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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。 同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
原題:COMBIEN TU M'AIMES?
製作年:2005年
製作国:フランス
監督:ベルトラン・ブリエ
出演:モニカ・ベルッチ、ベルナール・カンパン、
ジェラール・ドパルデュー、ジャン=ピエール・ダルッサン

________________________
娼婦が主役の映画は好きで、よく観ている。
勝手に”娼婦もの”とか呼んでいるのだが、
『コールガール』とか『エヴァの匂い』とか『バターフィールド8』とか
『愛すべき女々たち』とか『ガール6』とか『ボンテージ』とか
『死んでしまったら誰も私のことなんて話さない』とか....
ほかにもた~くさんあって、作品により娼婦の描き方もさまざまだ。
本作は、『美しすぎて』を観て気に入ったベルトラン・ブリエ監督の、
現時点での最新作。
こちらも”娼婦もの”と呼んで差し支えない内容だった。
セックスというのは不思議なもので、その場のイニチアシヴを握ったときに、
大きな達成感を得られることがある。
並外れて容姿に恵まれた女が、
それを武器に男や金を支配したくなるのも、理解できない話ではない。
しかし先進国では、まっとうな労働により、
女性が男性以上の収入を得られる時代である。
もはや「他に仕事がない」という言い訳は、通用しない。
要するに怠惰で、マテリアルや金に目がない女であることを自認するくらいの甲斐性が、
娼婦自身にも求められているのである。
頭のいい女だったら、「私は好きでこの職業をやっている」と理論武装し、
気の利いた理由を2、3挙げて、「なぜ」という質問を煙に巻こうとするだろう。
そんな女に惚れた男はどうしたらいいのか。
本作の面白さは、男が一世一代の賭けへ打って出るところにある。
その意味で、”娼婦もの”だけれど、男性が主役でもある映画だ。
一度観終わった後で、もう一度初めから観てみると、
男のしたたかさが浮き彫りになり、ゾクゾクとしてくる仕掛けなのだ。
敗北主義を掲げる”自称・草食男”には、ぜひ観てもらいたい。
もちろん、執着にまみれて悪臭を放つ女とかゲイ(はい、僕のことです)が観ても、
勉強になることは請け合い。
やっぱり、恋は闘いなのだ。
イイ女(男)をゲットしたいなら、純愛だけでは通用しない。
戦略を立てるぐらいのしたたかさが必要なのである。
希代の娼婦を演じるのは、”イタリアの宝石”と呼ばれるモニカ・ベルッチ。
『マトリックス』シリーズなんて観る気もないので、
じっくりと鑑賞したのはこれが初めてだった。
スパイク・リーの『セレブの種』に出ていたけど、客演ぽかったし……。
豊満なイザベル・アジャーニといった印象だが、華があるのは確かだ。
演出はコメディと呼べそうなほどユーモアたっぷりで、楽しいできばえ。
モニカをはじめ、常連のジェラール・ドパルデューや、
隣人役のファリダ・ラウアジの演技がおかしくて、
途中何度も噴き出してしまった。
恋路を邪魔する人間たちも登場するが、
その行動は、結果としてふたりの絆を深めてしまう。
第三者の介入がよき助けとなるのもまた、恋愛の真理なのである。
しかしこの監督は、ありきたりなハッピーエンドが本当にお嫌いなご様子。
本作もすんなり終わらせようとはしないのだが、それも個性だろう。
製作年:2005年
製作国:フランス
監督:ベルトラン・ブリエ
出演:モニカ・ベルッチ、ベルナール・カンパン、
ジェラール・ドパルデュー、ジャン=ピエール・ダルッサン
________________________
娼婦が主役の映画は好きで、よく観ている。
勝手に”娼婦もの”とか呼んでいるのだが、
『コールガール』とか『エヴァの匂い』とか『バターフィールド8』とか
『愛すべき女々たち』とか『ガール6』とか『ボンテージ』とか
『死んでしまったら誰も私のことなんて話さない』とか....
