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lulabox
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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。 同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
原題:MOTHER AND CHILD
製作年:2009年
製作国:アメリカ/スペイン
監督:ロドリゴ・ガルシア
出演:ナオミ・ワッツ、アネット・ベニング、ケリー・ワシントン、
サミュエル・L・ジャクソン、ジミー・スミッツ

_________________________________________
出した者、出された者、そして迎えたいと願う者。
3様の立場から「養子縁組」という制度を見つめ、
その制度に関わらざるを得ない人生を歩む女性たちの姿を描く。
僕は「エンタメ大作」には全く興味がないので、
選ぶのは「リアリズム重視のメッセージ性が強い佳作」か、
或いはそのどちらでもない作品ということになる。
本作は間違いなく「リアリズム重視のメッセージ性が強い佳作」だが、
テーマやメッセージそのものより、
個々のキャラクターを丹念に描こうとする仕事ぶりが素晴らしい作品だった。
映画らしく、劇的な偶然に頼るストーリー展開も目立つが、
不思議と自然で、深みのある物語として受け止められたのだ。
アネット・ベニング演じる「出した者」は、
母親の死を機に再び人生と向かい合う設定で、
表情までイキイキと若返る演技、演出が見事。
個人的には、彼女のようなスタンスで子供と向き合う女が発散する類の
わざとらしさが、非常に痛かったのだが、
それも計算ずくの演技だったのだろうか(だとしたらすごい)。
しかし人生において、もう交わることのないひとりの人間にこだわり、
執着してしまう後ろ向きの姿が哀しくて、かなりグッと来た。
ナオミ・ワッツ演じる「出された者」は、
人生をたったひとりで生き抜く決意を固めている。
あくまで自立にこだわる厳しさが美しく、
個人的には強い共感を憶えてしまった。
こうした女性が周囲に投げかけていく波紋(特に恋愛やセックスにおいて)を
漏らさず描いているところが現代的で、
旧態依然のヒューマニズム映画に対して行われた、明確な線引きを印象付ける。
ナオミといえば、リンチの不条理な『マルホランド・ドライブ』と、
ブロンドのアーパー役ぐらいしか観たことがなかったので、
その中間に当たるシリアスな演技派ぶりに瞠目。
本作の華やかな側面を一身に背負い、またその責務を充分に果たしていた。
ケリー・ワシントン演じる「迎えたいと願う者」は、
一見お気楽に見えて、実は不妊に悩む人々の共感を集めなくてはならない、
重要なキャラクター。
脆い自我が養子を得て、骨太に成長していく姿を描くだけで、
もう一本別の映画を撮れそうである。
黒人の登場人物が数多く登場する本作だが、
彼女が「未来」と「希望」の側面を担っているのも、よかった。
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製作年:2009年
製作国:アメリカ/スペイン
監督:ロドリゴ・ガルシア
出演:ナオミ・ワッツ、アネット・ベニング、ケリー・ワシントン、
サミュエル・L・ジャクソン、ジミー・スミッツ
_________________________________________
出した者、出された者、そして迎えたいと願う者。
3様の立場から「養子縁組」という制度を見つめ、
その制度に関わらざるを得ない人生を歩む女性たちの姿を描く。
僕は「エンタメ大作」には全く興味がないので、
選ぶのは「リアリズム重視のメッセージ性が強い佳作」か、
或いはそのどちらでもない作品ということになる。
本作は間違いなく「リアリズム重視のメッセージ性が強い佳作」だが、
テーマやメッセージそのものより、
個々のキャラクターを丹念に描こうとする仕事ぶりが素晴らしい作品だった。
映画らしく、劇的な偶然に頼るストーリー展開も目立つが、
不思議と自然で、深みのある物語として受け止められたのだ。
アネット・ベニング演じる「出した者」は、
母親の死を機に再び人生と向かい合う設定で、
表情までイキイキと若返る演技、演出が見事。
個人的には、彼女のようなスタンスで子供と向き合う女が発散する類の
わざとらしさが、非常に痛かったのだが、
それも計算ずくの演技だったのだろうか(だとしたらすごい)。
しかし人生において、もう交わることのないひとりの人間にこだわり、
執着してしまう後ろ向きの姿が哀しくて、かなりグッと来た。
