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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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原題:THE TIMES OF HARVEY MILK
製作年:1984年
製作国:アメリカ
監督:ロバート・エプスタイン



________________________

先日、東京都知事の石原慎太郎があからさまなゲイ差別発言をしたことが、
ネットニュースで配信された。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101208ddm041010103000c.html

これを受け、怒りを表明するゲイの発言が、これまたネット上に数多く噴出した。
一般のゲイ・ピープルによる憤怒を、数多く目にする機会があったのは、
僕自身がゲイだから。
SNSなどで繋がっている人たちの大半をゲイ・ピープルが占めているため、
彼らの生の声を、他の人よりも多く目にすることができたというわけだ。

なんて客観的態度を見せびらかしていると、
「じゃあアンタはどう思っているんだ」と問い質されそうなので、率直に言おう。
僕は「よくぞ言ってくれたなぁ」と感心している。
発言内容には全く同意できないが、その行動自体にわずかな感謝の念すら抱いている。
全く今の日本のゲイは、平和ボケなのである。

脳味噌まで筋肉質な体育会系の男性や、
ネット上で人種差別的な発言を繰り返す愚かな輩の中には、
ゲイに対する露骨な拒否感を示す人もいる。
しかし女性や若い世代の男性は、ゲイに対して概ね好意的である。
東京や大阪などの大都市には、ゲイ同士が出会える場所が数多いうえに、
ネット上にも男女間よりずっと安全な出会いシステムが用意され、
全国レベルでの浸透を見せている。
「ゲイは出会いが少ないし、差別されていて可哀想」なんて、とんでもない。
みんなそれほど大きなプレッシャーも感じず、毎日を楽しく、贅沢に生きているのだ。

しかし日本にもゲイ差別はある。
アメリカのようにあからさまで、暴力的な弾圧ではない。
存在を認めてそれを潰しにかかるのではなく、「無視」という方法で黙殺するのだ。
自分とは無縁な問題に関わることを、
極力回避しようとする国民性に、ふさわしいやり方である。
こうした態度が目に見えないところで、
数多くのひずみを生じさせているのは、間違いないだろう。
そして残念ながら当事者のゲイにも、その国民性は十二分に備わっている。
自らのセクシュアリティを明示するより、
可能なところまで隠し通そうとする生き方が、一般的なのだ。

個人的な話になるが、僕は両親から職場の人間にまで、
自らのセクシュアリティをカムアウトしている。
そうした生き方を選ぶことで失ったチャンスも、数多くあることは確かなのだが、
幸か不幸か「仮面をかぶったままの人生に意味はない」と、迷いなく信じられる。
だが同じ生き方を、他のゲイに強要する考えは、とうの昔に捨てた。
また新宿二丁目を中心とするゲイ社会を、
もっと活性化させたいという思いも、かなり前に失った。
僕や志を同じくするゲイが頑張ったところで、
大多数のゲイに檻から出ようとする意思がない限り、虚しい努力にしかならない。
日本のゲイが最優先するのは、同性との恋愛やセックス。
ゲイとしてのアイデンテティ、ライフスタイル確立は二の次である。
だから僕も、色々考えるのはやめてしまった。
例えば「ゲイの婚姻制度を構築する闘争」に一生を捧げるより、
いま享受できるものを享受して、楽しく生きることを選んだのだ。

まとめよう。
今の日本のゲイは、弾圧を受けていない代わりに、明確な実体がない。
消費者層として認知されていないのは、
資本主義社会の中の存在として、致命的でもある。
そうした日本のゲイに、石原慎太郎の発言が冷水のように浴びせかけられたのだ。

何だか僕は「俺に認めさせてみろ」と言われたような気がした。
社会での曖昧な立ち位置に甘んじている
日本のゲイに向けた、挑発のようにも感じられたのだ。

矛盾する話だが、バラバラだったマイノリティがひとつにまとまり、
権利を主張していくためには、「仮想敵」の存在が必要不可欠である。
それはこの『ハーヴェイ・ミルク』を見れば、はっきりとわかる。
宗教や道徳を盾に、
あらゆる方向からマイノリティを弾圧しようとする社会や政治家があってはじめて、
抑圧を原動力とした、抵抗の大きなうねりが生まれていく。
僕には資格がないのかもしれないが、鑑賞中何度も涙が溢れ出て止まらなかった。
この場所に参加して、史上初のオープンゲイ政治家、
ハーヴェイの力になれたなら、どんなによかっただろうと思った。
そしてふと石原慎太郎が、日本のゲイに対して「仮想敵」としての役割を
引き受けたがっているように思えてきたのだ。

実は彼のゲイに対するアンチ発言は、これまでにも枚挙の暇がない。
黙殺すれば済むものに、なぜ執拗に絡むのか、不思議に感じられるほどなのだ。
彼自身の2人の息子や、国民的人気を誇った俳優の弟がゲイであるという噂は、
公然の事実のように根強く存在している。
もしかしたら、石原慎太郎が抱くゲイへの深い愛憎は、
我々の想像をはるかに凌駕しているのかもしれない。

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