさい」
と説く。
集会場で輪唱したり、皆でいたわり合う様子は、
まるで精神病院か新興宗教のよう。
しかし健常者としての生活が送れず、
医師から明確な病とも診断されない者には、
安らぎを求めるための選択肢がほかにない。
また指導者が提案するセラピー以上の治療法も、ないわけである。

監督はこの過酷な現状に題材を求めながらも、
劇中に登場したコミューンの指導者と同じく、
症状の発症には、何らかの心因的なストレスが加担している、
と考えているように見えた。


僕も環境に拒否反応を示した経験がある。
僕の場合は科学物質ではなく、「音」だった。
壁の薄い築数十年のアパートに住んでいた時期、
階下に引き籠りらしい男性が住んでおり、
夜中じゅう流しているアニメビデオの音で、不眠症になりかけたのだ。
その時期、布団の中でイライラと考え続けていたのは、
 「なぜこんな夜中にテレビを見続けているのか、他人の迷惑を考えないのか」
という、ともすれば厄介な正義感に基づく正論や、
 「明日も仕事なのに眠れない。一体どうすればよいのか」
という不安に基づく被害妄想が多かったような気がする。
幸いこの映画のヒロインのように、
生活の中でひきつけを起こすまでには至らなかったが、
また同じ状況に陥ったらどうなるのか、自分でもわからない。

苦しんだ時期から現在まで、騒音に関して他人に意見を求めると、
世の中には「周りがうるさくても寝れる」という人が、意外に多いことがわかった。
つまり些細な音を「騒音」と捉えてしまう原因は、自分の中に潜んでいるのである。

本作のヒロインは、内気で自分の意見をまともに言うことができない。
作品内ではついに明確にされないが、過去にもトラウマを抱えているようである。
不満を吐き出せず内部に溜め込む一方で、発散する術を持っていないのだ。
強靭な理性に抑圧された身体は、
些細な化学物質(=自然由来ではない物質)に
拒否反応を示すことで、大暴走するのだろうか。
現代社会に生きる怖さについて、改めて考えさせられた。

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