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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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原題:Filth and Wisdom WONDER LUST
製作年:2008年
製作国:イギリス
監督:マドンナ
出演:ユージン・ハッツ、ホリー・ウェストン、
ヴィッキー・マクルア



____________________________________

歌手としては、これ以上ないほど素晴らしいキャリアを
築いたスーパースター、マドンナ。
同時進行で女優としても成功を目指し、チャレンジを繰り返してきたが、
満を期して望んだ『エビータ』でも、オスカー候補にはなれずじまい。
そろそろあきらめたのかと思いきや、今度は監督業に乗り出してきた。

といっても、私はマドンナが嫌いではない。
まず彼女は並外れた努力家である。
そして映画であれなんであれ、アートへのリスペクトを怠らない、
聡明な一面を持っている。
女優として有名になりたいのと同じくらい、
純粋な映画好きでもあるのだろう。
きっと忙しさの合間を縫い、新旧のさまざまな作品を観ているに違いない。

そんな彼女の処女作ということで期待したのだが、
まず彼女が選んだ作品のテーマに、ややぐったり。
自分の選んだ表現法で世の中と関わろうとする、
アウトローな若者たちを描いた青春映画で、
ターゲットも10~20代前半までに限定された感が否めない。
マドンナは映画監督としてピチピチの新人なのだから、
このぐらいハチャメチャなテーマで映画を撮るのは悪くない。
しかしスキャンダラスな行状で
世の注目を集めてきた悪名高き彼女が、
「これが若者の流儀なのよ! クールでしょ!」とでもいわんばかりに、
えげつない演出を詰め込んできたら...。
そんな悪い予感を抱かないでもなかった。

しかし内容は思ったよりもポジティヴ。
「どんなに最低の状況でも、知的好奇心を失うな」といった
メッセージや、哲学的な問いかけが全編に詰め込まれ、
やや説教臭さが感じられるほどだ。
また突然、おしゃれ広告ぽい撮影技法を挿入するなど、
映像面での挑戦が散見される。
淡々と撮るプロット重視の新進監督が目立つ昨今において、
フックの多い映像には気骨が感じられた。

ただやはり、どうにも我慢できなかったのが、
主人公であるダメ男の妄執的なエゴイズム。
売れないバンドマン役を演じるユージン・ハッツは、
実際にニューヨークでカルト的な人気を誇るバンドのヴォーカリストで、
カルチャー・アイコンとして注目を集める存在らしいが、
私には馬面の白人男にしか見えなかった。
マドンナはショウビズ界を牛耳る白人男たちに
断固対抗してきた存在で、
その革新性を高く評価し続けたかったのだが...。
この映画の主人公のようなタイプが大金を掴むと、
独善的な価値観を押し付ける害虫のような存在になるのではないのだろうか?
それとも、彼のようなタイプは根が繊細で知的だから、
そうはならないのだろうか?
そこら辺の違いが、私には明確にわからない。

マドンナのライブツアードキュメントはすごく面白いのだが、
その中にツアーダンサーを決めるオーディション風景があった。
自己顕示欲の強いアメリカの若者の中でも、
選りすぐりのハリネズミ連中が集結、といった趣で、
間違っても近寄りたくない現場だが、
マドンナはそうした若者たちに、若き日の自分の姿を重ね合わせ、
強い愛情を感じているようだ。
今回の作品内の、スクリーンからはみ出そうな「俺、俺、俺」節を見るだけでも、
それは明白である。
ただそうした「我執」というのは、全世界の人口の中でもごく一部の、
表現に向かっている人間にとってだけ必要不可欠なもので、
組織に属し生計を立てる者にとっては、
注意深く取り扱わなくてはならない危険物なのである。
もう次回作の製作も決まっているという話だが、
本作で感じられた観衆との距離感を微妙に修正する努力をしないと、
スターの手慰みに終わってしまう危険を感じさせた1本である。

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原題:A Taste of Honey
製作年:1961年
製作国:イギリス
監督:トニー・リチャードソン
出演:ドラ・ブライアン、リタ・トゥシンハム、
マレー・メルヴィン、ポール・ダンカン



_____________________________

イギリス女流作家の戯曲を、映画化。
黒人と白人間の恋愛、ゲイの登場人物という、
当時においては過激なふたつの要素が盛り込まれていたことで、
まず舞台で成功を収めていた作品だ。
個人的には映画史上でもかなり早い段階で、
明確な(台詞上で断定する場面がある)
ゲイ・キャラクターが登場する古典として楽しんだ。

