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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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原題:Accident
製作年:1967年
製作国:イギリス
監督:ジョゼフ・ロージー
出演:ダーク・ボガード、スタンリー・ベイカー、ジャクリーヌ・ササール、
マイケル・ヨーク、ヴィヴィアン・マーチャント、デルフィーヌ・セイリグ



_________________

久々にジョゼフ・ロージーの監督作を観た。
この人は本来の職務に忠実なのか、
人柄のようなものがあまり表に伝わっていないが、
なにげに巨匠で、個人的にも好きな監督。

アメリカ人だが共産主義者でイギリスに亡命し、
以降ヨーロッパで作品を創り続けたという経歴の持ち主らしく、
一見秩序だったメロドロマに見せかけながら、
屈折した登場人物を執拗に描く、修羅場の多い作品が印象的だ。

安定した社会的地位をキープしつつ、何とかモラルから逸脱しようとする
狡猾な人物たちを皮肉っぽく描いた本作にも、
不穏な雰囲気は漂いまくり。

若く快活な貴族の周囲をうろつき、
隙あらばおこぼれを掠め取ろうとするインテリの醜悪さが特に際立つが、
監督の出自を鑑みれば、英国貴族へも同様に皮肉な視線が
投げかけてられていることは、容易に想像がつく。
やはりダーク・ボガード主演で撮った『召使』に登場する貴族より
明るく健康的に描いてはいるものの、
所詮犬死に程度の扱いにとどめる采配はなんともハードボイルド。
思わず背筋が寒くなりそうだ。

しかしテーマが何であれ、なるべく深く突き詰めていこうとする姿勢、
そして全編を通し安定した絵作りが、とても素晴らしい。
やはりこの時代に名を遺した監督の作品は、
総じてクオリティが高いことを再認識。「映画を観た」って感じだった。

それにしても僕、ジョゼフ・ロージー監督で
リズとミア・ファーロウ出演の『秘密の儀式』が見たいんです!!
しかし、とにかくソフトが高い。
何十年も前の作品に7.000円とかつけんなよ!
最新作だって3.000円ぐらいで売ってるんだよ!
しかもレンタル禁止とか、ホント、キングレコードうざい!!
映画ファンの味方と見せかけて、実は敵なんですよ、あいつら。

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原題:Cybele ou les Dimanches de Ville d'Avray
製作年:1962年
製作国:フランス
監督:セルジュ・ブールギニョン
出演;ハーディ・クルーガー、パトリシア・ゴッジ、
二コール・クールセル



__________________________________

所詮ロリコン映画である。
なんていったら、怒る人がいっぱいいるんだろうな~。
この映画に思い入れたっぷりなひと、かなり多いみたいなので。
じゃあなんて言えばいいのかしらん。

「運命的に巡り合い、慈しみあうふたつの魂が世の尺度で異常視され、
結果、悲劇的なラストがうんぬんかんぬんな純愛映画……」とか? 
別にいいんじゃないの、ロリコン映画で。
例えば「ロリコン」を、
世の尺度で異常とされている他の性愛……「ゲイ」とか……
に置き換えてみれば、少し怒りも落ち着くと思うんだけど。

誤解のないように言っておくと、
この映画は30歳男性と12歳女性の関係を清廉潔白に描いている。
やましいところは何もない。
もし後続の作品があったとしたら、
本作は「ロリコン映画の古典」として、揺るぎない地位を獲得していただろう。
でも残念ながら、「ロリコン映画」はジャンルとして確立していない。
少女と成人男性の濡れ場は、男同士のそれ以上にタブーであり続けているのだ。

そう考えるとロリコンは気の毒である。
プライドの持ちようがないし、欲求を発散させる術もない。
傍から「異常だ」とか「気持ち悪い」とか言われても、
当事者にとって少女の純粋さこそは「至上の美」であり、
自分に嘘はつけないはずなのだ。