ナオミ・ワッツ演じる「出された者」は、
人生をたったひとりで生き抜く決意を固めている。
あくまで自立にこだわる厳しさが美しく、
個人的には強い共感を憶えてしまった。
こうした女性が周囲に投げかけていく波紋(特に恋愛やセックスにおいて)を
漏らさず描いているところが現代的で、
旧態依然のヒューマニズム映画に対して行われた、明確な線引きを印象付ける。
ナオミといえば、リンチの不条理な『マルホランド・ドライブ』と、
ブロンドのアーパー役ぐらいしか観たことがなかったので、
その中間に当たるシリアスな演技派ぶりに瞠目。
本作の華やかな側面を一身に背負い、またその責務を充分に果たしていた。
ケリー・ワシントン演じる「迎えたいと願う者」は、
一見お気楽に見えて、実は不妊に悩む人々の共感を集めなくてはならない、
重要なキャラクター。
脆い自我が養子を得て、骨太に成長していく姿を描くだけで、
もう一本別の映画を撮れそうである。
黒人の登場人物が数多く登場する本作だが、
彼女が「未来」と「希望」の側面を担っているのも、よかった。
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原題:Sexo con Amor
製作年:2003年
製作国:チリ
監督:ボリス・ケルシア
出演:シグリット・アレグリア、ボリス・ケルシア、
アルバロ・ルドルフィ

_________________________________
南米の細長~い国、チリ産の映画。
この国で製作された映画を観るのは、生まれて初めてだ。
まずチリの人々ってどんな暮らしぶりをしているのか、
興味津々だったのだが、
この映画を観る限り、貧富の差はそう苛烈でもなさそう。
南米ならではの熱い太陽と、
開放的な空気を伝えるポップな画面作りには、好感が持てる。
本作はセックスをテーマに据えた艶笑もので、
国内では観客動員数記録を塗り替えるほど、ヒットしたらしい。
夫婦や不倫などさまざまな関係を結ぶカップルが何組か登場し、
快楽のためのセックスを貪り合い、
男女の立場に分かれて利害を主張し合い、
それぞれ壁にぶち当たっていくサマを、コミカルに描いている。
鑑賞している間はそれなりに楽しめるが、
新しい視点なり、非凡なキャラクターなりがまるで見当たらないのは、
表現としていかがなものだろう?
特に男の登場人物はスクラブばかりで、
「こんな画一的なキャラクターを描く時代は、とっくに終わっているのでは」と
ツッコミを入れたくなる。
なかでも一番マシな役を演じた、
俳優兼監督のボリス・ケルシアが描きたかったのは、
「今も昔も変わらない、男女間の諸行無常」あたりなのかもしれないけど、
その前時代的な感性には、おっさんの自己満臭が濃厚に漂う。
ど~もいただけない。
例えばアメリカの恋愛TVドラマなんか、どうせ中身はペラペラだろうが、
キャラクターの作り込みだけは、しっかりとやっているのではないか。
生活の中には実際に存在しているのに、未だメディアで描かれていないような、
ユニークなキャラをいち早く登場させる試みは、
それだけで観衆を惹きつけるのである。
本作に出てくるような男たちが、もし大都会にいたとしたら、
その本性や弱みを剥き出しにしないよう、
慎重にオブラートでくるんでおかない限り、
いい女からは鼻もひっかけられないだろう。今はそういう時代なのだ。
チリ映画、という響きは非常に新しいのだが、
内容的にはすでに語りつくされていることばかりで、ちょっとがっかり。
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製作年:2003年
製作国:チリ
監督:ボリス・ケルシア
出演:シグリット・アレグリア、ボリス・ケルシア、
アルバロ・ルドルフィ
_________________________________
南米の細長~い国、チリ産の映画。
この国で製作された映画を観るのは、生まれて初めてだ。
まずチリの人々ってどんな暮らしぶりをしているのか、
興味津々だったのだが、
この映画を観る限り、貧富の差はそう苛烈でもなさそう。
南米ならではの熱い太陽と、
開放的な空気を伝えるポップな画面作りには、好感が持てる。
本作はセックスをテーマに据えた艶笑もので、
国内では観客動員数記録を塗り替えるほど、ヒットしたらしい。
夫婦や不倫などさまざまな関係を結ぶカップルが何組か登場し、
快楽のためのセックスを貪り合い、
男女の立場に分かれて利害を主張し合い、
それぞれ壁にぶち当たっていくサマを、コミカルに描いている。
鑑賞している間はそれなりに楽しめるが、
新しい視点なり、非凡なキャラクターなりがまるで見当たらないのは、
表現としていかがなものだろう?
