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30代の編集者/ライター。ゲイ。映画、音楽大好きですが、仕事では書く機会がなく...。ので、こちらでは趣味全開にしちゃいます。
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映画はエンターテインメントでありつつも、アートフォームであって欲しいと願っています。    同じような気持ちで映画を観ているひとの慰みになれば幸いです★
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製作年:1956年
製作国:日本
監督:久松静児
出演者:原節子、田中絹代、木暮実千代、岡田茉莉子、
久我美子、香川京子、浪花千栄子、淡路恵子、菅井きん、
安西郷子、千石規子


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キャストを見ただけでもワクワクするが、
舞台も女刑務所で、赤裸々な女性映画としてのポテンシャルが期待されるこの作品。
「ものすごく観たい映画」リストに長らく入っていたのだが、
ようやく念願が叶った。
中央線沿いの名画座・ラピュタ阿佐ヶ谷のお陰だ。
最も上映はモーニングショウのみで、
死ぬほど嫌いな休日の早起きを強いられたけど……。
今回ばかりは致し方ない。そのぐらい観たい映画だった。

女優・女囚・女優

何度も言うが、キャストが恐ろしく豪華。
田中絹代/原節子という、邦画黄金期を支えた2大女優の競演作なんて、
果たしてほかにあるだろうか?

原の方が、主役と呼ぶにふさわしい出ずっぱりなものの、
女優としての上下関係は、役柄にもうまく活かされていた。
そこに若い久我美子が絡んで、物語は進んでいく。

それ以外にも主役級の女優がズラリと顔を並べており、
暗い過去を背負う女囚として、濃密なサイドストーリーを展開する。
さらに救いの笑いをもたらす名脇役たちも存在感を発揮しており、
2時間半はあっという間だった。

この映画はやはり、「女優映画」として観るのが正しいと思うので、
それぞれの印象をまとめていくことにしよう。
=================================
【田中絹代】…覚悟を以て、決然と仕事に臨む女刑務所長という役柄は、
生身の彼女にオーバーラップするところがある。
そのせいか演技も自然に見えた。
慇懃でありながらも鷹揚。威厳と品格を漂わせ、
豪華女優陣の頂点としての役割を全うしていた。
また刑務官の制服という、特殊な衣装に黒のヒールをスタイリングし、
どこか退廃的な雰囲気を振りまいてもいる。

【原節子】…小津や成瀬の作品でお馴染みとなった、
爽やかな媚を含む控えめな台詞回しは、演出の力によるものではなく、
彼女の個性であることを再認識。
敢えて田中に格負けすることで、存在感を際立たせた、引きの美学が見事。

【木暮実千代】…今回は妖婦的な役柄ではないため、地味な印象だが、
さすが彼女には、それなりの見せ場が用意されていた。

【岡田茉莉子】…アート女優へ転向する前の、可憐な姿が楽しめる。
とはいえ、健全な娘役を張るにはどこか危うい彼女の魅力が活かされており、
惜しげもなく前半で、あっさりと消える。

【久我美子】…清純で健気な娘役が多い彼女にとっては、試練の挑戦だったかも。
しかし憧れの大先輩、原との共演は嬉しかっただろう。

【香川京子】…ケレン味のない演出に晒され、野性味が引き出された感じ。
「カッとなると止められなくて…」という台詞には、意外性あった。

【淡路恵子】…実は今回、彼女の出演作特集の中で本作が上映されていたのだが、
それにしてはあまりに損な汚れ役。しかし刑務所に欠かせない同性愛の要素を、
捨て身で加味してくれた功績に拍手。

【浪花千栄子】…奥行きのある彼女の芸を充分に発揮できる役回りではなかったが、
やはり出番が来るとワクワク、ニヤニヤしてしまう。

【千石規子】…黒澤映画の常連である彼女だが、
他の監督作ではやはりこの程度の扱いという感じ。
=================================
それにしても、これだけの女優たちがしのぎを削り合う物見高さなのに、
これまで一度もソフト化されていないというのは、一体どういうことなんだろう。
「ヒロポン」なんて単語が頻発する脚本が、
どこぞの上層部の眉でも吊り上げさせているのかも……。

また調べてみたら本作の公開された年に、溝口の『赤線地帯』も封切られていた。
あちらも京マチ子、若尾文子、木暮実千代、三益愛子が競演した豪華作。
1956年は、女優映画の当たり年だったみたいだ!