その青年役を演じたマレー・メルヴィンは、
舞台版にも同じ役で出演していたということで、演技はこ馴れたもの。
手先など、細かな動きで表現するオネエぶりが美事なのだ。
今となっては腐るほど映画やテレビに登場している
ゲイキャラクターの先鞭が、
英国作品にあったのが幸いというべきか。
プロダクション・コードが猛威を奮う米国だったら、
主人公の少女とゲイの少年との心温まる交流が、
こんなに好意的には描かれなかっただろう。
実際この戯曲にはハリウッドも興味を示していたらしいが、
映画化が実現されなくて、ホントによかった。

ストーリー自体は、壁にぶち当たった若者の泥水を飲むような日々が
描写されているので、やや救いのない気分になる。
しかし当時はまだ「おとぎ話をやめて、現実を描く」という手法が
非常に新しかった時代でもあったので、
割り引いて観てあげることも必要であろう。

主人公が子供から花火を手渡されるラストシーンは、
絶望の中に光る僅かな希望を暗示しているようで、
フェリーニの『カビリアの夜』のラストを思い出したりもした。

主人公は現在も女優として活躍する、リタ・トゥシンハム。
お世辞にも美人とはいえない演技派だが、
イギリス映画界の新しい流れに乗ることで、キャリアを築いた。
カンヌのパルムドールを受賞した『THE KNACK』では、
ヒロインを演じている。

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原題:MATADOR
製作年:1986年
製作国:スペイン
監督:ペドロ・アルモドバル
出演:アサンプタ・セルナ、アントニオ・バンデラス、
ナチョ・マルティネス、エヴァ・コーボ、
フリエタ・セラーノ、ビビ・アンデショーン



_________________

最新作が日本でも公開中のペドロ・アルモドバル監督。
そちらの方はまだ未見なのだが、
「早く出なきゃ」とせわしなくしていたツタヤで
パッと手に取った旧作を鑑賞した。
「まだ観ていないの、あったんだ」と思いつつ...。

近年の彼の作品は、本人の成熟もあって、
より深いタッチのヒューマニズムに流れているが、
80年代はフェティッシュなセックスにテーマを置いた作品が多く、
またそれほど名が売れていなかったこともあって、
好き放題やっている感じが楽しい。
『セクシリア』のクソチビリシーンなんか、涙が出るほど笑った。

本作は、B級ホラー映画のイメージを借りてきた冒頭こそ貧乏臭いが、
これはもちろん計算されたもので(またはオマージュ)、
監督の「これで大真面目に1本撮るぞ」という姿勢に
どんどん引き込まれる。
90年代に世界中で大ヒットした『アタメ』などの
諸作品につながる作風が、この時点ですでに確立されているのだ。

劇中で失恋に涙する娘に向かい、
母親が「愛は永遠に続かないわ」と諭すシーンがあるが、
離婚が当たり前となった現代において、
愛の頂点でお互いを殺め合う関係を、
ひとつの「究極のかたち」としても、差し支えはないはず。
それが映画の中であればなおさらで、
世の常識を根底から覆すような美意識が
積極的に肯定されているのが、痛快な限り。

また個々のキャラクターが持つ骨太なパーソナリティは南欧独特で、
非常にエキゾチズムがそそられる。
それは女性において特に顕著で、
弁護士と被告の母親の、お互い言いたい放題なやりとりには、
思わず高笑い。
無理に笑わせる必要のないはずの場面で笑えると、
何か得をしたような気分になり、
「やっぱスペイン映画っていいわ~」と思ってしまう。

はじめは貧乏臭いがだんだん魅力的に見えてくる
バンデラスも頑張っていたが、
彼がなぜ「先生」に献身を捧げたのかの描き方だけは、
ちょっと雑だったかもしれない。
また闘牛士候補生のジャージの股間を執拗に追う
クローズショットがあったのだが、あれは誰の視点?
刑事が実はゲイだったのかしらん。

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原題:IL Futuro e Donna
製作年:1984年
製作国:イタリア/フランス/西ドイツ
監督:マルコ・フェレーリ
出演:オルネラ・ムーティ、ハンナ・シグラ、ニエル・アレストラップ



___________________________________

タイトル通り女性礼賛の映画なのだが、いまひとつピントがずれている。

とりあえず男性は情けないキャラしか登場しない。
意味もなく妊婦を神秘化している。

そんなつまらないお膳立てをしないと女性を賛美できないなんて、
ちょっと浅薄な感じ。
一応まともな職に就いてはいるが、
どうみても堅気ぽくないカップルとその共同体に、
異分子のジプシー妊婦が絡んでいくというのが大筋。
ストーリーはヤクザカップルの生活習慣を軸に展開するので、
全体がどうにも自堕落で締まりがない。
ま、80’sにおける反体制的な姿勢と空気を表現するとこうなる、
といえるのかもしれないけど。

