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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。 同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
原題:CRASH
製作年:1996年
製作国:カナダ
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
出演:ジェームズ・スペイダー、デボラ・アンガー、
ホリー・ハンター、イライアス・コティーズ、ロサンナ・アークエット

________________________________
クローネンバーグ監督の作品は全然知らなくて
昨年やっと『イグジステンツ』を観た。
何でもっと早く観る機会がなかったのだろうかと、
自分でも不思議に思うほど、しっくり来るものがあった。
静かな感動を呼ぶ佳作や、シニカルなメロドラマも大好きなのだが、
何作に一作かはサイコ・ホラー的なものを観ておかないと、
心のバランスが取れない気がする。おかしいかしらん。
かといって、所詮ホラーのエンタメ性に流れない、
灰汁の強い作家性を持った監督というのは、なかなかいないのだ。
果たして監督は今回、どんな変態映画を創っているのかと
ワクワクしながら本作を観はじめたのだが、
物語の開始から30分で、交通事故が2度も起こる。
そしてその前後は、ハードな濡れ場のオンパレード……。
やっぱし、普通じゃない。
この映画の登場人物たちは皆、車と交通事故に取り憑かれている。
ジミー・ディーンやジェイン・マンスフィールドなど、
派手に事故死したハリウッド・バビロンの主役たちは、
賛美の対象であり、英雄。
暴走や追突など、事故を誘発する行為は彼らにとって、
サディスティックな性的エネルギーをほとばしらせた、
究極の愛情表現法なのだ。
また同時に、制御能力の限界を超える状況へと追い込まれ、
圧倒的な破壊に直面する交通事故の中に、
マゾヒスティックなオルガスムを見出す。
死の淵をさまよった証に、身体へと深く刻み込まれた傷跡は、
愛撫を注ぐべき聖痕なのである。
エロスとタナトスは、相反するベクトルとして語られるがこの場合、
死とエロスが分かちがたく結びついて、離れない。
覚せい剤の常用など、自己破壊願望を前提とした
倒錯、悪習は枚挙に暇がないが、
本作を覆うオブセッションはその、
究極のかたちのひとつと呼んでも、差し支えないかもしれない。
死に向かうという逆説的な生き方を、
理解できないという向きも多いだろう。
僕は理解できる。しかし今のところ、同調はしない。
きっとクローネンバーグもそうだろう。
では、なぜこんな映画を撮るのだろうか。
惹きつけられるからだ。それはよくわかる。
しかし覗き込んだ深淵の中から、
こちらを見つめる眼に囚われる日も、
いつかは訪れたりするものなのだろうか。
あなたが覗き込んだのは、このブログ。ついでに、ポチッ★
製作年:1996年
製作国:カナダ
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
出演:ジェームズ・スペイダー、デボラ・アンガー、
ホリー・ハンター、イライアス・コティーズ、ロサンナ・アークエット
________________________________
クローネンバーグ監督の作品は全然知らなくて
昨年やっと『イグジステンツ』を観た。
何でもっと早く観る機会がなかったのだろうかと、
自分でも不思議に思うほど、しっくり来るものがあった。
静かな感動を呼ぶ佳作や、シニカルなメロドラマも大好きなのだが、
何作に一作かはサイコ・ホラー的なものを観ておかないと、
心のバランスが取れない気がする。おかしいかしらん。
かといって、所詮ホラーのエンタメ性に流れない、
灰汁の強い作家性を持った監督というのは、なかなかいないのだ。
果たして監督は今回、どんな変態映画を創っているのかと
ワクワクしながら本作を観はじめたのだが、