拍手[3回]

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原題:W./E.
製作年:2011年
製作国:イギリス
監督:マドンナ
出演者:アビー・コーニッシュ、アンドレア・ライズブロー、
ジェームズ・ダーシー、オスカー・アイザック



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マドンナの監督2作目。
インディ風の処女作とは180度異なる、ゴージャスな雰囲気。
製作費数十億という前評判は、伊達じゃなかった。

ハンディカメラの粗い映像を挿入する撮影/編集技法も凝っているし、
過去と現在を併走させる語り口がうまく、2時間は全く飽きさせない。
さすが無類の映画好きらしいマドンナの才気が、ほとばしっている感じだ。

しかし作品を貫くテーマは前作同様。
「私、私、私!」という野心の貫徹にあった。
深化のポイントは、達成の先にある、荒涼とした風景の描写の中にあるのかもしれない。

ただあなたに憧れて

本作のヒロインで、実在の人物であるウォリス・シンプソンは、
ボルチモアの父なし子から、時の英国王の伴侶にまで登りつめた女。
その生き様にマドンナがシンパサイズしていることは明らかなのだが、
僕は客席で、やや置いてきぼりにされたような感触に包まれた。
理由は以下の2つだ。

1●なぜそこまで上昇志向が強いの?…
セレブ願望の強い女たちが抱く、
「何がなんでも幸せになりたい、私には幸せになる権利がある」
という、分不相応な飢渇感。これがどうにも理解しづらい。
その幸せとやらが、華やかな社交界、煌びやかな装身具、
湯水のように金を使うライフタイルに収束されるところが浅薄で、
とても共感しにくいのだ。
本作を観ていると「でもあなただって、ホントはそうでしょ?」と、
決めつけられているようで、少し居心地が悪い。

2●あなたの武器はそれだけなの?…
ウォリス・シンプソンが生きた時代は現代と比較にならないほど
女性の地位が低かったのは明らかだが、
果たして彼女の魅力はどこにあったのかといえば、
それは巧みな社交術とか、他人と一線を画す洋服の着こなし程度だったというのが、
何とも物足りない。
さまざまな人間をねじ伏せるために、努力と実績を積み上げてきた
マドンナほどの人間が、なぜウォリスのような女に憧れを抱くのか、
よくわからないのだ。

マドンナは本作で、ウォリス・シンプソンに貼られたレッテルを剥がそうとしている。
彼女なりの視点から、ウォリスの痛みや孤独を浮き彫りにしようと懸命だ。
それは彼女自身が抱える、以下のような痛手と失敗の弁明でもあるのかもしれない。
・ジョンFケネディジュニアとの恋愛ゲームに敗退
・ハリウッドの大御所セレブ、ウォーレン・ベイティとの破局
・不屈のトライにも関わらず、女優として映画界に受け入れられなかった過去


映画の締めくくりに、現代を生きるもう一人の主人公が、
ウォリスに「ある提案」を差し出す、幻想的な場面がある。
それはまるで、女性の過剰な自意識に捧げる
処方箋かのような描かれ方だった。
しかしマドンナ自身は、果たして「それ」を本気で信じているのだろうか?
どうも疑わしい、そう思えてしまう……。

とはいえ、期待以上によい映画だったと、最後に付け加えておこう。


拍手[1回]

原題: درباره الی
製作年:2009年
製作国:イラン
監督:アスガー・ファルハディ
出演者:ゴルシフテ・ファラハニ、タラネ・アリシュスティ、
シャハブ・ホセイニ、メリッラ・ザレイ


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個人的に何作か続けて鑑賞しているイラン映画の中で、最もインパクトのあった作品。
まるでミヒャエル・ハネケばりの、不穏な心理劇だ。
西洋文明の流入を嫌うイスラム原理主義国家の中で、
ここまで真っ当なシニシズムを元に映画を作れる監督がいるなんて。
正直全く予想していなかったので、うれしい驚きを隠せない。

特異な社会の歪んだ思いやりを斬る

内容としては心理サスペンスの要素が強く、
登場人物たちは保身のため、友人や家族の名誉のために言い争い、
庇い合い、そして嘘に嘘を塗り重ねていく。
一見、小さな集団内に生じた不幸の顛末を描いているだけなのだが、
その背後に、現代イラン社会の抱えている問題が、透け見えてくる。

本作では特に、イスラム社会における女性の在り方についての問題提起が、
なされているように感じた。
イラン人男性が女性に対して抱く建前と本音、
そしてイラン人女性が同性に対して働く、屈折した厚意やおせっかい。
これらが丹念に、執拗に描かれていくのを見るにつけ、
その何ともいえない不自然さや歪みに、驚かされてしまう。

監督はこうしたイスラム社会の通念に、明らかな不満を抱いているようだ。
でなければこんな作品は撮れない。
その思いをはっきり受け止められるのは、素晴らしいと思った。

映画にも俳優にも要・注目!