ほかにもた~くさんあって、作品により娼婦の描き方もさまざまだ。
本作は、『美しすぎて』を観て気に入ったベルトラン・ブリエ監督の、
現時点での最新作。
こちらも”娼婦もの”と呼んで差し支えない内容だった。
セックスというのは不思議なもので、その場のイニチアシヴを握ったときに、
大きな達成感を得られることがある。
並外れて容姿に恵まれた女が、
それを武器に男や金を支配したくなるのも、理解できない話ではない。
しかし先進国では、まっとうな労働により、
女性が男性以上の収入を得られる時代である。
もはや「他に仕事がない」という言い訳は、通用しない。
要するに怠惰で、マテリアルや金に目がない女であることを自認するくらいの甲斐性が、
娼婦自身にも求められているのである。
頭のいい女だったら、「私は好きでこの職業をやっている」と理論武装し、
気の利いた理由を2、3挙げて、「なぜ」という質問を煙に巻こうとするだろう。
そんな女に惚れた男はどうしたらいいのか。
本作の面白さは、男が一世一代の賭けへ打って出るところにある。
その意味で、”娼婦もの”だけれど、男性が主役でもある映画だ。
一度観終わった後で、もう一度初めから観てみると、
男のしたたかさが浮き彫りになり、ゾクゾクとしてくる仕掛けなのだ。
敗北主義を掲げる”自称・草食男”には、ぜひ観てもらいたい。
もちろん、執着にまみれて悪臭を放つ女とかゲイ(はい、僕のことです)が観ても、
勉強になることは請け合い。
やっぱり、恋は闘いなのだ。
イイ女(男)をゲットしたいなら、純愛だけでは通用しない。
戦略を立てるぐらいのしたたかさが必要なのである。
希代の娼婦を演じるのは、”イタリアの宝石”と呼ばれるモニカ・ベルッチ。
『マトリックス』シリーズなんて観る気もないので、
じっくりと鑑賞したのはこれが初めてだった。
スパイク・リーの『セレブの種』に出ていたけど、客演ぽかったし……。
豊満なイザベル・アジャーニといった印象だが、華があるのは確かだ。
演出はコメディと呼べそうなほどユーモアたっぷりで、楽しいできばえ。
モニカをはじめ、常連のジェラール・ドパルデューや、
隣人役のファリダ・ラウアジの演技がおかしくて、
途中何度も噴き出してしまった。
恋路を邪魔する人間たちも登場するが、
その行動は、結果としてふたりの絆を深めてしまう。
第三者の介入がよき助けとなるのもまた、恋愛の真理なのである。
しかしこの監督は、ありきたりなハッピーエンドが本当にお嫌いなご様子。
本作もすんなり終わらせようとはしないのだが、それも個性だろう。
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製作年:1992年
製作国:日本
監督:田代廣孝
出演:佐野史郎、戸川純、ルビー・モレノ

____________________________
戸川純目当てで観た作品。
80年代の元祖・不思議少女的にシンパサイズするわけではないが、
彼女が個性的な芸人であることは確かなので、大好きだ。
音楽ではソロ作やヤプーズ、そしてゲルニカなどで傑作を発表しているが、
女優業はどうなのか。
あまりチェックしてこなかったので、遅まきながら探し始めた。
彼女の個性を活かしきった代表作ってあるのだろうか?