本作はロリコンをナイーヴに美しく、肯定的な側面から描いているので、
ロリコンの方、腐女子、そして
「純粋さ」「穢れなさ」「儚さ」に永遠の憧憬を抱いている方々にとって、
不朽の名作として愛され続けているようだ。
もちろん理解はできるんだけど、同調はできないなぁ。
僕は奇しくも同年にアメリカで公開された、
キューブリックの『ロリータ』の方がナンボか好きである。
あれだって最後は悲劇だけど、
少女の美に突き動かされて破滅していく成人男性の、
やるせなくも能動的な感じはよく描かれていたもの。
少なくとも自分と、まっすぐに向き合っている感じはしたのだ。
はたして、自分の性向が世に受け入れられなかったからといって、
それに気づかぬふりをして、
おめおめと殺されるのを待っていてよいものだろうか? 
否。
生き残るためには頭を働かせて、愛を守らなければ駄目なのである。

大体この映画の主人公の少女、それほど純粋ではない。
一人前の女並みに媚を売るし、
「幸せになりたい、私だって幸せになれるはずだ」とか
悪あがきしちゃってさ。自分の境遇を受け入れていない。
幼さを装っているくせに、男を利用しようという意図が
ミエミエなので、例え不幸な境遇から生まれた処世術だと
割り引いて見ても、不快感を憶えるのだ。
これだって監督の演出のひとつだということも、
決して見逃してはいけないと思うのだが。

まぁ先述の通り、本作は「ロリコン映画の古典」に
なり損なっただけであって、作品自体に罪はない。
モノクロでどこか魔術的な雰囲気が漂う映像美も印象的なのだが、
なんだろう、やっぱり熱狂的なファンの方々の声が大きすぎて、
つい意地悪のひとつも言いたくなるんだよね。

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原題:LA NOIA
製作年:1963年
製作国:イタリア/アメリカ
監督:ダミアーノ・ダミアーニ
出演:ホルスト・ブッフホルツ、カトリーヌ・スパーク、ベティ・デイヴィス


________________________

ベティ・デイヴィスは、僕の大好きな女優のひとり。
美貌より、ピリピリとした鉄火肌の演技でのし上がった女傑で、
30~40年代には「ワーナーの女王」として全盛を極めた。
オードリー・ヘップバーンあたりの、
子供っぽい魅力が受けるここ日本では知名度が低く、
まともなバイオグラフィのひとつも発刊されていないが、
本国では殿堂入り級の大女優。
僕は昨年旅行でハリウッドに訪れたので、
彼女のフィルモグラフィやポートレートを購入し、
自宅で眺めては楽しんでいる。
日本人も「かわいさ」とか「セクシーさ」だけでなく
「知性」とか「ビッチさ」を、もっと楽しめばいいのに……。

ベティは40年代末にワーナー専属女優の座から退いているが、
その後、50~60年代にも多くの印象的な作品に出演している。
欧州から客演を請われたケースも多く、本作はイタリアが舞台だ。
注目は、60年代イタリアで活躍した妖艶なアイドル、
カトリーヌ・スパークとの共演。
ベティはルックスだけのアーパーセクシー女優を嫌ったので、
さぞかし現場は大変だったのでは、と思って観ていたのだが、
顔を合わせるのは1~2シーン程度。
劇中でもベティがカトリーヌを無視する設定だったのが、おかしかった。

カトリーヌは、罪の意識が欠如した少女役を好演。
容姿に恵まれ、また人生の恐ろしさを知らない17歳(当時の実年齢)
という若さゆえ、思うがままに振舞うだけで、男を破滅へと導いていく。
バルドーあたりで明るく撮ったら、また違う印象になるのだろうが、
全体のトーンが陰鬱なせいか、その罪深さが際立つユニークな悪女ぶりだ。
財産には恵まれたものの、愛を知らない主人公が、
ミイラ取りに溺れミイラになっていくさまが切ない、「狂恋もの」の佳作である。

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原題:A Taste of Honey
製作年:1961年
製作国:イギリス
監督:トニー・リチャードソン
出演:ドラ・ブライアン、リタ・トゥシンハム、
マレー・メルヴィン、ポール・ダンカン



