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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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製作年:2010年
製作国:日本
監督:佐藤寿保
出演:安井紀江、佐久間麻由、渡辺真紀子、鳥肌実、草野イニ



_____________________________________

『AV女優』というシリーズ本があった。

その存在は世の隅々まで浸透しているのに、
全く発言権の与えられていない女性達の声をかたちにした、
画期的かつニッチな一般向け読み物であり、
僕は非常に興味深く愛読していた。

まとめているのは永沢光雄というライター。
流れ流れて、エロ業界にたどり着いたという諦念が、
文章の端々から伝わってくるタイプの物書きだった。

くぐり抜けてきた修羅場で培ったのであろう、
慈愛に満ちた眼差しで女優たちを見つめ、
時に父親のように困惑の体で、過激な発言の数々を纏めていく。
人によっては古臭さや偽善を感じかねない文体だが、
それでもプロとして、「一本筋を通したスタイル」を感じさせてくれたので、
僕は好感を抱いていた。

このシリーズは確か、パート2までで終了してしまった。
永沢光雄が亡くなったためである。
もっと続きが読みたかった、と思っていたので、
書店で『名前のない女たち』を見つけたときは、驚いた。
ライターは別人だが、、明らかに『AV女優』シリーズの後釜を狙う雰囲気が
漂っていたからだ。違っていたのははじめから、
企画女優へのインタビュー」というコンセプトを持っている点である。

企画女優とは、高額のギャラを稼ぐ「単体売り可能な」人気女優ではなく、
その他大勢のひとりとして脇役や、
過激なコンセプトの「企画もの」に挑む、B級AV女優のこと。
業界に従事する女性達の本音を、
さらに突っ込んだかたちで掘り起こせそうな企画ではある。
果たしてその内容は、こちらの予想を、さまざまな意味で裏切ってきた。


AV女優の肉声を収集した、ふたりの男


『名前のない女たち』の著者は、中村敦彦というライター。
永沢光雄の確立したスタイルからは、かけ離れた文章を書く人だった。
何よりも視点の、底意地が悪い

AV女優へのインタビューをまとめる人間、そして読む人間は、
そこに何を期待するのだろうのか。
恐らく、以下の二点に集約されるのではないかと思う。
 「なぜAV女優になったのか?」
 「そこで何を得て、何を失ったのか」

AV女優たちから返ってくる言葉は、
信じられないほど凄惨な体験の記憶だったり、
呆れるほど何も考えてこなかった女の放言であったりと、さまざまなのだが、
共通しているのは彼女たちの置かれている立場。
自覚があるにせよ、ないにせよ、
不特定多数の目に向け、自らの性器を曝すという作業には、
それなりのリスクが伴っている。

永沢光雄も中村敦彦も、基本的にはこの2つの質問を軸に、
AV女優との交流を図っていくのだが、
受け止め方、吐き出し方は明らかに異なっている。

永沢光雄はAV女優に対し、畏敬と憐憫の入り混じった複雑な思いを抱きつつも、
ネガティヴな私情を封じ込める自制心を、常に働かせていた。
女たちのふてぶてしく反抗的な態度を、
なぜか自らの落ち度として背負い込もうとする時さえあったのだ。
彼なりの心意気を以って、
「AV女優たちの本音」という最後の砦を守り抜こうとしたのである。
性の商品化という荒涼とした素材に対し、
身を挺してフィルターの役割を果たすことで、
読む者を脅かさない、どこかフィクショナルな世界を作り上げたのだ。
このスタンスがあったからこそ、読者はAV女優たちの言葉に、
素直に耳を傾けられたのである。

対して中村敦彦は シニシズムに満ちた視点でAV女優を眺め、
疑念をストレートに投げつけ、暴いた欺瞞を克明に記そうと試みる。
その透徹な態度は時に女たちを激怒させ、取材そのものを破綻させてしまうのだが、
その様子さえ、ドキュメンタリータッチで容赦なく記録し、発表していく。
2人の物書きの態度には、演歌とパンクぐらいに大きな隔たりがあった。