あればとっくに観ているはずだしなぁ…… 、と思いつつ鑑賞していたが、
残念ながら、本作では助演扱いだった。
彼女自身がトーク番組などでよく語るくだりに
「私は意識して”変わった女”を演じているわけではない」というのがある。
テレビに出られるくらいだから異常というほどではないのだが、
挙動や喋り方に、他者との大きなズレがあるのは確かだ。
おかしなもので、映画の世界でも、カメラの前では「自然な」演技が要求される。
そして戸川純は、このパラドックスにはまってしまう。
「極力自然に」を心がけているはずの演技が、
どこかわざとらしく映ってしまうのである。
もともとが変わっているのだから、しょうがない。
しかし女優としては、大きな欠点として捉えられかねない。
少なくとも、キャスティングを敬遠される理由にはなってしまいそうだ。
共演の佐野史郎はサイコ野郎がはまり役で、揺るぎのない名声を確立しているが、
自然な演技ができる俳優だ。
内部に蠢く狂気を印象づけるには、
一見淡々としている、という側面を巧く表現できると効果的なのかもしれない。
静があるから動が際立つ、ということである。
しかし、それはあくまで手段のひとつ。
初めから終わりまで全開の狂気があったって、いいはずだ。
戸川純のために書き下ろされた脚本が1本くらいあっても、不思議ではなかった。
彼女はそのくらいの器の大きさや、魅力を持った素材で、
活かしきれれば日本の映画史上に残る1本が生まれたはずなのに。
フランスだったらきっと、誰かが何とかしただろうなぁ……、かなり惜しまれる。
映画としてはルビー・モレノの出世作にあたり、
日本人男性のフィリピン人女性に対する、非人道的な行為を軸に展開していく。
日本の田舎に嫁ぎに来た現地妻の次世代が、
逆に日本人を切り捨てていく、という構成は面白いと思った。
近年の若い世代は、ディスカバー・ジャパンをクールと捉えており、
農業や伝統工芸に対する価値観は反転傾向にあるが、
ほんの20年前まで、地方での暮らしに抱かれていたイメージは
陰鬱なものだったということを、本作ではいま一度確認できる。
光を抑えた色や画面づくりはきれいなのだが、
そこにこだわるあまりか何度も同じような場面が続き、
展開がのろいなと感じられる箇所がいくつかあった。
また見苦しい場面ほど長く、ネチネチしているな~と感じないでもなかったが、
そこは好みの分かれるところだろう。
製作国:日本
監督:田代廣孝
出演:佐野史郎、戸川純、ルビー・モレノ
____________________________
戸川純目当てで観た作品。
80年代の元祖・不思議少女的にシンパサイズするわけではないが、
彼女が個性的な芸人であることは確かなので、大好きだ。
音楽ではソロ作やヤプーズ、そしてゲルニカなどで傑作を発表しているが、
女優業はどうなのか。
あまりチェックしてこなかったので、遅まきながら探し始めた。
彼女の個性を活かしきった代表作ってあるのだろうか?
あればとっくに観ているはずだしなぁ…… 、と思いつつ鑑賞していたが、
残念ながら、本作では助演扱いだった。
彼女自身がトーク番組などでよく語るくだりに
「私は意識して”変わった女”を演じているわけではない」というのがある。
テレビに出られるくらいだから異常というほどではないのだが、
挙動や喋り方に、他者との大きなズレがあるのは確かだ。
おかしなもので、映画の世界でも、カメラの前では「自然な」演技が要求される。
そして戸川純は、このパラドックスにはまってしまう。
「極力自然に」を心がけているはずの演技が、
どこかわざとらしく映ってしまうのである。
もともとが変わっているのだから、しょうがない。
しかし女優としては、大きな欠点として捉えられかねない。
少なくとも、キャスティングを敬遠される理由にはなってしまいそうだ。
共演の佐野史郎はサイコ野郎がはまり役で、揺るぎのない名声を確立しているが、
自然な演技ができる俳優だ。
内部に蠢く狂気を印象づけるには、
一見淡々としている、という側面を巧く表現できると効果的なのかもしれない。
静があるから動が際立つ、ということである。
しかし、それはあくまで手段のひとつ。
初めから終わりまで全開の狂気があったって、いいはずだ。
戸川純のために書き下ろされた脚本が1本くらいあっても、不思議ではなかった。
彼女はそのくらいの器の大きさや、魅力を持った素材で、
活かしきれれば日本の映画史上に残る1本が生まれたはずなのに。
フランスだったらきっと、誰かが何とかしただろうなぁ……、かなり惜しまれる。
映画としてはルビー・モレノの出世作にあたり、
日本人男性のフィリピン人女性に対する、非人道的な行為を軸に展開していく。
日本の田舎に嫁ぎに来た現地妻の次世代が、
逆に日本人を切り捨てていく、という構成は面白いと思った。
近年の若い世代は、ディスカバー・ジャパンをクールと捉えており、
