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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。 同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
原題:L'evenement Le Plus Important Depuis Que L'homme A Marche Sur La Lune
製作年:1973年
製作国:フランス/イタリア
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、マルチェロ・マストラヤンニ、
ミシュリーヌ・ブレール、マリサ・パヴァン、ミレイユ・マチュー

________________________________
ジャック・ドゥミ×ミシェル・ルグラン×カトリーヌ・ドヌーヴの
黄金トリオによる作品といえば『シェルブール~』、『ロシュフォール~』、
そして『ロバと王女』があるわけだが、
さらにもう1作あったとは、つい最近まで知らずにいた。
それがこの映画。
本作はまず、他の3作と違い、ミュージカル仕立てではない。
主題歌を歌うミリエル・マチューの歌唱シーンは挿入されるが、
本当に一瞬のカメオという感じ。
あとは俳優たちの台詞と演技により進行していく、
所詮コメディ映画だ。
しかし他の3作と比べても、圧倒的に駄作。
知名度が低いのも、思わず納得のトホホなできばえだった。
鑑賞動機はといえば、上記の3人にマルチェロ・マストラヤンニも
加わっていたから。
60~70年代のイタリアを代表する俳優であり、
ドヌーヴとはプライベートでも恋愛関係にあったので、
どんな化学反応が起きているのか、と期待したのだが、
彼のイメージを気遣いすぎた演出がことごとく裏目に出ていて、
映画全体の切れ味が鈍っている感が、否めない。
「男が妊娠する」という設定の物語に期待されるのは、
いわゆるフェミニスティックな視点である。
子作りの面倒をすべて女性に押し付けている男性が、
ジェンダーの反転により苦労を背負い、
男の誇りを傷つけられる姿を見ることで、女たちは溜飲を下げるはず。
さらに彼が女性化していく場面があるとすれば、
コメディとしてなお面白い。
もともと脚本重視の監督ではないし、
結末より過程を見せるという意味で、
これらの要素をたっぷりと盛り込んでおけば、
いま見ても楽しめる作品に仕上がったはずなのだ。
しかしマストラヤンニはせいぜいお腹が重くて、
腰が痛いといった様子を見せる程度で、いつもの調子。
「男の妊娠」と聞いてまず連想される同性愛へのほのめかしに対し、
断固たる否定を表明するのも興醒めで、退屈極まりない。
この程度のキャンプさしか表現できていないのは
時代のせいかもしれないが、
妙にレズビアンぽいキャラクターはちょくちょく登場してくるので、
もしかしたらドゥミは、フェミニズムとかゲイカルチャーを小馬鹿にする、
極ノンケ的な姿勢でこの映画を撮ったのかもしれない。
そんなセンスだから70年代後半以降、生き残れないんだっつ~の。
ただ彼一流の色彩感覚は、本作でも健在。
ホント、並のゲイ以上にポップな感性を持った監督であることだけは確かだ。
ドヌーヴが身に纏うカラフルなモヘアのニットや、
フェイクファーのコートを眺めているだけでも、
充分に楽しい時間を過ごせるという事実を、ここに付け加えておこう。
ポチッとお願いします★
製作年:1973年
製作国:フランス/イタリア
監督:ジャック・ドゥミ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、マルチェロ・マストラヤンニ、
ミシュリーヌ・ブレール、マリサ・パヴァン、ミレイユ・マチュー
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ジャック・ドゥミ×ミシェル・ルグラン×カトリーヌ・ドヌーヴの
黄金トリオによる作品といえば『シェルブール~』、『ロシュフォール~』、
そして『ロバと王女』があるわけだが、
さらにもう1作あったとは、つい最近まで知らずにいた。
それがこの映画。
本作はまず、他の3作と違い、ミュージカル仕立てではない。
主題歌を歌うミリエル・マチューの歌唱シーンは挿入されるが、
本当に一瞬のカメオという感じ。
あとは俳優たちの台詞と演技により進行していく、
所詮コメディ映画だ。
しかし他の3作と比べても、圧倒的に駄作。
知名度が低いのも、思わず納得のトホホなできばえだった。
鑑賞動機はといえば、上記の3人にマルチェロ・マストラヤンニも
加わっていたから。
60~70年代のイタリアを代表する俳優であり、
ドヌーヴとはプライベートでも恋愛関係にあったので、
どんな化学反応が起きているのか、と期待したのだが、
彼のイメージを気遣いすぎた演出がことごとく裏目に出ていて、
映画全体の切れ味が鈍っている感が、否めない。
「男が妊娠する」という設定の物語に期待されるのは、
いわゆるフェミニスティックな視点である。
子作りの面倒をすべて女性に押し付けている男性が、
ジェンダーの反転により苦労を背負い、
男の誇りを傷つけられる姿を見ることで、女たちは溜飲を下げるはず。
さらに彼が女性化していく場面があるとすれば、
コメディとしてなお面白い。
もともと脚本重視の監督ではないし、
結末より過程を見せるという意味で、
これらの要素をたっぷりと盛り込んでおけば、
いま見ても楽しめる作品に仕上がったはずなのだ。
しかしマストラヤンニはせいぜいお腹が重くて、
腰が痛いといった様子を見せる程度で、いつもの調子。
「男の妊娠」と聞いてまず連想される同性愛へのほのめかしに対し、
断固たる否定を表明するのも興醒めで、退屈極まりない。
この程度のキャンプさしか表現できていないのは
時代のせいかもしれないが、
妙にレズビアンぽいキャラクターはちょくちょく登場してくるので、
もしかしたらドゥミは、フェミニズムとかゲイカルチャーを小馬鹿にする、
極ノンケ的な姿勢でこの映画を撮ったのかもしれない。
そんなセンスだから70年代後半以降、生き残れないんだっつ~の。
ただ彼一流の色彩感覚は、本作でも健在。
ホント、並のゲイ以上にポップな感性を持った監督であることだけは確かだ。
ドヌーヴが身に纏うカラフルなモヘアのニットや、
フェイクファーのコートを眺めているだけでも、
充分に楽しい時間を過ごせるという事実を、ここに付け加えておこう。
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