物語の開始から30分で、交通事故が2度も起こる。
そしてその前後は、ハードな濡れ場のオンパレード……。
やっぱし、普通じゃない。
この映画の登場人物たちは皆、車と交通事故に取り憑かれている。
ジミー・ディーンやジェイン・マンスフィールドなど、
派手に事故死したハリウッド・バビロンの主役たちは、
賛美の対象であり、英雄。
暴走や追突など、事故を誘発する行為は彼らにとって、
サディスティックな性的エネルギーをほとばしらせた、
究極の愛情表現法なのだ。
また同時に、制御能力の限界を超える状況へと追い込まれ、
圧倒的な破壊に直面する交通事故の中に、
マゾヒスティックなオルガスムを見出す。
死の淵をさまよった証に、身体へと深く刻み込まれた傷跡は、
愛撫を注ぐべき聖痕なのである。
エロスとタナトスは、相反するベクトルとして語られるがこの場合、
死とエロスが分かちがたく結びついて、離れない。
覚せい剤の常用など、自己破壊願望を前提とした
倒錯、悪習は枚挙に暇がないが、
本作を覆うオブセッションはその、
究極のかたちのひとつと呼んでも、差し支えないかもしれない。
死に向かうという逆説的な生き方を、
理解できないという向きも多いだろう。
僕は理解できる。しかし今のところ、同調はしない。
きっとクローネンバーグもそうだろう。
では、なぜこんな映画を撮るのだろうか。
惹きつけられるからだ。それはよくわかる。
しかし覗き込んだ深淵の中から、
こちらを見つめる眼に囚われる日も、
いつかは訪れたりするものなのだろうか。
あなたが覗き込んだのは、このブログ。ついでに、ポチッ★
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製作年:1956年
製作国:日本
監督:溝口健二
出演:京マチ子、若尾文子、木暮実千代、
三益愛子、町田博子

_________________________________
先日吉原に行った。
かつて旺盛を極めた遊郭の跡地へ、一度訪れてみたかったのだ。
地下鉄三ノ輪駅から歩くこと15分ぐらいで、
「吉原大門」の交差点にたどり着く。
ここにはかつて、一大歓楽街の正面玄関があった。
S字型にくねる道を進むと、ソープランドの看板が目につくようになる。
まだ陽も高いのに、スーツ姿の男が「お兄さん! 生中出し」などと客引きしてくる。
「僕、ゲイなんで!」と叫びたくなる衝動をグッと抑えて先へ進むと、
吉原神社が見えてきた。
遊女たちも祈りを捧げたであろうこの神社は近年、
女性にご利益のあるパワースポットとして、注目を集めている。
さらに近隣の、吉原弁財天にも足を運ぶ。
かつて大きな池があって、
関東大震災の際に火事から逃げ遅れた多くの遊女が身を投げ、
命を落とした場所だ。
僕が訪れたときも、焼香の火は絶えていなかった。
このブログでたびたび”娼婦もの”の映画を
取り上げていることからわかるように、
僕は娼婦の生き様に惹かれている。
色々ある理由は、今後もレビューに落とし込んでいくだろうが、
彼女たちにある種の憧憬とシンパシーを抱いていることだけは、間違いない。
本作は国内の”娼婦もの”で、舞台はまさに吉原。
有名な『吉原炎上』と違い、
売春防止法(1958/昭和33年)施行直前の界隈を描いている。
濡れ場は一切挿入されず、
娼婦たちの労働の本質に、深く立ち入ろうとはしない。
それよりも彼女たちの、
世間並みの幸せをあきらめた日常の中にある、
悲哀や怒り、そして打算や惰性を分け隔てなく描き出すことに、
主眼を置いた作品だ。
作品内には、娼婦たちの率直で皮肉に満ちた言動、
そして江戸の昔から流行をリードし続けてきた”粋な装い”なども、
いかんなく反映されている。
特に関西弁でぶっきらぼうに言い放たれる、
蓮っ葉な物言い数々には、独特の味わいがあった。
この微妙な差異を理解できる喜びは、日本人ならではの特権なのだ。
港町・神戸から流れてきたミッキー(京マチ子)は、
ハイウェストの洋装主体。
年増のゆめ子(三益愛子)らは和装と、
個性に合わせ、魅せ方もさまざまである。