農業や伝統工芸に対する価値観は反転傾向にあるが、
ほんの20年前まで、地方での暮らしに抱かれていたイメージは
陰鬱なものだったということを、本作ではいま一度確認できる。
光を抑えた色や画面づくりはきれいなのだが、
そこにこだわるあまりか何度も同じような場面が続き、
展開がのろいなと感じられる箇所がいくつかあった。
また見苦しい場面ほど長く、ネチネチしているな~と感じないでもなかったが、
そこは好みの分かれるところだろう。
製作年:2002年
製作国:中国
監督:チャン・ユアン
出演:チアン・ウェン、ヴィッキー・チャオ、
ファン・リジュン、ガオ・ファンュ

_________________________________
チャン・ユアン監督といえばゲイを題材にした
『インペリアル・パレス 東宮西宮』を思い出す。
ゲイの青年と警察官の対立構造を描きながらも、
性の嗜好だけにはとどまらない、大きな問題提起を行っていたが、
本作では男女間の対立を、ミステリアスに描く。
目線としては、はっきりと男性側に立っている感じだったので、
監督自身はゲイじゃないのかもしれない。
それにしても、男性の女性に対する要求には理不尽なものがあるな、
と感慨に耽りながら鑑賞していた。
美しくセクシーで、さらに堕としやすければ万々歳だと思う反面、
身持ちが固く知的で、本当の美しさを自分にしか見せない女性にも、憧れを抱くのだ。
その両面をひとりの女性に求めるのは、
どだい無理な話と悟っているからこそ男性は、
本作のような謎かけにコロリとはまってしまうのかもしれないね。
撮影はウォン・カーワァイ作品で有名な、クリストファー・ドイル。
カーワァイの作品ほど走り回る演出ではなかったので、
ドイルの個性である”動き”は、さほど感じなかったが、
スタイリッシュな映像はさすが……。
まぁ、インタビューだと自信満々すぎて、あんまり好きなひとじゃないけど。
主演のチアン・ウェンはムチムチのおじさんという感じで、
女性にモテるタイプではないと思うが(そこが不満という人も多いかも)、
個人的には才気を感じさせる、チャーミングな俳優だと思った。
監督としてもカンヌでグランプリ獲ったりしているらしいので、
俄然見る気が湧いてきた。
製作国:中国
監督:チャン・ユアン
出演:チアン・ウェン、ヴィッキー・チャオ、
ファン・リジュン、ガオ・ファンュ
_________________________________
チャン・ユアン監督といえばゲイを題材にした
『インペリアル・パレス 東宮西宮』を思い出す。
ゲイの青年と警察官の対立構造を描きながらも、
性の嗜好だけにはとどまらない、大きな問題提起を行っていたが、
本作では男女間の対立を、ミステリアスに描く。
目線としては、はっきりと男性側に立っている感じだったので、
監督自身はゲイじゃないのかもしれない。
それにしても、男性の女性に対する要求には理不尽なものがあるな、
と感慨に耽りながら鑑賞していた。
美しくセクシーで、さらに堕としやすければ万々歳だと思う反面、
身持ちが固く知的で、本当の美しさを自分にしか見せない女性にも、憧れを抱くのだ。
その両面をひとりの女性に求めるのは、
どだい無理な話と悟っているからこそ男性は、
本作のような謎かけにコロリとはまってしまうのかもしれないね。
撮影はウォン・カーワァイ作品で有名な、クリストファー・ドイル。
カーワァイの作品ほど走り回る演出ではなかったので、
ドイルの個性である”動き”は、さほど感じなかったが、
スタイリッシュな映像はさすが……。
まぁ、インタビューだと自信満々すぎて、あんまり好きなひとじゃないけど。
主演のチアン・ウェンはムチムチのおじさんという感じで、
女性にモテるタイプではないと思うが(そこが不満という人も多いかも)、
個人的には才気を感じさせる、チャーミングな俳優だと思った。
監督としてもカンヌでグランプリ獲ったりしているらしいので、
俄然見る気が湧いてきた。
原題:Margaret's Museum
製作年:1995年
製作国:イギリス/カナダ
監督:モート・ランセン
出演:ヘレナ・ボナム・カーター、クライヴ・ラッセル、
ケイト・ネリガン、クレイグ・オレジニク、ケネス・ウェルシュ

___________________________
ティム・バートンと結婚する前のヘレナ・ボナム・カーターが、大好き。
本作も、だいぶ前から見ようとは思っていたのだが、
タイトルやパッケージに記されたあらすじを見て、敬遠していた。
B級ぽい匂いがぷんぷんしていたのだ。
~以下 パッケージに記されたあらすじの抜粋~
『脳髄を凍らせる、驚愕のエロティック・サイコ・サスペンス!』
ある事情で男を拒み続けてきたヒロイン、マーガレット
(中略)
彼女はニールとのセックスに溺れる愛欲の女に
(中略)
早過ぎるニールの死によって情念のオンナと化したマーガレットは、
彼の遺体からその男根を切断して...