イスラム原理主義の色濃い政治下で検閲に曝されながら、
表現に向かうイラン人の監督たち。
体制や社会への批判をストレートにフィルムへ刻みつけたが最後、
表現の自由は政府の手により、剥奪されてしまう。
開放政策を進めながらもいまだ検閲の手を緩めない、
共産主義大国・中国と同様の現状だ。
その中で生き残っていくためには、知恵を絞るしかない。

政情に左右される社会の中で行う映画作りのセオリーを、
完璧なまでに満たしているこの作品。
低く評価するなどの野暮の極みだが、
映画としての面白さも十二分に兼ね備えているので、
とにかく見応えたっぷりだ。

さらに特筆したいのが、俳優陣の美しさ。
女性も男性も端正かつセクシー、そして「今風」で、
スクリーンを飾る資格充分。
まだまだ日本に入ってくる作品は少ないのだろうが、
今後もイラン映画にぜひ注目しなくては、と思わされた。

拍手[0回]

昨年2011年は、なんと318本の映画を観た!

僕は今から10年前の2001年を、自分の中の「映画元年」として、
鑑賞した作品を記録につけ始めたのだが、
ちょうど節目の10年目に、かつてないほどの鑑賞数を達成することができた。

2010年11月に、5年間勤めた会社を辞めたからこそ、可能になった数字である。
のらりくらりと半年以上も、フリーの仕事や失業保険で食いつないでいたのだが、
たくさんある自由時間の中でも、
なにか意味のあることをしておこうという気持ちで、毎日毎日映画を観続けたのだ。
しかし習慣というのはすごいもので、夏に転職してからも、そのペースは崩れなかった。

年初のテーマにしていたのは

・中国圏の映画を観る
・スペイン/ラテンアメリカの映画を観る
・カンヌのパルムドールやグランプリ作品をできるだけ観ておく
・ゲイ系で観こぼしている映画を補完する


ぐらいだったのだが、途中から「邦画の名作」という金塊にぶち当たってしまい、
軌道が大きく修正された。

というわけで、これだけたくさんの映画を観たのだから、これから何回かに分けて、
極私的な映画賞を発表しちゃおう、と思い至った。
対象作品は、「僕が今年観た映画」というだけで、
製作年や国に基準も何もありません、あしからず★
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最優秀作品賞
『赤線地帯』
1956年/日本映画
監督:溝口健二
出演:京マチ子、木暮実千代、三益愛子、若尾文子、町田博子

選出理由:すごい映画はほかにもあったのだけど、「邦画の探求」という、
私的トレンドのきっかけとなってくれた作品として、思い入れ深い。
個人的に「娼婦映画」は最も好きなジャンルなのだが、
「現場」で生きる女たちのバイタリティや計算、そして哀しみを
誠実に描ききった作品で、非常に面白い。
豪華キャストの群像劇となっている分、
他の溝口作品に比べ余裕やユーモアが感じられるのも、いい。最高です。



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作品賞ノミネート

『ハリウッド★ホンコン』
2001年/香港・日本・フランス映画
監督:フルーツ・チャン
出演:ジョウ・シュン、グレン・チン、ウォン・チーケン
選出理由:大陸と香港の間に広がる断絶を寓話的に描いた、監督の代表作。
きらめく幸せを運ぶ悪魔という微妙な役柄を、ジョウ・シュンが完璧に演じている。


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『失われた肌』
2007年/アルゼンチン・ブラジル映画
監督:ヘクトール・バベンコ
出演:ガエル・ガルシア・ベルナル、アナリア・コウセイロ
選出理由:南米の巨匠と若手スターのコラボにときめく。
退廃的でサスペンスタッチな物語と、
カラフルなのにどこかセピアがかったブエノスアイレスの色彩が、絶妙にマッチ。


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『乱れる』
1964年/日本映画
監督:成瀬巳喜男
出演:高峰秀子、加山雄三、三益愛子
選出理由:古きよき日本女性の美学が、取り返しのつかない悲劇を招くことの苦しみを、
メロドラマ仕立てで描ききった秀作。泣ける。