特に男の登場人物はスクラブばかりで、
「こんな画一的なキャラクターを描く時代は、とっくに終わっているのでは」と
ツッコミを入れたくなる。
なかでも一番マシな役を演じた、
俳優兼監督のボリス・ケルシアが描きたかったのは、
「今も昔も変わらない、男女間の諸行無常」あたりなのかもしれないけど、
その前時代的な感性には、おっさんの自己満臭が濃厚に漂う。
ど~もいただけない。
例えばアメリカの恋愛TVドラマなんか、どうせ中身はペラペラだろうが、
キャラクターの作り込みだけは、しっかりとやっているのではないか。
生活の中には実際に存在しているのに、未だメディアで描かれていないような、
ユニークなキャラをいち早く登場させる試みは、
それだけで観衆を惹きつけるのである。
本作に出てくるような男たちが、もし大都会にいたとしたら、
その本性や弱みを剥き出しにしないよう、
慎重にオブラートでくるんでおかない限り、
いい女からは鼻もひっかけられないだろう。今はそういう時代なのだ。
チリ映画、という響きは非常に新しいのだが、
内容的にはすでに語りつくされていることばかりで、ちょっとがっかり。
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原題:Solo Quiero Caminar
製作年:2008年
製作国:メキシコ/スペイン
監督:アグスティン・ディアス・ヤネス
出演:エレナ・アナヤ、ディエゴ・ルナ、
ビクトリア・アブリル、アリアドナ・ヒル

____________________________
僕はスペイン女優ビクトリア・アブリルの大ファン。
『アタメ!』など90年代のアルモドヴァル作品で何作か主役を張っているので、
知名度はそれなりにあるかと思うのだが、
近年は本国で歌手活動にシフト気味のご様子……。
ここ日本では、2001年にペネロペ・クルスと共演した『ウェルカム! ヘブン』以来、
出演作の公開がなく、さびしい思いをしていたのだが、
昨年ようやく本作のソフト化が実現した(劇場公開はなし)。
レンタルで「新作」のタグが外れるのを待っており、
やっと観ることができたのだ、長かった……(←ケチ)。
内容的には、4人の女窃盗団がスペイン、メヒコを股にかけて
大立ち回りを繰り広げるといったアクションもの。
ただしディエゴ・ルナをはじめとする、敵役の男性陣にも充分出番が与えられている。
展開も終始シリアスでユーモア感覚に欠けるため、
女性映画に期待されるような華やかさは、ついに楽しめずじまい。
また本作はカット割りが非常に細かくて、長回しはほとんどない。
2つのエピソードを併走させる、スリリングな編集法も目立つので飽きは来ないのだが、
役者たちは大変だろうな、なんて余計な心配をしながら観ていた。
主人公が犯行現場にわざわざフラメンコドレスで赴くなど、
ラテンの刻印を常に意識させる画面作りには、好感が持てる。
そんな中、アブリルの出番に注目していたら「おやっ」と思う瞬間があった。
グロリア(アブリルの役名)が亡き母親の写真に語りかける場面があるのだが、
その老女の顔に見憶えがあったのだ。
そういえばアブリル主演の傑作『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』を
監督したのは、アグスティン・ディアス・ヤネス。
その時のアブリルの役名も、グロリア。
つまり本作は、グロリアのその後を描いた映画でもあったのだ。
ファンとしてこのギミックはとっても嬉しかったのだが、内容的には不満だらけ!