ホント嘘ばっかり。
本来のあらすじから大きくかけ離れている部分を抜粋したのだが、
マーガレットには、「ある事情」というほど大それたものは、ない。
また描かれているのは新婚夫婦の純粋な生活で、
濡れ場というほどの濡れ場はワンシーンだけ。
最後に、マーガレットが切断したのはニールの男根では、ない。
このビデオを販売しているのはマクザムという会社だが
(現在も続いている会社ですぞ)、
映画ファンをなめているんじゃないかと思う。
陳腐な捏造に騙されて、作品を手に取るバカがいるとでも思っているのかしらん。
嘘をついた方が売れ行きは伸びる、と考えているところが浅はか過ぎて、
思わず冷笑してしまう。
この映画は、エロティック・サイコ・サスペンスでは決してない。
人権を軽んじられながらも家族を愛し、
必死に生き続けようとした人間の姿を描いた、炭鉱哀史だ。
舞台となるカナダ・ノバスコシア州の風景を、
全編に渡って色鮮やかに映し出しており、
鑑賞後には清々しい印象が残るほどである。
終盤のエキセントリックなエピソードが、
物語にスパイスを加えていることは確かだが、
それはあまりに無常な人生に対する、
マーガレットなりの怒り、そして悲しみの表現なのだ。
頑固で、旺盛な反骨精神に忠実なあまり、身を滅ぼしていく女は、
まさにヘレナのはまり役。
本作でもキャラクターにイキイキとした生命力を吹き込んでおり、
いくら変人ぶりを発揮していても、何だか憎めない。
ホント、くだらないパッケージに騙されず、もっと早く見ておけば良かった!
製作年:1995年
製作国:イギリス/カナダ
監督:モート・ランセン
出演:ヘレナ・ボナム・カーター、クライヴ・ラッセル、
ケイト・ネリガン、クレイグ・オレジニク、ケネス・ウェルシュ
___________________________
ティム・バートンと結婚する前のヘレナ・ボナム・カーターが、大好き。
本作も、だいぶ前から見ようとは思っていたのだが、
タイトルやパッケージに記されたあらすじを見て、敬遠していた。
B級ぽい匂いがぷんぷんしていたのだ。
~以下 パッケージに記されたあらすじの抜粋~
『脳髄を凍らせる、驚愕のエロティック・サイコ・サスペンス!』
ある事情で男を拒み続けてきたヒロイン、マーガレット
(中略)
彼女はニールとのセックスに溺れる愛欲の女に
(中略)
早過ぎるニールの死によって情念のオンナと化したマーガレットは、
彼の遺体からその男根を切断して...
ホント嘘ばっかり。
本来のあらすじから大きくかけ離れている部分を抜粋したのだが、
マーガレットには、「ある事情」というほど大それたものは、ない。
また描かれているのは新婚夫婦の純粋な生活で、
濡れ場というほどの濡れ場はワンシーンだけ。
最後に、マーガレットが切断したのはニールの男根では、ない。
このビデオを販売しているのはマクザムという会社だが
(現在も続いている会社ですぞ)、
映画ファンをなめているんじゃないかと思う。
陳腐な捏造に騙されて、作品を手に取るバカがいるとでも思っているのかしらん。
嘘をついた方が売れ行きは伸びる、と考えているところが浅はか過ぎて、
思わず冷笑してしまう。
この映画は、エロティック・サイコ・サスペンスでは決してない。
人権を軽んじられながらも家族を愛し、
必死に生き続けようとした人間の姿を描いた、炭鉱哀史だ。
舞台となるカナダ・ノバスコシア州の風景を、
全編に渡って色鮮やかに映し出しており、
鑑賞後には清々しい印象が残るほどである。
終盤のエキセントリックなエピソードが、
物語にスパイスを加えていることは確かだが、
それはあまりに無常な人生に対する、
マーガレットなりの怒り、そして悲しみの表現なのだ。
頑固で、旺盛な反骨精神に忠実なあまり、身を滅ぼしていく女は、
まさにヘレナのはまり役。
本作でもキャラクターにイキイキとした生命力を吹き込んでおり、
いくら変人ぶりを発揮していても、何だか憎めない。
ホント、くだらないパッケージに騙されず、もっと早く見ておけば良かった!