僕が何より感心したのは、ヘアスタイル。
クリップの使い方が秀逸で、
女給風のフィンガーウェーブにゴテゴテと並べ立てたり、
ジグザグに挟んでポニーテールを一風変わった形に仕上げたりと、
とにかく創意工夫に富んでいた。
娼婦を「子供たち」と呼び、
尻を叩く置屋の亭主や因業ババァに対し、
腹の中で舌を出しつつも、
「父さん、母さん」などと呼んで付き従う女たちの労働姿勢には、
日本独特の、家族的な労働形態の在り方が垣間見え、興味深い。
ほかにも娼婦自身による過剰な客引き、”通い”の労働形態など、
この時代ならではの吉原の姿が鮮やかに映し出されており、
資料価値は高かった。
僕のように吉原に興味を持っている人にとっては、
必見の佳作である。
ポチッと押して、人気ブログにして欲しいのでありんす
製作国:日本
監督:溝口健二
出演:京マチ子、若尾文子、木暮実千代、
三益愛子、町田博子
_________________________________
先日吉原に行った。
かつて旺盛を極めた遊郭の跡地へ、一度訪れてみたかったのだ。
地下鉄三ノ輪駅から歩くこと15分ぐらいで、
「吉原大門」の交差点にたどり着く。
ここにはかつて、一大歓楽街の正面玄関があった。
S字型にくねる道を進むと、ソープランドの看板が目につくようになる。
まだ陽も高いのに、スーツ姿の男が「お兄さん! 生中出し」などと客引きしてくる。
「僕、ゲイなんで!」と叫びたくなる衝動をグッと抑えて先へ進むと、
吉原神社が見えてきた。
遊女たちも祈りを捧げたであろうこの神社は近年、
女性にご利益のあるパワースポットとして、注目を集めている。
さらに近隣の、吉原弁財天にも足を運ぶ。
かつて大きな池があって、
関東大震災の際に火事から逃げ遅れた多くの遊女が身を投げ、
命を落とした場所だ。
僕が訪れたときも、焼香の火は絶えていなかった。
このブログでたびたび”娼婦もの”の映画を
取り上げていることからわかるように、
僕は娼婦の生き様に惹かれている。
色々ある理由は、今後もレビューに落とし込んでいくだろうが、
彼女たちにある種の憧憬とシンパシーを抱いていることだけは、間違いない。
本作は国内の”娼婦もの”で、舞台はまさに吉原。
有名な『吉原炎上』と違い、
売春防止法(1958/昭和33年)施行直前の界隈を描いている。
濡れ場は一切挿入されず、
娼婦たちの労働の本質に、深く立ち入ろうとはしない。
それよりも彼女たちの、
世間並みの幸せをあきらめた日常の中にある、
悲哀や怒り、そして打算や惰性を分け隔てなく描き出すことに、
主眼を置いた作品だ。
作品内には、娼婦たちの率直で皮肉に満ちた言動、
そして江戸の昔から流行をリードし続けてきた”粋な装い”なども、
いかんなく反映されている。
特に関西弁でぶっきらぼうに言い放たれる、
蓮っ葉な物言い数々には、独特の味わいがあった。
この微妙な差異を理解できる喜びは、日本人ならではの特権なのだ。
港町・神戸から流れてきたミッキー(京マチ子)は、
ハイウェストの洋装主体。
年増のゆめ子(三益愛子)らは和装と、
個性に合わせ、魅せ方もさまざまである。
僕が何より感心したのは、ヘアスタイル。
クリップの使い方が秀逸で、
女給風のフィンガーウェーブにゴテゴテと並べ立てたり、
ジグザグに挟んでポニーテールを一風変わった形に仕上げたりと、
とにかく創意工夫に富んでいた。
娼婦を「子供たち」と呼び、
尻を叩く置屋の亭主や因業ババァに対し、
腹の中で舌を出しつつも、
「父さん、母さん」などと呼んで付き従う女たちの労働姿勢には、
日本独特の、家族的な労働形態の在り方が垣間見え、興味深い。
ほかにも娼婦自身による過剰な客引き、”通い”の労働形態など、
この時代ならではの吉原の姿が鮮やかに映し出されており、
資料価値は高かった。
僕のように吉原に興味を持っている人にとっては、
必見の佳作である。
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原題:鬼子來了
製作年:2000年
製作国:中国
監督:チアン・ウェン