僕ははじめ、中村敦彦のスタンスに不快感を憶えていた。
常軌を逸している、と感じたのだ。
しかし彼が人選し、インタビューを試みたAV女優たちは、
現代の百鬼夜行と呼んで差し支えないほど、
おどろおどろしい運命を背負う女たちばかりだった。
その悲惨な過去や、体験をさらに読み進みたくなる好奇心に抗うことは難しく、
いつしか僕は『名前のない女たち』の虜になっていた。

女が裸にさえなれば喜ばれ、金になる時代はとうに過ぎ去っている。
過激化の一途を辿る飽食のポルノ産業に、
中村敦彦のスタンスはよく適応していたと思う。
彼が永沢光雄を意識していたのかどうか、定かではないが、
180度異なるスタイルを貫かなければ、『AV女優』シリーズを超えることは、
決してできなかっただろう。
かように優れた2人の物書きを引き寄せるAV業界とは、
現代の「文学の現場」といっていい。
例え携わる人間ひとりひとりに、その自覚はないとしても……。


切り拓かれた新境地は、無に帰した


上記のように偏愛した『名前のない女たち』が映画化されると知って、
ぜひ鑑賞したいと思っていた。ようやく観ることができたのだが、
残念ながら、その出来には落胆してしまった。
『名前のない女たち』に収録されたインタビューは上手に脚本へ取り入れられていたし、
主演女優のふたりもよく頑張ったと思えるのに、なぜだろう。
それは中村敦彦の貫いた、孤立無援の厳しさがが伝わってこなかったからである。

監督の佐藤寿保はピンク映画を主戦場として活躍してきた人物で
(観たことないが、ゲイものも撮っているらしい)、
そのアーティスティックなスタイルはピンク映画の範疇を超え、評価を受けているという。
しかし本作からは、ジャンルの壁を超え普遍的な感慨をもたらす、
鬼才の手腕というべきものが、感じられなかった。

一般映画としてAVの世界を描くチャンスに、
なぜこのような手緩い解答しか導き出せなかったのだろう。
保守的な配給会社に敬遠されることを恐れたから?
それではあまりに、観衆を見くびりすぎている
大衆は皆何食わぬ顔で、ハードコアポルノの世界に、日常的に触れている。
その裏側を堂々と、広く知らしめる機会に、自らの表現力を最大限発揮しなくて、
いつ発揮するのだろう。

本作で最も印象に残ったのは、反目し合うふたりのAV女優が打ち解けあい、
裸でじゃれ合うシーンだった。
過酷な現実をくぐり抜けてきた女性2人が、一瞬垣間見た、美しい桃源郷。
世に「淫売」「変態」と罵られ、蔑まれる女たちに通う真心のようなものが伝わってくる。
しかし敢えてそこに踏みとどまろうとするのは、永沢光雄の美学だ。
中村敦彦はその「美しき誤解」に挑み、新境地を開拓した物書きなのである。
これでは彼が、あまりに浮かばれないと思った。

本作の主人公、ルルのモデルになっている木下いつきというAV女優は、
アニメ好きでもないのに、AV女優として大成するため「オタク女」を装い、
それなりの成功を収めた上で逆さ吊りにされ、
体中の穴という穴にザーメンを流し込まれ、
無抵抗の状態で顔面を腫れ上がるまで殴打され、
その一部始終を記録され、販売された。
しかし映画には、その地獄が一切描かれない。

事実は小説より奇なり? それではあまりに、寂しすぎる。
映画の持つ可能性を見くびりすぎている。
何が彼女の人生をそこまで追い込んだのか? 
その背景にあるのは個人的な運命なのか、それとも社会全体が抱える問題なのか?
この陰鬱な問いかけをリアルに受け止めるには、
やはり原作を読むしかない


追記:『名前のない女たち』は現在、パート4までは文庫化され、
書店で入手可能である。ハードな内容なので、精神的に落ち気味の場合は、
手を出さないことをおススメするが、たまに心底笑えるインタビューもあり。
僕はパート2に収録された「淫乱女/水野礼子」の稿が大好きで、
たまに読み返しては大笑いしている。

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