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『しあわせの雨傘』
2010年/フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ジェラール・ドパルデュー、ジェレミー・レニエ
選出理由:邪気の強い監督だが、コメディを撮るとキャラクターへの距離感が、
ほどよく調整される。
気軽に楽しめて、ある程度のクオリティも保っている良作。


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『ラブ&デス』
1997年/イギリス映画
監督:リチャード・クウィートオニスキー
出演:ジョン・ハート、ジェイソン・プリートリー
選出理由:ゲイ系の中では最も気に入った作品。
『ベニスに死す』へのオマージュの中にも、
現代的なユーモアやヒューマニズムが投影されている。
ベビーフェイスでガチムチなジェイソンが、超かわいい!


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『捕らわれた唇』
1994年/スペイン映画
監督:アスセナ・ロドリゲス
出演:ペネロペ・クルス、クリスティナ・マルコス、マリア・プヤルテ
選出理由:ラテンの情熱とひたむきなヒューマニズムを感じさせる、隠れた名作。
フランコ政権下で覚醒する良家の子女を、ペネロペが熱演する。


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『羅生門』
1950年/日本映画
監督:黒澤明
出演:三船敏郎、森雅之、京マチ子
選出理由:怨念と保身が渦巻く人間模様を端的に描いた、名作中の名作。
京のエキセントリシズム、森の冷酷な色気、
そして三船の野性美が見事に引き出されている。


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『リキッド・スカイ』
1983年/アメリカ映画
監督:スラヴァ・ツッカーマン
出演:アン・カーライル、パーラ・E・シェパード
選出理由:アメリカのインディ魂が炸裂するニューウェーヴ映画。
チープなアイディアがことごとく面白い効果を発揮。脚本も意外にしっかりしている。


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『お茶漬の味』
1952年/日本映画
監督:小津安二郎
出演:木暮実千代、佐分利信、淡島千影
選出理由:小津のホームドラマの中でも、出色の出来栄え。
ユーモアたっぷりの展開に潜む、ピリ辛のシニシズムがいい塩梅だ。


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『パンチドランク・ラブ』
2002年/アメリカ映画
監督:ポール・トーマスアンダーソン
出演:アダム・サンドラー、エミリー・ワトソン
選出理由:ヒーロー、そして恋愛というありふれた物語要素を、
オルタナティヴな感性を駆使してユニークに纏め上げた監督の手腕に、感心!


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『拾った女』
1953年/アメリカ映画
監督:サミュエル・フーラー
出演:リチャード・ウィードマーク、ジーン・ピータース
選出理由:フィルムノワールの佳作。この時期のハリウッド映画は、
よく作りこまれた脚本とキャラクターの魅力だけでグイグイ引っ張れるから、すごい。


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『芙蓉鎮』
1987年/中国映画
監督:シェ・チン
出演:リウ・シャオチン、チアン・ウェン
選出理由:政情に翻弄される社会を、国民の視線から描いた、貴重なクラシック。
愛される女と愛されない女の闘いが、
全編を通し伏線として描かれているので、意外にエンタメ。


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『一瞬の夢』
1997年/中国・香港映画
監督:ジャ・ジャンクー
出演:ワン・ホンウェイ、ズオ・バイタオ
選出理由:大陸の若者の冴えない日常を、虚飾なく描く。
監督の客観的な視点、そして冷め切ったキャラクターからは、
欧米の青春映画にありがちなエゴの発露が、一切感じられない。
静かな暴力が際立つラストには、鳥肌が立った。


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『悪魔の陽の下に』
1987年/フランス映画
監督:モーリス・ピアラ
出演:ジェラール・ドパルデュー、サンドリーヌ・ボネール
選出理由:エゴに基盤を置くストイシズムが辿る末路を、重厚に、幻想的に描く問題作。
宗教用語を巧みに織り交ぜた脚本も、機知に富んでいる。


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ナイン・シガレッツ』
2003年/メキシコ映画
監督:ウーゴロ・ロドリゲス
出演:ディエゴ・ルナ、ルカス・クレスピ、カルメン・マドリード
選出理由:南米映画新世代の才気がほとばしる快作。コンピューターに支配され、
暴力にあふれた現代社会の暗部を切り取っているにも関わらず、
すべてが確信犯的にポップで、軽い。