『死んでしまったら~』はどん底まで堕ちたグロリアが、
情深い義母の崇高な自己犠牲に支えられ、
立ち直るまでを描いた美しい作品だったのに、
また彼女が犯罪に手を染めて、最後には犬死にしてしまうなんて……あんまりだ。
この監督、時に常軌を逸した暴力表現をするし、どうも信用しきれないところがある。
『死んでしまったら~』が好きという人は、あまり観ない方がいい続編だ。
本作に出演しているディエゴ・ルナは、
ガエル・ガルシア・ベルナルと同じく
ハリウッドで成功しているメヒコ出身の俳優で、
なんとふたりは幼馴染みだという。
本作では揃って製作に名を連ねているが、出演はディエゴ・ルナのみ。
脚本にはギャング同士の絆を描く要素があり、
タイミング的にもふたりの主演でバディ映画を撮る、という手はあったはずなのだが、
監督がゴネたのだろうか。
いずれにしてもこの内容で出演したら、ハズレを引くのは、ガエル。
南米の俳優には頑張って欲しいので、変にモメてないといいけど、
なんて余計な心配をまたしてしまった。
最後に余談なのだが、アブリルが主演した2000年の映画、
『101レイキャヴィーク』を、どこかの会社がソフト化してくれないだろうか……。
タイトル通りアイスランドを舞台とした映画で、
ゲイ(レズビアン?)要素もあるらしいので、ぜひ観たいのであ~る。
ソフト化されたら、たぶん買います!
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製作年:2008年
製作国:メキシコ/スペイン
監督:アグスティン・ディアス・ヤネス
出演:エレナ・アナヤ、ディエゴ・ルナ、
ビクトリア・アブリル、アリアドナ・ヒル
____________________________
僕はスペイン女優ビクトリア・アブリルの大ファン。
『アタメ!』など90年代のアルモドヴァル作品で何作か主役を張っているので、
知名度はそれなりにあるかと思うのだが、
近年は本国で歌手活動にシフト気味のご様子……。
ここ日本では、2001年にペネロペ・クルスと共演した『ウェルカム! ヘブン』以来、
出演作の公開がなく、さびしい思いをしていたのだが、
昨年ようやく本作のソフト化が実現した(劇場公開はなし)。
レンタルで「新作」のタグが外れるのを待っており、
やっと観ることができたのだ、長かった……(←ケチ)。
内容的には、4人の女窃盗団がスペイン、メヒコを股にかけて
大立ち回りを繰り広げるといったアクションもの。
ただしディエゴ・ルナをはじめとする、敵役の男性陣にも充分出番が与えられている。
展開も終始シリアスでユーモア感覚に欠けるため、
女性映画に期待されるような華やかさは、ついに楽しめずじまい。
また本作はカット割りが非常に細かくて、長回しはほとんどない。
2つのエピソードを併走させる、スリリングな編集法も目立つので飽きは来ないのだが、
役者たちは大変だろうな、なんて余計な心配をしながら観ていた。
主人公が犯行現場にわざわざフラメンコドレスで赴くなど、
ラテンの刻印を常に意識させる画面作りには、好感が持てる。
そんな中、アブリルの出番に注目していたら「おやっ」と思う瞬間があった。
グロリア(アブリルの役名)が亡き母親の写真に語りかける場面があるのだが、
その老女の顔に見憶えがあったのだ。
そういえばアブリル主演の傑作『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』を
監督したのは、アグスティン・ディアス・ヤネス。
その時のアブリルの役名も、グロリア。
つまり本作は、グロリアのその後を描いた映画でもあったのだ。
ファンとしてこのギミックはとっても嬉しかったのだが、内容的には不満だらけ!