原題:TROP BELLE POUR TOI
製作年:1989年
製作国:フランス
監督:ベルトラン・ブリエ
出演:ジョジアーヌ・バラスコ、ジェラール・ドパルデュー、
キャロル・ブーケ

________________________
「愛欲」や「価値観の反転」というテーマを、
ちょっと面白い手法で描いている映画。
映画を作るにあたって、
登場人物の感情の流れを画面でどう表現していくかは、
演出面での大きな分かれ路になりえるかと思うが、
本作は「俳優に台詞で喋らせる」方法を多用する。
普通の映画ならモノローグなどで表現する心の動きを、
ペラペラと口に出すところが何とも奇妙であり、独特なのだ。
ベルトラン・ブリエ監督の出自はヌーヴェルバーグ運動にあるので、
こうした、ある意味不自然に見える脚本作りはお手の物なのだろう。
だがデティールに流れ過ぎているわけではなく、
映画としての力強さもきちんと備わっているので、好感度は高い。
惜しむらくは、物語が後半へ進むにつれ、
展開がやや凡庸になっていくところ。
現実と妄想が入り混じったようなシークエンスを紡ぐことで、
平凡な不倫物語たることを拒否するのだが、
かといってキャラクターを過度に美化するヒロイズムもまた、
受け入れられなかった様子だ。
結末にはどうしても中途半端な印象が残ったが、
前半の非凡な輝きのお陰で、全体が許せてしまう。
なんともチャーミングな作品である。
同じヌーヴェルバーグ出身でも、
例えばゴダールの80年代作品なんて、つまらなくてつまらなくて、
「何でもありがたがる信者だけに見せとけば?」と掃き捨てたくなる。
しかしベルトラン・ブリエには、
若い世代にアピールし続けられるバランス感覚が
備わっているように感じられた。
近年の作品も観てみよう、と思った次第。
製作年:1989年
製作国:フランス
監督:ベルトラン・ブリエ
出演:ジョジアーヌ・バラスコ、ジェラール・ドパルデュー、
キャロル・ブーケ
________________________
「愛欲」や「価値観の反転」というテーマを、
ちょっと面白い手法で描いている映画。
映画を作るにあたって、
登場人物の感情の流れを画面でどう表現していくかは、
演出面での大きな分かれ路になりえるかと思うが、
本作は「俳優に台詞で喋らせる」方法を多用する。
普通の映画ならモノローグなどで表現する心の動きを、
ペラペラと口に出すところが何とも奇妙であり、独特なのだ。
ベルトラン・ブリエ監督の出自はヌーヴェルバーグ運動にあるので、
こうした、ある意味不自然に見える脚本作りはお手の物なのだろう。
だがデティールに流れ過ぎているわけではなく、
映画としての力強さもきちんと備わっているので、好感度は高い。
惜しむらくは、物語が後半へ進むにつれ、
展開がやや凡庸になっていくところ。
現実と妄想が入り混じったようなシークエンスを紡ぐことで、
平凡な不倫物語たることを拒否するのだが、
かといってキャラクターを過度に美化するヒロイズムもまた、
受け入れられなかった様子だ。
結末にはどうしても中途半端な印象が残ったが、
前半の非凡な輝きのお陰で、全体が許せてしまう。
なんともチャーミングな作品である。
同じヌーヴェルバーグ出身でも、
例えばゴダールの80年代作品なんて、つまらなくてつまらなくて、
「何でもありがたがる信者だけに見せとけば?」と掃き捨てたくなる。
しかしベルトラン・ブリエには、
若い世代にアピールし続けられるバランス感覚が
備わっているように感じられた。
近年の作品も観てみよう、と思った次第。