出演:チアン・ウェン、香川照之、ジャン・ホンボー、
澤田謙也、ユエン・ディン

_________________________________
俳優として活躍しているチアン・ウェンの監督第二作で、
カンヌ映画祭ではグランプリを獲得した作品。
第二次世界大戦末期における中国の片田舎を舞台に、
平行線をたどる中国農民と日本兵のコミニュケーションを、
滑稽味たっぷりに描く。
戦争をテーマにした歴史もので、画面は白黒、
おまけに登場人物は洗練からほど遠い、農民ばかり。
なのに陰鬱で重苦しい雰囲気はまるでなく、
カラリとしたユーモア感覚に貫かれたスピーディな展開からは、
監督の才気がほとばしりまくる。
現代まで腹の探り合いが続く日本と中国の過去を、
中国人監督が描く以上、
おいしいところを中国にもっていかれても、文句は言えまい。
この映画に登場する中国人は、純朴な農民がほとんど。
そして日本人は、軍人ばかり。
両国の戦争の歴史を忠実に描写すれば、
自然にそうなってしまうのか。
抵抗する術などろくに持たない農民が策略を練ったところで、たかがしれている。
しかし命令には絶対服従と叩き込まれているうえに、
生来の真面目さが加わった日本兵は、状況次第で手の平を返す。
同じ怒りを爆発させるにしても、
スクリーン上でどちらの姿が純粋に見えるかは、明白であろう。
しかしここまでハードボイルドな日本人の姿を、
外国で製作された映画の中で観るのは、初めてかもしれない。
欧米の映画の中で描かれる日本人の姿といったら、
わざわざここに書くまでもないほど酷いものだが、
本作に登場する日本人には、少なくとも威圧感がある。
日本軍の宿舎の中庭に放り込まれ、
オドオドと周囲をうかがうチアン・ウェンの演技からは、
軍人に戸惑う農民以上のカルチュアル・ギャップが感じられ、強く印象に残った。
個人的には、チアン・ウェンのように熊っぽい男、すごくタイプなのだが、
日本陸軍の指揮官役を演じた澤田謙也の肉体美と甘いマスクにも、ハッとさせられた。
「この人、誰なんだろう」と思ったのだが、
日本より香港などのアクション映画で成功を収めている、稀有な俳優らしい。
ネット上にインタビュー動画が落ちていたので、チェックしてみたのだが、
パーソナリティ的には典型的な体育会系(或いはヤクザ)、といった趣。
本作のように作品性の強い映画へ出演するのは、恐らく最初で最後だろう。
しかしこのキャスティングは見事というほかなく、
彼の中に眠っていた役者としての可能性を、十二分に引き出している。
香川照之よりも、よっぽど強く印象に残ってしまった次第だ。
しかし、聡明な香川は本作の撮影記を出版しており、
これが立派な日中文化交流論になっているらしいので、
いま触手が動いている。
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製作年:2000年
製作国:中国
監督:チアン・ウェン
出演:チアン・ウェン、香川照之、ジャン・ホンボー、
澤田謙也、ユエン・ディン
_________________________________
俳優として活躍しているチアン・ウェンの監督第二作で、
カンヌ映画祭ではグランプリを獲得した作品。
第二次世界大戦末期における中国の片田舎を舞台に、
平行線をたどる中国農民と日本兵のコミニュケーションを、
滑稽味たっぷりに描く。
戦争をテーマにした歴史もので、画面は白黒、
おまけに登場人物は洗練からほど遠い、農民ばかり。
なのに陰鬱で重苦しい雰囲気はまるでなく、
カラリとしたユーモア感覚に貫かれたスピーディな展開からは、
監督の才気がほとばしりまくる。
現代まで腹の探り合いが続く日本と中国の過去を、
中国人監督が描く以上、
おいしいところを中国にもっていかれても、文句は言えまい。
この映画に登場する中国人は、純朴な農民がほとんど。
そして日本人は、軍人ばかり。
両国の戦争の歴史を忠実に描写すれば、
自然にそうなってしまうのか。
抵抗する術などろくに持たない農民が策略を練ったところで、たかがしれている。
しかし命令には絶対服従と叩き込まれているうえに、