『死んでしまったら~』はどん底まで堕ちたグロリアが、
情深い義母の崇高な自己犠牲に支えられ、
立ち直るまでを描いた美しい作品だったのに、
また彼女が犯罪に手を染めて、最後には犬死にしてしまうなんて……あんまりだ。
この監督、時に常軌を逸した暴力表現をするし、どうも信用しきれないところがある。
『死んでしまったら~』が好きという人は、あまり観ない方がいい続編だ。
本作に出演しているディエゴ・ルナは、
ガエル・ガルシア・ベルナルと同じく
ハリウッドで成功しているメヒコ出身の俳優で、
なんとふたりは幼馴染みだという。
本作では揃って製作に名を連ねているが、出演はディエゴ・ルナのみ。
脚本にはギャング同士の絆を描く要素があり、
タイミング的にもふたりの主演でバディ映画を撮る、という手はあったはずなのだが、
監督がゴネたのだろうか。
いずれにしてもこの内容で出演したら、ハズレを引くのは、ガエル。
南米の俳優には頑張って欲しいので、変にモメてないといいけど、
なんて余計な心配をまたしてしまった。
最後に余談なのだが、アブリルが主演した2000年の映画、
『101レイキャヴィーク』を、どこかの会社がソフト化してくれないだろうか……。
タイトル通りアイスランドを舞台とした映画で、
ゲイ(レズビアン?)要素もあるらしいので、ぜひ観たいのであ~る。
ソフト化されたら、たぶん買います!
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原題:THE PIANIST
製作年:2002年
製作国:フランス/ドイツ/ポーランド/イギリス
監督:ロマン・ポランスキー
出演:エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン、
フランク・フィンレー、エミリア・フォックス

_______________________________________
正直に言うと、「またナチスの映画か~……」と思ってしまった。
第二次世界大戦中にナチスドイツが行った非業の数々を、
決して忘れてはならない。
それは確かなのだが、純粋に映画として観ると、
あまりにも描きつくされたテーマであるうえに、
ナチスを擁護する立場というのもまずありえないので、
観る前からある程度、内容が予想できてしまうのだ。
本作は2002年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞していたので、
もしかしたら何か、新しい切口がという期待を抱かないでもなかったのだが、
極めて破綻の少ない作品だった。
歴史の授業に資料として使われてもおかしくない、そんな感じだ。
終戦間近まで生き延びたユダヤ人の主人公が、
ナチス将校に庇われる展開が唯一意外であり、
主人公が「身を救う芸」を披露する場面は、
本作のハイライトであるはずなのだが、
そこに至るまでの過程が充分すぎるほど長いせいか、感興が湧きにくかった。
また心優しいナチ将校の登場はやや唐突で、
そのバックグラウンドもまるっきり描かれないので、感情移入がしづらい。
『アンネの日記』にも言えることだが、
隠れ家とは、イマジネーションがその翼を最大限に広げる密室である。
『テナント-恐怖を買った男-』も非常に面白い密室劇だったし、
ポランスキーほどユニークな手腕を持つ監督なら、
逃げ続けるユダヤ人を主人公に、
もっと斬新な映画が撮れたのでは、と思わないでもないのだが……。
しかし母親をホロコーストで亡くし、
自らも亡命を繰り返す幼少時代を送った彼にとって本作は、
表現者として真摯に取り組まねばならない、
宿題のようなテーマを持つ作品だったのだろう。
戦争や政情不安は、映画などの芸術表現に必ず影を落とす。
例えばもし今後、北朝鮮の独裁政権が崩れる時代が訪れた暁には、
その数十年先まで、圧制の日々を描く映画が産み落とされることだろう。
英雄や巨悪を産む戦争は充分にドラマチックで、
映画には格好の題材なのだろうが、
それを描くために、今後もどれほどの才能が費やされていくのだろうか。
そう考えると複雑で、いくばくか懐疑的な気持ちさえ湧き上がるのを、禁じえない。
製作年:2002年
製作国:フランス/ドイツ/ポーランド/イギリス
監督:ロマン・ポランスキー
出演:エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマン、