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最低作品賞
『七夜待』
2008年/日本映画
監督:河瀬直美
出演:長谷川京子、グレゴワール・コラン
選出理由:近年の邦画も結構観たけど、
面白いと思ったのは塚本晋也と三池崇史くらいだった。
共通して歯痒く感じるのは「どんな人間/事象を支持している」或いは
「許しがたい人間/事象を告発する」という監督の強い主張が感じられないこと。
表現ってホントにそれでいいのでしょうか。
この映画もあちこちにいい顔をしている感じで、
何が言いたいのかよくわからない。有名タレントを起用したせいかと思って、
『殉の森』も観てみたが、基本的に描いていることは同じ。
問題提起があるだけで、葛藤が中途半端。これでは単なる現実逃避だ。

___________________

というわけでした。
今年もいい映画いっぱい、観たいです。

ポチッとお願いいたします★

拍手[1回]

製作年:2010年
製作国:日本
監督:佐藤寿保
出演:安井紀江、佐久間麻由、渡辺真紀子、鳥肌実、草野イニ



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『AV女優』というシリーズ本があった。

その存在は世の隅々まで浸透しているのに、
全く発言権の与えられていない女性達の声をかたちにした、
画期的かつニッチな一般向け読み物であり、
僕は非常に興味深く愛読していた。

まとめているのは永沢光雄というライター。
流れ流れて、エロ業界にたどり着いたという諦念が、
文章の端々から伝わってくるタイプの物書きだった。

くぐり抜けてきた修羅場で培ったのであろう、
慈愛に満ちた眼差しで女優たちを見つめ、
時に父親のように困惑の体で、過激な発言の数々を纏めていく。
人によっては古臭さや偽善を感じかねない文体だが、
それでもプロとして、「一本筋を通したスタイル」を感じさせてくれたので、
僕は好感を抱いていた。

このシリーズは確か、パート2までで終了してしまった。
永沢光雄が亡くなったためである。
もっと続きが読みたかった、と思っていたので、
書店で『名前のない女たち』を見つけたときは、驚いた。
ライターは別人だが、、明らかに『AV女優』シリーズの後釜を狙う雰囲気が
漂っていたからだ。違っていたのははじめから、
企画女優へのインタビュー」というコンセプトを持っている点である。

企画女優とは、高額のギャラを稼ぐ「単体売り可能な」人気女優ではなく、
その他大勢のひとりとして脇役や、
過激なコンセプトの「企画もの」に挑む、B級AV女優のこと。
業界に従事する女性達の本音を、
さらに突っ込んだかたちで掘り起こせそうな企画ではある。
果たしてその内容は、こちらの予想を、さまざまな意味で裏切ってきた。


AV女優の肉声を収集した、ふたりの男


『名前のない女たち』の著者は、中村敦彦というライター。
永沢光雄の確立したスタイルからは、かけ離れた文章を書く人だった。
何よりも視点の、底意地が悪い

AV女優へのインタビューをまとめる人間、そして読む人間は、
そこに何を期待するのだろうのか。
恐らく、以下の二点に集約されるのではないかと思う。
 「なぜAV女優になったのか?」
 「そこで何を得て、何を失ったのか」

AV女優たちから返ってくる言葉は、
信じられないほど凄惨な体験の記憶だったり、
呆れるほど何も考えてこなかった女の放言であったりと、さまざまなのだが、
共通しているのは彼女たちの置かれている立場。
自覚があるにせよ、ないにせよ、
不特定多数の目に向け、自らの性器を曝すという作業には、
それなりのリスクが伴っている。

永沢光雄も中村敦彦も、基本的にはこの2つの質問を軸に、
AV女優との交流を図っていくのだが、
受け止め方、吐き出し方は明らかに異なっている。

永沢光雄はAV女優に対し、畏敬と憐憫の入り混じった複雑な思いを抱きつつも、
ネガティヴな私情を封じ込める自制心を、常に働かせていた。
女たちのふてぶてしく反抗的な態度を、
なぜか自らの落ち度として背負い込もうとする時さえあったのだ。
彼なりの心意気を以って、
「AV女優たちの本音」という最後の砦を守り抜こうとしたのである。
性の商品化という荒涼とした素材に対し、
身を挺してフィルターの役割を果たすことで、
読む者を脅かさない、どこかフィクショナルな世界を作り上げたのだ。
このスタンスがあったからこそ、読者はAV女優たちの言葉に、
素直に耳を傾けられたのである。