生来の真面目さが加わった日本兵は、状況次第で手の平を返す。
同じ怒りを爆発させるにしても、
スクリーン上でどちらの姿が純粋に見えるかは、明白であろう。
しかしここまでハードボイルドな日本人の姿を、
外国で製作された映画の中で観るのは、初めてかもしれない。
欧米の映画の中で描かれる日本人の姿といったら、
わざわざここに書くまでもないほど酷いものだが、
本作に登場する日本人には、少なくとも威圧感がある。
日本軍の宿舎の中庭に放り込まれ、
オドオドと周囲をうかがうチアン・ウェンの演技からは、
軍人に戸惑う農民以上のカルチュアル・ギャップが感じられ、強く印象に残った。
個人的には、チアン・ウェンのように熊っぽい男、すごくタイプなのだが、
日本陸軍の指揮官役を演じた澤田謙也の肉体美と甘いマスクにも、ハッとさせられた。
「この人、誰なんだろう」と思ったのだが、
日本より香港などのアクション映画で成功を収めている、稀有な俳優らしい。
ネット上にインタビュー動画が落ちていたので、チェックしてみたのだが、
パーソナリティ的には典型的な体育会系(或いはヤクザ)、といった趣。
本作のように作品性の強い映画へ出演するのは、恐らく最初で最後だろう。
しかしこのキャスティングは見事というほかなく、
彼の中に眠っていた役者としての可能性を、十二分に引き出している。
香川照之よりも、よっぽど強く印象に残ってしまった次第だ。
しかし、聡明な香川は本作の撮影記を出版しており、
これが立派な日中文化交流論になっているらしいので、
いま触手が動いている。
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原題:應招女郎
製作年:1988年
製作国:香港
監督:デヴィッド・ラム
出演:マギー・チャン、フォン・ボーボー、
チェン・マウシー、イー・チンマン

_________________________________
娼婦ものの香港映画ということで、手に取った作品。
2004年にカンヌ映画祭で主演女優賞を獲得し、
今や押しも押されぬ大女優となったマギー・チャンが出演している。
香港映画で活躍した俳優といえば、
僕はレスリー・チャンが大好きで、
彼が自殺してしまったことが、いまだに残念で仕方ない。
一時期出演作をよく観ていたのだが、
その過程で香港映画がどんなものなのか、片鱗がつかめた気がする。
レスリーは大スターだったので、
作品性の強い監督との仕事からエンタメ映画への出演まで、
俳優として幅広く活躍していた。
アーティストだけでなく、エンターテイナーにもなれる。
そんな器の大きさが、香港を舞台にすると、
よりクールに映ったものである。
彼は香港映画の多彩さを、体現する存在でもあったのだ。
本作には、香港で人気の高いギャングものを、
女性映画に置き換えたかのような、華やかさとハードボイルドさが漂う。
日本でソフト化されたのは、
マギーの知名度によるところが大きいと思うが、
実際には5人の娼婦の姿を平等に描く作品であり、
そのうち交流があるのは2人だけ。
つまり1作の中に、4つのエピソードが混在している。
それぞれの物語が絡み合うことはないが、
ひとつひとつわかりやすいメロドラマであるところを補い合って、
観る者を飽きさせない。
エイズ、少女売春、そして10年後に控えていた返還など
政治や社会問題を巧みに取り込んでいるところ、
そして若く美しい女優たちを手加減なく演出しきろうとする姿勢に、
好感を抱いた。
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製作年:1988年
製作国:香港
監督:デヴィッド・ラム
出演:マギー・チャン、フォン・ボーボー、
チェン・マウシー、イー・チンマン
_________________________________
娼婦ものの香港映画ということで、手に取った作品。
2004年にカンヌ映画祭で主演女優賞を獲得し、
今や押しも押されぬ大女優となったマギー・チャンが出演している。
香港映画で活躍した俳優といえば、