と、軽くコキおろしてみたが、映像的には面白い試みが散見されるので、
そこはしっかり評価したい。
冒頭のディスコシーンにおける、照明を駆使した演出は、
いかがわしさ満載で素晴らしかった。
再評価の波は特に訪れそうもないハイエナジー・サウンドも、
当時の舞台設定の中で聞くと、病んだ都会の病巣をえぐるような
鋭さを湛えている。
また唐突に登場するガルボとディードリッヒの巨大な頭部は、
いかにも映画的。フェリーニへのオマージュのようでもあった。

近年の映画は、予算が少ないのかもしれないが、
どうにも平坦な撮り方が主流になっている気がするので、
こうした荒唐無稽な演出の伝統というのを、ぜひ見直してほしい。
ハリウッド的にならない方法なら、いくらでもあるはず。
ガルボとディードリッヒの頭部の間に座るハンナ・シグラが
素敵で、まさしくスチール向けの絵になっていた。

というわけで、今回の鑑賞の動機はもちろん、ハンナ・シグラ。
ファスビンダー作品に出演している伝説の女優という感じだが、
この映画の製作当時でも、まだ40代ぐらいだと思う。
最近は活躍の噂を聞かないが、もう引退してしまったのだろうか。

この監督とは何本か仕事をしていたようで、
イザベル・ユペールと競演する『ピエラ 愛の遍歴』
も最近観たのだが、両作ともイタリア語映画で、
声は吹き替えっぽいのが残念。
作品全体の印象は本作と似たり寄ったりかな...。
ま、監督の作風に個性があることは認めるので、
またいつか観たくなることもあるかもしれない。

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原題:The girl can't help it
製作年:1956年
製作国:アメリカ
監督:フランク・タシュリン
出演;トム・イーウェル、ジェーン・マンスフィールド、
エドモンド・オブライエン、ジュリー・ロンドン、
ファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、アビー・リンカーン



__________________________________

伝説のB級グラマー女優、ジェーン・マンスフィールド。
豊満な肢体だけが武器の、
セレブ願望に取り憑かれたアッパラパー女とされているが、
若くして死亡しており(またその死に方も派手)、
その半生を面白おかしく語る向きも多いので、
真偽のほどはよくわからない。
5ヶ国語を操る才女だったともいうし...。

同時代にはすでにマリリン・モンローが成功しており、
世間の関心を惹くために、
より際どい亜流に乗るしかなかったと思われるが、
フォックスと契約していた何年かの間にも、作品には恵まれずじまい。
その割に人々の記憶に残っているのだから、
まぁ色々、よく頑張った方だろう。

そんな前評判(?)だけが僕の中にあり、
彼女の作品を一度見てみたいという興味は高まっていたのだが、
旧作DVD化の波に乗り、近年ようやく何本かのソフト化が実現。
この作品は、彼女の出演作の中でも出来のいい部類らしい。

しかし、あまりにも待たされたせいなのか、
そのグラマーぶりを強調するキャンプな演出
(彼女が通り過ぎると、牛乳瓶が沸騰したりする)が、
全然物足りなく感じられる。
50年代のメジャー作品なんだから、まぁ当り前なんだけど(笑)。

ストーリーは音楽業界を舞台にしており、
当時の人気歌手であるリトル・リチャード、ジュリー・ロンドンらが、
本筋とあまり関係ないところでPVよろしく、
総天然色の貴重な歌唱シーンを披露している。
フランス映画の『アイドルを探せ』によく似た作りだが、
真似されたのはこちらの方だろう
(映画としては『アイドルを探せ』の方が断然面白いけど)。

しかし、戦後の時期にあたるこの時代のアメリカ娯楽映画では、
女性の地位が逆戻りに低くなっている。
ジェインのような女優は、その典型的な生贄といった趣。
本作ではまだ心情のある役どころだが、
同時期にDVD化された、ケイリー・グラントと共演の
『よろめき休暇』での扱いといったら、ピエロよりひどかった。
映画自体も白人ノンケ男礼賛の、
プロバカンダ映画に毛の生えたような出来栄えで、
観るだけ時間の無駄。絶対におススメしない。

『お熱いのがお好き』辺りのマリリン・モンローも
ポルノ女優まがいの扱いに甘んじていたが、
ジェ―ンの場合、そうした役回りを進んで
引き受けているように見えるのが、救いといえば救い。
これは本人生来の明るいキャラクターによるものなのかもしれない。
また本作に本人役で出演しているジュリー・ロンドンが
劇中で「ただの美人がいまじゃ大歌手」
呼ばわりされていたりして...。
よく許したもんだよね。これも時代か。

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