フランク・フィンレー、エミリア・フォックス
_______________________________________
正直に言うと、「またナチスの映画か~……」と思ってしまった。
第二次世界大戦中にナチスドイツが行った非業の数々を、
決して忘れてはならない。
それは確かなのだが、純粋に映画として観ると、
あまりにも描きつくされたテーマであるうえに、
ナチスを擁護する立場というのもまずありえないので、
観る前からある程度、内容が予想できてしまうのだ。
本作は2002年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞していたので、
もしかしたら何か、新しい切口がという期待を抱かないでもなかったのだが、
極めて破綻の少ない作品だった。
歴史の授業に資料として使われてもおかしくない、そんな感じだ。
終戦間近まで生き延びたユダヤ人の主人公が、
ナチス将校に庇われる展開が唯一意外であり、
主人公が「身を救う芸」を披露する場面は、
本作のハイライトであるはずなのだが、
そこに至るまでの過程が充分すぎるほど長いせいか、感興が湧きにくかった。
また心優しいナチ将校の登場はやや唐突で、
そのバックグラウンドもまるっきり描かれないので、感情移入がしづらい。
『アンネの日記』にも言えることだが、
隠れ家とは、イマジネーションがその翼を最大限に広げる密室である。
『テナント-恐怖を買った男-』も非常に面白い密室劇だったし、
ポランスキーほどユニークな手腕を持つ監督なら、
逃げ続けるユダヤ人を主人公に、
もっと斬新な映画が撮れたのでは、と思わないでもないのだが……。
しかし母親をホロコーストで亡くし、
自らも亡命を繰り返す幼少時代を送った彼にとって本作は、
表現者として真摯に取り組まねばならない、
宿題のようなテーマを持つ作品だったのだろう。
戦争や政情不安は、映画などの芸術表現に必ず影を落とす。
例えばもし今後、北朝鮮の独裁政権が崩れる時代が訪れた暁には、
その数十年先まで、圧制の日々を描く映画が産み落とされることだろう。
英雄や巨悪を産む戦争は充分にドラマチックで、
映画には格好の題材なのだろうが、
それを描くために、今後もどれほどの才能が費やされていくのだろうか。
そう考えると複雑で、いくばくか懐疑的な気持ちさえ湧き上がるのを、禁じえない。
原題:The Killing of Sister George
製作年:1968年
製作国:アメリカ
監督:ロバート・アルドリッチ
出演:ベリル・リード、スザンナ・ヨーク、コーラル・ブラウン、
ロナルド・フレイザー、パトリシア・メディナ

_________________________________
レズビアンものの古典なので観てみたのだが、
とにかく不快感満載な作品。
仕事も恋愛も斜陽気味なあまり、
周囲に当り散らすレズタチババァの主人公には、
チャーミングさのかけらもない。
アルドリッチ監督といえば『何がジェーンに起こったか?』を
思い出してしまうのだが、
あの映画は一種のサイコホラーだったので、
ベティ・デイヴィスのヒステリックな演技にも、必然性が感じられた。
しかし本作は、「レズビアン映画」として観るとあまりに希望がないし、
あくまで奇抜な設定として拝借してきただけ、という感じ。
監督が描きたかったのは、性別やセクシュアリティを超えた、
「老人のエネルギッシュな悪あがき」あたりなのかもしれない。
オファーはベティにもなされたようだが、この役は蹴って正解だろう。
しかし主人公のジューンを演じたベリル・リード(米国では無名の英国人女優)の
憎々しい熱演自体は、強烈だった。
劇中には、
『すべての女がレズビアンというわけじゃないのよ』とか
『こいつは処女よ。手ではいじられているけど、丈夫なもんさ』など、
いま聞いても十二分にえげつなく、あけすけな台詞も登場してくる。
ロンドンのレズビアン・バーを借り切って撮影されたシーンもあって、
それなりに興味深いのだが、年老いた主人公とその若い恋人が結ぶ、
共依存のSM関係をほのめかすあたりは、ひどくおぞましい。
僕もゲイなので、こんな表現をしなければならないのはかなり不本意だし、
男同士の設定だったらまた違う見方ができたのかもしれないが、
ことレズビアンとなると、友人が数人いる程度で、いまだ未知の部分が多い。
だからついノンケと同じように、好奇の目で観てしまうところがあるのかも?