対して中村敦彦は シニシズムに満ちた視点でAV女優を眺め、
疑念をストレートに投げつけ、暴いた欺瞞を克明に記そうと試みる。
その透徹な態度は時に女たちを激怒させ、取材そのものを破綻させてしまうのだが、
その様子さえ、ドキュメンタリータッチで容赦なく記録し、発表していく。
2人の物書きの態度には、演歌とパンクぐらいに大きな隔たりがあった。

僕ははじめ、中村敦彦のスタンスに不快感を憶えていた。
常軌を逸している、と感じたのだ。
しかし彼が人選し、インタビューを試みたAV女優たちは、
現代の百鬼夜行と呼んで差し支えないほど、
おどろおどろしい運命を背負う女たちばかりだった。
その悲惨な過去や、体験をさらに読み進みたくなる好奇心に抗うことは難しく、
いつしか僕は『名前のない女たち』の虜になっていた。

女が裸にさえなれば喜ばれ、金になる時代はとうに過ぎ去っている。
過激化の一途を辿る飽食のポルノ産業に、
中村敦彦のスタンスはよく適応していたと思う。
彼が永沢光雄を意識していたのかどうか、定かではないが、
180度異なるスタイルを貫かなければ、『AV女優』シリーズを超えることは、
決してできなかっただろう。
かように優れた2人の物書きを引き寄せるAV業界とは、
現代の「文学の現場」といっていい。
例え携わる人間ひとりひとりに、その自覚はないとしても……。


切り拓かれた新境地は、無に帰した


上記のように偏愛した『名前のない女たち』が映画化されると知って、
ぜひ鑑賞したいと思っていた。ようやく観ることができたのだが、
残念ながら、その出来には落胆してしまった。
『名前のない女たち』に収録されたインタビューは上手に脚本へ取り入れられていたし、
主演女優のふたりもよく頑張ったと思えるのに、なぜだろう。
それは中村敦彦の貫いた、孤立無援の厳しさがが伝わってこなかったからである。

監督の佐藤寿保はピンク映画を主戦場として活躍してきた人物で
(観たことないが、ゲイものも撮っているらしい)、
そのアーティスティックなスタイルはピンク映画の範疇を超え、評価を受けているという。
しかし本作からは、ジャンルの壁を超え普遍的な感慨をもたらす、
鬼才の手腕というべきものが、感じられなかった。

一般映画としてAVの世界を描くチャンスに、
なぜこのような手緩い解答しか導き出せなかったのだろう。
保守的な配給会社に敬遠されることを恐れたから?
それではあまりに、観衆を見くびりすぎている
大衆は皆何食わぬ顔で、ハードコアポルノの世界に、日常的に触れている。
その裏側を堂々と、広く知らしめる機会に、自らの表現力を最大限発揮しなくて、
いつ発揮するのだろう。

本作で最も印象に残ったのは、反目し合うふたりのAV女優が打ち解けあい、
裸でじゃれ合うシーンだった。
過酷な現実をくぐり抜けてきた女性2人が、一瞬垣間見た、美しい桃源郷。
世に「淫売」「変態」と罵られ、蔑まれる女たちに通う真心のようなものが伝わってくる。
しかし敢えてそこに踏みとどまろうとするのは、永沢光雄の美学だ。
中村敦彦はその「美しき誤解」に挑み、新境地を開拓した物書きなのである。
これでは彼が、あまりに浮かばれないと思った。

本作の主人公、ルルのモデルになっている木下いつきというAV女優は、
アニメ好きでもないのに、AV女優として大成するため「オタク女」を装い、
それなりの成功を収めた上で逆さ吊りにされ、
体中の穴という穴にザーメンを流し込まれ、
無抵抗の状態で顔面を腫れ上がるまで殴打され、
その一部始終を記録され、販売された。
しかし映画には、その地獄が一切描かれない。

事実は小説より奇なり? それではあまりに、寂しすぎる。
映画の持つ可能性を見くびりすぎている。
何が彼女の人生をそこまで追い込んだのか? 
その背景にあるのは個人的な運命なのか、それとも社会全体が抱える問題なのか?
この陰鬱な問いかけをリアルに受け止めるには、
やはり原作を読むしかない


追記:『名前のない女たち』は現在、パート4までは文庫化され、
書店で入手可能である。ハードな内容なので、精神的に落ち気味の場合は、
手を出さないことをおススメするが、たまに心底笑えるインタビューもあり。
僕はパート2に収録された「淫乱女/水野礼子」の稿が大好きで、
たまに読み返しては大笑いしている。

ポチッとお願いいたします★

拍手[2回]

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