_____________________________

イギリス女流作家の戯曲を、映画化。
黒人と白人間の恋愛、ゲイの登場人物という、
当時においては過激なふたつの要素が盛り込まれていたことで、
まず舞台で成功を収めていた作品だ。
個人的には映画史上でもかなり早い段階で、
明確な(台詞上で断定する場面がある)
ゲイ・キャラクターが登場する古典として楽しんだ。

その青年役を演じたマレー・メルヴィンは、
舞台版にも同じ役で出演していたということで、演技はこ馴れたもの。
手先など、細かな動きで表現するオネエぶりが美事なのだ。
今となっては腐るほど映画やテレビに登場している
ゲイキャラクターの先鞭が、
英国作品にあったのが幸いというべきか。
プロダクション・コードが猛威を奮う米国だったら、
主人公の少女とゲイの少年との心温まる交流が、
こんなに好意的には描かれなかっただろう。
実際この戯曲にはハリウッドも興味を示していたらしいが、
映画化が実現されなくて、ホントによかった。

ストーリー自体は、壁にぶち当たった若者の泥水を飲むような日々が
描写されているので、やや救いのない気分になる。
しかし当時はまだ「おとぎ話をやめて、現実を描く」という手法が
非常に新しかった時代でもあったので、
割り引いて観てあげることも必要であろう。

主人公が子供から花火を手渡されるラストシーンは、
絶望の中に光る僅かな希望を暗示しているようで、
フェリーニの『カビリアの夜』のラストを思い出したりもした。

主人公は現在も女優として活躍する、リタ・トゥシンハム。
お世辞にも美人とはいえない演技派だが、
イギリス映画界の新しい流れに乗ることで、キャリアを築いた。
カンヌのパルムドールを受賞した『THE KNACK』では、
ヒロインを演じている。

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●原題:La Prisonniere
●製作年:1968年 
●製作国:フランス/イタリア
●監督:アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
●出演:ローラン・テルズィエフ、エリザベート・ウィネル、
ベルナール・フレッソン、ダニ-・カレル、ダリオ・モレノ



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アンリ・ジョルジュ・クルーゾーといえば『情婦マノン』。
すごく好きな映画だ!
その監督が撮った60年代の映画があるということで、
ワクワクしながら観た。
まず画面がきれい。そういえば彼のカラー作品を観るのは初めてだ。
海辺で撮ったシーンはまるで絵画みたいで、
すごく計算されているのがわかる。
また、登場人物が当時のモダンアートに関わるアーティストたちという
設定なので、小道具がいちいちポップ。
独身貴族であり、アーティストである男の書斎が映し出されるのだが、
『女性上位時代』に勝るとも劣らない、洒脱な舞台美術に感激。
細部を創り込むことで映画のクオリティが上がる、というセオリーを
きっちりまじめに、楽しんで行っているのが伝わってくる。

さて肝心の内容はというと、これまたこの監督らしい(?)
サドマゾの世界。
といってもあからさまな性描写があるわけではなく、
精神的な従属関係を描こうとする。
自らの性向を男の存在により自覚した女が、
抵抗を試みながら、しかし、いやよいやよもなんとやらな感じで、
ついには自らを解放してしまうという、なかなか刺激的な設定なのだ。
その後ふたりは、お互いになくてはならぬ存在となるのだが……。

ちょっと残念なのは、女の方が、
それまでの従属的な愛情表現を、
なかば強引に通俗的な愛情表現へ移行しようとする、心理の描写。
全く理解できないというわけでもないのだが、
演出としてやや飛ばし過ぎなきらいがある。
この矛盾をもう少し丹念に描いてくれれば、
より凄みのある作品になったのでは、と思う。

エリザベート・ウィネルという女優は他に代表作もないようだが、
口元がやや下品で、大衆的な雰囲気だ。
しかしシーンにより美しく観えるのも事実。
前年に似たようなテーマの『昼顔』が公開されているので、
ドヌーヴの対抗馬に思い切って無名の女優を起用するというのは、
英断だったのかも。

ラストの夢のシークエンスでは、時代柄、
サイケデリックな映像美への挑戦も行われているので、
これも必見という感じだ。

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