いけないなぁ……。
ゲイの場合と同じく、すべてのレズビアン・カップルが
美しく純粋な恋愛関係を結んでいるなんて、
外野からのご都合主義的な幻想に過ぎないんだから。
それにしても悲惨すぎて、当事者にはあまりおすすめできない作品だ。
主人公はテレビ女優なので、「ショウビズの内幕もの」という見方もできる。
普段は人の好いおばあさん役を演じている女優がダイクなんて、
随分とシュールな設定だけど。
舞台はロンドンで、ハリウッドに勝るとも劣らないシニシズムが横溢する、
鬼千匹の社会であるところにも、救いがなかった。
この映画で唯一素敵だったのは、音楽。
担当しているのはジェラルド・フリードで、
キューブリックなんかと仕事をしている人らしい。
オーケストラをフル活用した、
洒脱でジャジーなテーマ曲をイントロで楽しみながら、
延々と続く見苦しい物語に関わる覚悟を決めて欲しい。
製作年:1968年
製作国:アメリカ
監督:ロバート・アルドリッチ
出演:ベリル・リード、スザンナ・ヨーク、コーラル・ブラウン、
ロナルド・フレイザー、パトリシア・メディナ
_________________________________
レズビアンものの古典なので観てみたのだが、
とにかく不快感満載な作品。
仕事も恋愛も斜陽気味なあまり、
周囲に当り散らすレズタチババァの主人公には、
チャーミングさのかけらもない。
アルドリッチ監督といえば『何がジェーンに起こったか?』を
思い出してしまうのだが、
あの映画は一種のサイコホラーだったので、
ベティ・デイヴィスのヒステリックな演技にも、必然性が感じられた。
しかし本作は、「レズビアン映画」として観るとあまりに希望がないし、
あくまで奇抜な設定として拝借してきただけ、という感じ。
監督が描きたかったのは、性別やセクシュアリティを超えた、
「老人のエネルギッシュな悪あがき」あたりなのかもしれない。
オファーはベティにもなされたようだが、この役は蹴って正解だろう。
しかし主人公のジューンを演じたベリル・リード(米国では無名の英国人女優)の
憎々しい熱演自体は、強烈だった。
劇中には、
『すべての女がレズビアンというわけじゃないのよ』とか
『こいつは処女よ。手ではいじられているけど、丈夫なもんさ』など、
いま聞いても十二分にえげつなく、あけすけな台詞も登場してくる。
ロンドンのレズビアン・バーを借り切って撮影されたシーンもあって、
それなりに興味深いのだが、年老いた主人公とその若い恋人が結ぶ、
共依存のSM関係をほのめかすあたりは、ひどくおぞましい。
僕もゲイなので、こんな表現をしなければならないのはかなり不本意だし、
男同士の設定だったらまた違う見方ができたのかもしれないが、
ことレズビアンとなると、友人が数人いる程度で、いまだ未知の部分が多い。
だからついノンケと同じように、好奇の目で観てしまうところがあるのかも?
いけないなぁ……。
ゲイの場合と同じく、すべてのレズビアン・カップルが
美しく純粋な恋愛関係を結んでいるなんて、
外野からのご都合主義的な幻想に過ぎないんだから。
それにしても悲惨すぎて、当事者にはあまりおすすめできない作品だ。
主人公はテレビ女優なので、「ショウビズの内幕もの」という見方もできる。
普段は人の好いおばあさん役を演じている女優がダイクなんて、
随分とシュールな設定だけど。
舞台はロンドンで、ハリウッドに勝るとも劣らないシニシズムが横溢する、
鬼千匹の社会であるところにも、救いがなかった。
この映画で唯一素敵だったのは、音楽。
担当しているのはジェラルド・フリードで、
キューブリックなんかと仕事をしている人らしい。
オーケストラをフル活用した、
洒脱でジャジーなテーマ曲をイントロで楽しみながら、
延々と続く見苦しい物語に関わる覚悟を決めて欲しい。