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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。 同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
原題:Vidas Privadas
製作年:2001年
製作国:アルゼンチン/スペイン
監督:フィト・パエス
出演:セシリア・ロス、ガエル・ガルシア・ベルナル、
ルイス・シエンブロウスキー、ドロレス・フォンシ、カローナ・レイナ

_________________________________________
過去のトラウマにより、恋愛やセックスができなくなった女性が、
「お気に入りの声」をもつ男性と出逢ったことで、
再び愛情と希望に満ちた人生を取り戻しはじめる……、
というあらすじの、なかなかエキセントリックな作品。
しかし本当に訴えたかったのは、
彼女の「過去のトラウマ」自体なのではないかと思う。
なぜならそれは、単なる創作上の設定ではなく、史実だからだ。
僕は全く知らなかったのだが、
アルゼンチンでは70年代後半に軍事クーデターがあり、
以後7年間もの長きに渡って、軍部による独裁政治が敷かれてしまった。
さまざまな人権弾圧が行われ、行方不明者は3万人以上にも及ぶという。
70年代後半~80年代前半に20代だった人(この映画の主人公もそう)は、
この映画の製作時にはまだ40代という若さ。
同国内では生々しい記憶として残っていても当然なのだ。
日本に住んでいると、さほど齢の離れていない人が、
政治に人生を左右され、大きなトラウマを抱えているという事実が
実感としてわからないのだが、
それは生まれた時代がたまたま良かったというだけ。
もし世界大戦時に生を受けていたら、また第二次世界大戦で
日本が敗戦国になっていなかったとしたら、と思うと
当然他人事ではない。
ドイツナチスに関する映画は、
これまでに数え切れないほど創られてきたが、
アルゼンチンの映画人は、
今ようやくその重い口を開きはじたところなのかもしれない。
しかしこの映画の素晴らしさは、僕のように無知な者が、
観終わった後で史実を調べることにより、
さらに理解が深まるよう、注意深く作られているところ。
現代に生きる人間が映画によせる類いの関心を見越しているのが
クールだし、監督はエンターテイナーでもあると思う。
と思ったらフィト・パエスは国内でも有名な歌手で、これが初長篇作、
しかも主演のセシリア・ロスの夫でもあるというのだから、驚いた。
それにしてもラティーノ/ラティーナの生き方には、
やはりエキゾチズムがそそられる。
主人公にしても、トラウマを背負っていながら自慰に積極的なのだから、
性そのものにはオープンなのだ。
日本人の感覚からすると、性全体に背を向けてしまう方が、
無難な描き方なのでは? と思ってしまう。その相違が面白い。
一時期アルモドヴァルの緒作品や、
ビクトリア・アブリルの出演作品などを
片っ端から観ていた時期があったのだが、
もっともっとスペインやラテン・アメリカの映画が観たい。
その為に、ガエル・ガルシア・ベルナルや、ぺネロペ・クルス
といった俳優の活躍に期待したい。
製作年:2001年
製作国:アルゼンチン/スペイン
監督:フィト・パエス
出演:セシリア・ロス、ガエル・ガルシア・ベルナル、
ルイス・シエンブロウスキー、ドロレス・フォンシ、カローナ・レイナ
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過去のトラウマにより、恋愛やセックスができなくなった女性が、
「お気に入りの声」をもつ男性と出逢ったことで、
再び愛情と希望に満ちた人生を取り戻しはじめる……、
というあらすじの、なかなかエキセントリックな作品。
しかし本当に訴えたかったのは、
彼女の「過去のトラウマ」自体なのではないかと思う。
なぜならそれは、単なる創作上の設定ではなく、史実だからだ。
僕は全く知らなかったのだが、
アルゼンチンでは70年代後半に軍事クーデターがあり、
以後7年間もの長きに渡って、軍部による独裁政治が敷かれてしまった。
さまざまな人権弾圧が行われ、行方不明者は3万人以上にも及ぶという。
70年代後半~80年代前半に20代だった人(この映画の主人公もそう)は、
この映画の製作時にはまだ40代という若さ。
同国内では生々しい記憶として残っていても当然なのだ。
日本に住んでいると、さほど齢の離れていない人が、
政治に人生を左右され、大きなトラウマを抱えているという事実が
実感としてわからないのだが、
それは生まれた時代がたまたま良かったというだけ。
もし世界大戦時に生を受けていたら、また第二次世界大戦で
日本が敗戦国になっていなかったとしたら、と思うと
当然他人事ではない。
ドイツナチスに関する映画は、
これまでに数え切れないほど創られてきたが、
アルゼンチンの映画人は、
今ようやくその重い口を開きはじたところなのかもしれない。
しかしこの映画の素晴らしさは、僕のように無知な者が、
観終わった後で史実を調べることにより、
さらに理解が深まるよう、注意深く作られているところ。
現代に生きる人間が映画によせる類いの関心を見越しているのが
クールだし、監督はエンターテイナーでもあると思う。
と思ったらフィト・パエスは国内でも有名な歌手で、これが初長篇作、
しかも主演のセシリア・ロスの夫でもあるというのだから、驚いた。
それにしてもラティーノ/ラティーナの生き方には、
やはりエキゾチズムがそそられる。
主人公にしても、トラウマを背負っていながら自慰に積極的なのだから、
性そのものにはオープンなのだ。
日本人の感覚からすると、性全体に背を向けてしまう方が、
無難な描き方なのでは? と思ってしまう。その相違が面白い。
一時期アルモドヴァルの緒作品や、
ビクトリア・アブリルの出演作品などを
片っ端から観ていた時期があったのだが、
もっともっとスペインやラテン・アメリカの映画が観たい。
その為に、ガエル・ガルシア・ベルナルや、ぺネロペ・クルス
といった俳優の活躍に期待したい。
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