僕はレスリー・チャンが大好きで、
彼が自殺してしまったことが、いまだに残念で仕方ない。
一時期出演作をよく観ていたのだが、
その過程で香港映画がどんなものなのか、片鱗がつかめた気がする。
レスリーは大スターだったので、
作品性の強い監督との仕事からエンタメ映画への出演まで、
俳優として幅広く活躍していた。
アーティストだけでなく、エンターテイナーにもなれる。
そんな器の大きさが、香港を舞台にすると、
よりクールに映ったものである。
彼は香港映画の多彩さを、体現する存在でもあったのだ。
本作には、香港で人気の高いギャングものを、
女性映画に置き換えたかのような、華やかさとハードボイルドさが漂う。
日本でソフト化されたのは、
マギーの知名度によるところが大きいと思うが、
実際には5人の娼婦の姿を平等に描く作品であり、
そのうち交流があるのは2人だけ。
つまり1作の中に、4つのエピソードが混在している。
それぞれの物語が絡み合うことはないが、
ひとつひとつわかりやすいメロドラマであるところを補い合って、
観る者を飽きさせない。
エイズ、少女売春、そして10年後に控えていた返還など
政治や社会問題を巧みに取り込んでいるところ、
そして若く美しい女優たちを手加減なく演出しきろうとする姿勢に、
好感を抱いた。
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原題:THE DETECTIVE
製作年:1968年
製作国:アメリカ
監督:ゴードン・ダグラス
出演:フランク・シナトラ、リー・レミック、
ジャクリーン・ビセット、ラルフ・ミーカー

__________________________________________
『セルロイド・クローゼット』というドキュメンタリー・フィルムがある。
黎明期から90年代までの映画の中で、
ゲイ・キャラクターがどのように登場し、
描かれてきたのかを振り返る作品であり、
著名な映画人へのインタビューも、数多く挿入されている。
映画好きのゲイやレズビアンなら絶対に観ておきたい1本で、資料価値も高い。
僕も折につけ見返しては楽しんでいるので、
本作の抜粋が『セルロイド・クローゼット』に登場していたことを、
もちろん記憶していた。
しかし主演がフランク・シナトラで、
日本でもソフト化されていることは、つい先日まで知らなかった。
題名があまりにもありふれているせいで、探そうともしていなかったのかも?
あわてて鑑賞した次第だ。
ゲイのキャラクターは映画の中で、長らくひどい扱いを受けてきた。
「銀幕に登場させる代わりに、その存在を抹殺する」
そんなやり方が長い間、常套手段だったのだ。
本作もセオリー通り、他殺、死刑、自殺と、
ゲイのキャラクターをことごとく死に追いやっている。
さらに「殺人を犯したことより、ゲイであることに罪の意識を感じる」
なんて言わせているのだから、ひどいものだ。
『セルロイド・クローゼット』の中で、
本作についてコメントするゲイの映画関係者も、
「ゲイであることがバレたら、自分も何か恐ろしい目に遭うかもしれない。
この映画をみて、そう思った」と振り返っている。
公開当時のゲイにとっては、
苦々しい思いを抱いた数ある作品のひとつに過ぎないのだ。
しかし個人的には、非常に楽しめた。
まず純粋な正義感をシニシズムで覆い隠している主人公の刑事が、素敵。
チャーミングなシナトラは、適切な演技でキャラクターに更なる魅力を吹き込んでいる。
クライマックスでは「こう繋がるのか」と
思わずうなってしまったほど意外性のある展開にも、惹きつけられた。
またこの時代の映画において、ゲイだけでなく、
セックス依存症の女性を登場させ、
さらに警察権力の腐敗までを描いてみせた脚本は果敢で、見応えがある。
そして付け加えるならば、主人公の刑事が他人のセクシュアリティを
とやかく言おうとしないのが、素晴らしい。
あのシナトラの口から「人の趣味にケチはつけん」と明言させるのだ。
個人的にはこれで充分なのではないか、と思ってしまったんだけど、甘いかな。
港に集うという行動や、ゲイバーなど、当時のゲイの風俗を垣間見れたのも、
非常に興味深かった。
「否定的に描かれていたとしても、ゼロよりはまし」
これは『セルロイド・クローゼット』の中で
ハーヴェイ・フィアステインが発した言葉なのだが、とても現代的な感性だと思う。
卑屈になったり、身内ウケの作品に逃げる必要などないのだ。
過去はこうだったのだ、と冷静に受け止めることで、
デティールを吟味する余裕が生まれる。
そうすれば作品全体の質も見極められるようになるはず。
フラットなバランス感覚を、自分も忘れないでいたいと改めて感じた。
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製作年:1968年
製作国:アメリカ
監督:ゴードン・ダグラス
出演:フランク・シナトラ、リー・レミック、
ジャクリーン・ビセット、ラルフ・ミーカー
__________________________________________
『セルロイド・クローゼット』というドキュメンタリー・フィルムがある。
黎明期から90年代までの映画の中で、
ゲイ・キャラクターがどのように登場し、
描かれてきたのかを振り返る作品であり、
著名な映画人へのインタビューも、数多く挿入されている。
映画好きのゲイやレズビアンなら絶対に観ておきたい1本で、資料価値も高い。
僕も折につけ見返しては楽しんでいるので、
本作の抜粋が『セルロイド・クローゼット』に登場していたことを、
もちろん記憶していた。
しかし主演がフランク・シナトラで、
日本でもソフト化されていることは、つい先日まで知らなかった。
題名があまりにもありふれているせいで、探そうともしていなかったのかも?
あわてて鑑賞した次第だ。
ゲイのキャラクターは映画の中で、長らくひどい扱いを受けてきた。
「銀幕に登場させる代わりに、その存在を抹殺する」
そんなやり方が長い間、常套手段だったのだ。
本作もセオリー通り、他殺、死刑、自殺と、
ゲイのキャラクターをことごとく死に追いやっている。
さらに「殺人を犯したことより、ゲイであることに罪の意識を感じる」
なんて言わせているのだから、ひどいものだ。
『セルロイド・クローゼット』の中で、
本作についてコメントするゲイの映画関係者も、
「ゲイであることがバレたら、自分も何か恐ろしい目に遭うかもしれない。
この映画をみて、そう思った」と振り返っている。
公開当時のゲイにとっては、
苦々しい思いを抱いた数ある作品のひとつに過ぎないのだ。
しかし個人的には、非常に楽しめた。
まず純粋な正義感をシニシズムで覆い隠している主人公の刑事が、素敵。
チャーミングなシナトラは、適切な演技でキャラクターに更なる魅力を吹き込んでいる。
クライマックスでは「こう繋がるのか」と
思わずうなってしまったほど意外性のある展開にも、惹きつけられた。
またこの時代の映画において、ゲイだけでなく、
セックス依存症の女性を登場させ、
さらに警察権力の腐敗までを描いてみせた脚本は果敢で、見応えがある。
そして付け加えるならば、主人公の刑事が他人のセクシュアリティを
とやかく言おうとしないのが、素晴らしい。
あのシナトラの口から「人の趣味にケチはつけん」と明言させるのだ。
個人的にはこれで充分なのではないか、と思ってしまったんだけど、甘いかな。
港に集うという行動や、ゲイバーなど、当時のゲイの風俗を垣間見れたのも、
非常に興味深かった。
「否定的に描かれていたとしても、ゼロよりはまし」
これは『セルロイド・クローゼット』の中で
ハーヴェイ・フィアステインが発した言葉なのだが、とても現代的な感性だと思う。
卑屈になったり、身内ウケの作品に逃げる必要などないのだ。
過去はこうだったのだ、と冷静に受け止めることで、
デティールを吟味する余裕が生まれる。
そうすれば作品全体の質も見極められるようになるはず。
フラットなバランス感覚を、自分も忘れないでいたいと改めて感じた。
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